アジア新風土記(104)香港・ライチ(茘枝)の季節 - 2025.07.03
和解と平和の森
北海道・朱鞠内に朝鮮人強制労働の歴史を刻む
北海道・幌加内町朱鞠内もかつての強制労働の現場。元々は20戸ほどの入植地として始まった開拓農民の集落だったが、1935~43年の鉄道・ダム工事の期間には、数千人の日本人と少なくとも3000人の朝鮮人労働者が働かされた。過酷な工事現場からは死者が次々と出て、その大半は墓地から外れた山林の地下に埋められ、やがて熊笹が地面を覆い、死者の存在は戦後長く忘れ去られていた。
1976年、朱鞠内湖に遊びに来ていた当時30歳の僧侶・殿平善彦は、偶然にも、近くにある光顕寺で引き取り手のない80基余りの位牌に出会う。それは8年間の工事の間に亡くなった日本人・朝鮮人の青年男性ものだった。敗戦直後に北海道で生を受けた彼は、それまで自分に先立つ過去を戦争や植民地支配に重ねて考えたことはなかったが、自分達は「沈黙を続けることはできない」と思った。
その時から、殿平は笹やぶの下に眠る強制労働犠牲者に思いを馳せ、遺骨を発掘し、一人でも多く遺族の元へ遺骨を返そうと動き出し、韓国へも何度も足を運んだ。
本書は、殿平善彦の30~80歳までの、強制労働犠牲者の遺骨問題に取り組んだ、半世紀におよぶその活動の貴重な記録である。
殿平にとって遺骨発掘の意味は、「死者の声を聴くこと」であり「遺骨は出会うもの」だと言う。朱鞠内は、遺骨と出会った若者たち・市民に、過去から現在まで続く加害と被害の歴史を学びながら、人と人がつながって生きることの大切さを教えてくれる場所となった。
そしていま、朱鞠内は「和解と平和の森」として再生し新たな一歩を踏み出そうとしている。
今日の世界は新たな戦争の時代を迎えようとしているかのようだ。ヨーロッパでも中東でも、戦火を止めることができない。ウクライナでもパレスチナでも無辜の市民が命を奪われ続けている。新たな植民地主義が世界を覆うかもしれない。
戦争と殺戮は、日本の近代が東アジアの国々や人々に強いた植民地主義とつながっている。現代の東アジアも戦争の危機と無縁ではいられない。「私たちは今こそ、国境を越えてつながり、朱鞠内に集い、暴力と植民地主義の闇を照らして和解と平和の未来を見晴るかす一筋の光になれたら」と殿平は語る。
朱鞠内・和解と平和の森あんない
第一章 朱鞠内で死者に出会う
木立の中の古い寺
語りだした位牌の群れ
くぼみの下の死者たち
雨竜ダム建設工事
わが町に住む強制労働体験者
犠牲者を調査したい
死者への手紙
笹やぶを掘ろう
軍事政権下の韓国へ
語り継がれる強制動員の記憶
願いの像を建立する
遺骨を掘ったお前たちが悪い
求められる謝罪と補償
入国できるのか
民衆の和解
〈コラム〉 北海道と強制労働
第二章 東アジア共同ワークショップへの道
韓国人研究者がやってきた
遺骨発掘日韓共同ワークショップ
ムーダンの祈りでスタート
アンケート事件
二〇〇人で過ごした九日間の混沌
韓国チームによる遺族探し
死者に出会うということ
連塁と宿業
森村誠一さんの応援
〈コラム〉 民衆史掘りおこし運動
第三章 越境して出会う若者たち
鄭炳浩と私
初めて出会った在日コリアン
父から子へ語り継ぐ
雪下ろしのワークショップで
月下のソバ畑を歩いた
ワークショップの棒頭
敗戦後も続く植民地主義
初めて呼ばれる名前
死者にアイヌの祈りを
分断の壁を越える若者たち
済州島に行けない
自分は侵略にはかかわっていない
〈コラム〉 先住民族アイヌ
第四章 七〇年ぶりの里帰り
浅茅野旧陸軍飛行場
過酷な突貫工事
共同墓地を試掘する
東アジアの平和な未来のための共同ワークショップ
折り重なって埋められた
記憶・継承碑
なぜ合葬してしまったのか
被害と加害を超えて
一〇一分の一の重い決断
私たちの責任
一体も返さない政府
日韓市民のイニシアチブで
遺骨奉還の旅
あなたを胸に抱いて
平和の踏み石
届かない遺骨 帰れない遺骨
第五章 笹の墓標展示館の倒壊と再生
展示館になった光顕寺
鉄道工事犠牲者を追悼する
屋根雪下ろしその時に
友情の場所を守りたい
庫裏の焼失
全国各地で巡回展開催
日本初の「強制労働」博物館
和解と平和の森を創ろう
あとがき