梅田正己のコラム【パンセ】 保阪正康『歴史の定説を破る』(朝日新書)への疑問



「日清・日露戦争は日本の敗北。太平洋戦争は?」

「歴史家・保阪正康からの真摯なる問題提起」

 

上は本書のカバーの袖にあるキャッチフレーズであるが、著者の保阪氏はこれまでに「日本軍のエリート軍人や兵士を中心に、戦争体験者4000人」から話を聞いてきたという(本書209頁)。そういう「歴史家」が、日本は日清・日露戦争では敗れ、太平洋戦争では勝利した、と主張しているわけである。

 
多少とも歴史に関心のある者には、素通りできない主張である。

 

 
そこで一読してみたが、すっかり拍子抜けしてしまった。ひと言でいうと、これは「歴史漫談」である。

第一に、戦争の事実についての記述がきわめて粗雑。たとえば、日清戦争の経過については、次のように本文でわずか3行である。

戦闘において清国軍を圧倒し、ソウルを押さえて平壌にまで達した。清国がもう戦争はやめようと言い出す。そこで首相の伊藤博文が下関に清国の欽差大臣(全権大使)の李鴻章を呼び付けて、停戦交渉に入る。/結局、日清講和条約(下関条約)が結ばれた。」

そして賠償金2億両(国家予算の4倍)を獲得した。

つまり戦闘は朝鮮国内の平壌で終わって、中国国内での旅順占領も威海衛攻略も省略。代わりにこんなエピソードが加えられる。

「私は日清戦争に従軍した兵隊の話を直接聞いたことがある。昭和50年頃、3人に取材したが、もう100歳を超えていた。話してくれたのは、戦国時代さながらの刀で斬り合う白兵戦の様子だった。」

当時の清国海軍が最新鋭の北洋艦隊を保持していたことなど無視である。

粗雑さはほかにもある。「井上馨」を「井上薫」と誤記したのはケアレスとしても、「東学農民戦争」をいまなお「東学党の乱」と書いている。「戦争史家」としては怠慢のそしりを免れまい。


 

そこで問題の「日清戦争敗北論」であるが、こういう理屈である。

「戦争に勝てば賠償金が取れる。領土を取れる。つまり、戦争は国家に大きな利益をもたらす事業だと考えるようになった。」「日本は軍隊を賠償金獲得のための事業体と考える癖がついてしまった。」

そして以後、この敗北により清国は弱体化し、やがて辛亥革命によって消滅させられ中華民国へと飛躍する。つまり中国は「日清戦争に負けたおかげで」近代化への革命に成功したのだから「日清戦争は清国の勝ちだったと言うこともできるのではないか。」

何か「風が吹けば桶屋が・・・」のような妙な理屈であるが、これにより「日清戦争は日本の敗北」だったのである、というわけである。

 

もう一つ、朝鮮に関して、見逃せない記述がある。先に東学農民革命についての無知に触れたが、「歴史家」はこう書いている。

「しかし、朝鮮にはそれだけの国力がなかった。だから戦場と化してしまった。朝鮮半島の人に聞いたことがある。『朝鮮の農民はそれほど死んでいない。戦闘は一般人のいる場所ではあまり行われなかった』と。たとえそうだとしても、日清戦争後に独立の動きが実を結ばなかったことからもわかるように、こうした主体性の弱さが日本による支配を許すなど、その後の朝鮮の国づくりに影響することになる。」

歴史の事実はどうか。朝鮮に出兵した日本軍に対し、「東学」の思想に啓蒙された朝鮮農民(東学農民)は蜂起し、日本軍に立ち向かう。そこで朝鮮全土、とくに南半部が戦場となるが、農民軍の殲滅をめざした日本軍によって、東学農民軍は半島西南端の珍島にまで追いつめられ、清国の被害をも超える数万の戦死者を出した。この史実は、近年すでに何冊もの研究書が出されているのに、この「戦争史家」は知らないのである。

