アジア新風土記(14)中国・国慶節



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。



洋画家の梅原龍三郎が戦前の北京を描いた作品に「北京秋天」がある。文化庁の電子情報広場(ポータルサイト)「文化遺産オンライン」は、1942年制作の油彩について「梅原は、北京滞在中、緑のなかに朱の甍(いらか)が散在する市街の情景を俯瞰した多くの風景画を描いているが、この作品は、秋の空そのものを表現の中心においた、他にほとんど例のない作品である」と紹介する。秋にかつて北京を訪れたとき、空がどこまでも深く広がっていたことを覚えている。


2021年10月1日、中華人民共和国建国72年の国慶節の日、北京は晴れ渡ったが、微小粒子状物質「PM2.5」などによる大気汚染の影響でどこまで澄んだ青空だったのか。この日、北京からは習近平国家主席の目立つほどの「動静」は聞こえてこない。心は「北京秋天」のように爽やかだったか。

中国からの報道、情報はこの夏以来、習近平指導部の厳しい取り締まりを伝える。


8月17日の党中央財形委員会での習主席表明が発端だった。主席は「全人民の共同富裕を人民の幸福を実現する取り組みの重点とし、党の長期的な統治の基礎を絶え間なく固めねばならない」と述べ、経済発展に伴って拡大していく格差をなくし、社会の富を人々に分け与えていかなければならないとする「共同富裕」というアイデアの実現に乗り出した。

「共同富裕」は経済発展の推進力になっていたIT先端企業に波紋を投げかけた。

 「インターネットサービス大手の騰訊(テンセント)は共産党の方針に賛同し、500億元(約8500億円)を貧困層支援などに充てる計画を公表」
(8月29日、時事ドットコムニュース)

著名芸能人らへの追及も始まる。8月27日、女優の鄭爽(ジェン・シュアン)さんが巨額脱税で、2億9900万元(約51億円)の罰金を科せられ、彼女の映画・テレビの作品が放送禁止になる。

 「中国国家ラジオテレビ総局は2日付けのオンライン通知で、文化プログラムの規制を強化すると表明。不健全なコンテンツ、スターの過度な高給や脱税を取り締まる方針も示した」
(9月2日、ロイター)


取り締まりは教育界、若者らのオンラインゲームにも広がり、9月からの新教科書は習主席の「新時代の中国の特色ある社会主義思想」を反映する。


 「小学校用の教科書では、習主席が繰り返し使うスローガン『中国の夢』に関する内容などが、高校用の教科書では巨大経済圏構想『一帯一路』についての内容などが盛り込まれています」
(8月31日、NHK・NEWSWEB)


 「中国共産党中央宣伝部や政府の国家新聞出版署などは8日、テンセントや網易(ネットイース・筆者注)など国内のオンラインゲームを運営するIT大手側に、未成年がゲーム中毒になることを防ぐ措置を講じるよう厳命した」
(9月9日、朝日新聞デジタル)



「共同富裕」表明後の突然ともいえる「規制」強化に論争も起きている。

 「習氏が進める規制上の取り締まりは国全体に及ぶ深淵な『変革』だとするブロガー、李光満氏の論評が先月、国営メディアに一斉に掲載された。(中略)これにかみついているのが環境時報の胡錫進編集長らだ。(中略)計画されている変革は最高指導部からの統一した政策の結果だと反論」
(9月8日、Bloomberg News)


こうした方針、指示は、習主席が「共同富裕」によって社会を根本的に変えようとする試みの表れなのか。鄧小平が1992年1~2月に武漢、深圳などを視察、改革開放の加速を呼びかけた「南巡講話」のように、習主席の「号令」なのか。


中国国内で何が起き、何が進んでいるのか。李光満氏の論評にしても一ブロガーの発言が国営メディアにキャリーされるということは、党中央の「了解」があるからだという見方は根強い。胡編集長の反論は「行き過ぎへの軌道修正」なのか。


様々なニュースが次から次へと報じられるとき、一時代前の「チャイナウォッチャー・香港」が懐かしくなる。東西冷戦時代から返還直前まで、大陸から流れてくる玉石混交の情報は香港在住の記者らを刺激した。

社会の格差は改革開放政策が進むほどに広がっていった。鄧小平の「先に豊かになった者が後れた人たちを助ける」という「先富論」は有名無実化した。李克強首相が2020年の全国人民代表大会(全人代)後の記者会見で月収1千元(約1万7千円)で暮らす人たちが6億人いると述べたように、後れた貧しい人たちは繁栄から取り残されたままだ。


19年の中国人民銀行が全国3万世帯に行った調査では、保有資産額に応じて5等分した最上位区分世帯の保有資産が全体の63パーセントを占めた。最下位区分世帯の保有資産はわずかに2.6パーセントしかなかったという。
(21年8月30日付け朝日新聞)


「共同富裕」はどこまで実現するか。もう一つの「資産家」である共産党幹部に踏み込むことは難しいという指摘もある。習主席は「共同富裕」を成功させて22年秋の共産党大会に臨むとみられるが、富裕層の富を貧困層に配分する政策は実現した例がないともいわれる。


毛沢東の文化大革命の再来かという声も聞かれる。李光満氏の「深淵な変革」という表現は、人々の口にあまり上らなかった文化大革命を語ることへのハードルが低くなってきたと感じさせる。ただ、習主席は改革派に追い詰められた毛沢東が大衆を動員して反撃に転じたような状況に立たされているわけではない。



2002年の中仏合作映画「中国の小さなお針子」を最近、友人からDVDを借りて初めて見た。文化大革命時代の1971年、山深い農村に下放された2人の若者と地元の少女の物語は、石畳の尾根道を農村に向かう若者の背を歌が追いかけていくところから始まる。

「われら毛主席の紅衛兵」
「われらの革命歌天にとどろく」
「偉大なる指導者毛主席がわれらを導く」
「敬愛する毛主席われらの太陽」


若者らの行く末よりも冒頭の歌に思いがいった。山々にその時代の人々の心情をこだまさせていた歌がいまの中国にオーバーラップするからか。「文革」が過去の話になりつつあった封切り直後ならば、それほどの印象は残らなかったかもしれない。

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