中塚明氏の近刊『日本と韓国・朝鮮の歴史』増補改訂版には、朝鮮史についての半藤一利氏の無知ぶりが手きびしく指摘されているが、保阪氏もかつての〝盟友〟に劣らぬ無知であることを自ら告知したことになる。

 


次に日露戦争であるが、ここで保阪氏が「日本は本当は負けたのだ」とする理屈は、簡単である。

「ポーツマス条約にしても日本は全く賠償金を取れなかった。先に述べたように、日本にとって戦争の最大の目的は賠償金の獲得だった。その目的を達成できなかった以上、むしろ敗北ではないのか。」

保阪氏はここで100年以上も前の日比谷焼き討ちの暴動を引き起こした大衆と同じ地点に立ち戻っている。

ポーツマス条約で日本が獲得したのは、第一に朝鮮の独占的支配権の承認であり、第二にいわゆる満鉄と遼東半島の先端部(関東州)の獲得であり、第三にカラフト南半部の獲得であった。

これにより、日本は朝鮮の完全植民地化(韓国併合)を果たし、満州への侵攻拠点を得て、満州の実質的支配権を獲得すると、さらに北京を含む華北へと侵出してゆくのである。日本帝国主義にとっては一時的な賠償金よりもずっと大きな成果であった。

しかしそうした歴史的推移はこの「歴史家」の眼中にはなく、賠償金を取れなかったから「日露戦争は『本当は負けていた』と言えるのだ」という結論になるわけである。

 


第一次大戦についても、この「歴史家」は奇妙なことを述べている。

「日本の場合、第一次世界大戦そのものに直接参加したとは言えない。陸軍の一部が中国でドイツの権益を奪ったり、海軍がイギリスの兵隊を運んだりした程度だ。」

これもおかしい。日本軍は英国からの要請をいい口実としてドイツの植民地だった膠州湾の青島を攻略した後、さらに山東半島全体を支配下に置き、山東省の省都・済南をも手中に収める(その後、山東出兵)。

そのほか、ドイツの無制限潜水艦戦への対抗措置として連合軍側から要請された地中海への駆逐艦隊派遣の代償として、ドイツがスペインから購入していた赤道以北の「南洋群島」をも手に入れるのである。この「南洋群島」が太平洋戦争においてどのように位置づけられたか、「戦争史家」は百も承知しているはずである。


 

さて、最後の問題設定、太平洋戦争での日本の「勝ち負け」の問題である。保阪氏はこう書いている。

「とことんまでの悲惨さを示す戦争を行なった体験を生かして、日本はその後『戦争しない』という国家の柱を守り、77年余の歴史を紡いできた。こういう視点で見れば、第二次世界大戦の敗戦国・日本は、じつは『戦争そのものに対しては勝っている』と言えるのではないか。」

アジア太平洋戦争で、日本は310万もの国民の命を失い、米軍の空爆によって数百の街を焦土化されて敗北した。しかしそのあと復興し、平和憲法の下で77年もの長きにわたって平和を維持してきた。だから長い目で見れば、「戦争そのものには勝った」と言えるのではないか、というのです。

では、ただいま現在の日本の現実はどうなっているか? この国にはいま、米国本土を除けば世界最大の米空軍、米海軍、米海兵隊の基地が置かれ、そのために世界最多の基地維持費(基地従業員の賃金から施設の建築費まで)を提供し、首都の上空さえ米軍の航空管制によって大きく制限されるという、米国への軍事的・外交的従属状態を続けている。

こんな現状で、どうして「戦争に勝っている」などと言えるのか。ハッキリ言えば、「日本はいまなお米国に負け続けている」のではないか。


 

このように、事実認識もいい加減なら、歴史観もあやしげな本が、著者が「良識」のある「信頼」できる「歴史家」の著作として、大新聞社から出版されているのである。こういう文化状況をどう見たらよいのか。

この本から、私は、歴史学、歴史研究者への侮辱のようなものすら感じた。思い余って、こんな小文を書いた次第である。(了)

 

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