アジア新風土記(15) 台湾・双十節



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。




台湾は2021年10月10日、中国・辛亥革命の発端となった1911年10月10日の武昌起義を記念する双十節を迎えた。「十」が二つ重なることにちなんだ名称は国慶節とも呼ばれ、台湾の「中華民国」という「国家」としての節目の日だ。


蒋介石の国民政府・中国国民党は第2次大戦後の中国共産党との国共内戦に敗れて1949年、台湾に逃れる。孫文が1912年1月1日に建国を宣言したときの国名「中華民国」はそのまま継承した。国際社会はいま、中国を「一つの中国」として承認、台湾を「地域」として対応するが、台湾自身は蒋介石の死後も「中華民国」として今日に至っている。


21年の双十節の日、蔡英文総統は台北の総統府前式典会場で演説、中国との関係について、両者は主権を維持した対等の関係にあり一方的な現状変更には全力で阻止するとして「台湾が圧力に屈することはない」と宣言した。改めて「独立した台湾」を強調した内容は、双十節に訪台した仏議員団のリシャール元国防相が台湾を「国」と呼ぶなど、国際社会の微妙な変化が追い風になっていることは確かだ。

英紙フィナンシャル・タイムズは9月10日、米国が台湾の対米代表部に相当する「台北駐米経済文化代表処」を「台湾代表処」に変更することを検討中と伝える。記事はバイデン大統領の大統領令署名が必要であり最終決定ではないとしているが、報道各社が転電、米中関係、中台関係に大きなインパクトを与えた。

中国外務省は「一つの中国の原則を厳守すべきだ」として米国に厳正な申し入れを行ったことを明らかにした。米国が同報道を正式に認めていない段階での抗議は異例であり、過剰反応とさえいえる対応だ。英紙が信頼に値する情報をつかんでいたか定かではないが、それだけナーバスになっているのかもしれない。台湾側は「コメントしない」としている。

台湾の海外出先機関は「台北」の名称を使うのが一般的だった。米国が報道通りに決定すれば追随する国は多いだろう。すでにリトアニアが7月に「台湾」という名称での窓口機関開設に合意、中国が大使召還の対抗策をとっている。


国際社会は少しずつ台湾を無視できなくなっている。その潮流のきっかけの一つは新型コロナの発生とパンデミックにあったのではないか。世界保健機関(WHO)は中国の意向を受けて台湾の加盟を認めていない。台湾はコロナに関する情報の空白地帯になるとして、加盟、あるいはオブザーバー参加を求めたものの、今日まで実現していない。この状況に米国などが強く反発、台湾の加盟促進に動いている。


半導体分野での台湾の影響力も見逃せない。日本貿易振興機構(JETRO)の地域・分析レポート(2021年6月)は「台湾経済部によると、2020年時点で台湾の半導体受託生産は世界シェアの7割、台湾積体電路製造(TSMC)だけで5割を超える」と紹介する。米国の台湾への「肩入れ」は半導体技術を取り込みたいとする表れでもある。

蔡総統は演説で「中華民国台湾」と表現した。しかし「台湾」の顕在化は「中華民国」と「蒋介石」が台湾内で影が薄くなっていくことにほかならない。

台湾政府の「移行期の正義促進委員会」は9月8日、台北の中正紀念堂を歴史公園に変える案を発表する。「国営」通信社・中央社は「中正紀念堂という巨大な権威主義の象徴にどのように向き合うかという問題に対し、『権威主義を取り除く』と同時に『歴史を直視』できることが最も重要。蒋介石像の撤去、外観の変更なども提言した」と伝える。

野党の中国国民党は直ちに反対を表明する。歴史的な座像を撤去するならば、日本植民地時代に貢献した人たちの銅像なども撤去すべきだという意見も出ている。委員会案がいつ、どのような形で具体化するかはまだわからない。



青の八角形瓦屋根と白い壁面が際立つ中正紀念堂は1980年、蒋介石を記念して建立された。蒋介石の基本政治理念だった「倫理」「民主」「科学」の文字を背にした座像前での儀仗兵の交代式風景は観光スポットになり、「永懐領袖文物展視室」には彼の功績などが紹介され、記念物が展示されている。いわば台湾が「中華民国」として存在するためのシンボルだった。




中正紀念堂の蒋介石座像。中台関係が穏やかなときは、大陸からの団体客であふれた


蒋介石像の「受難」も続く。台北から車で1時間ほどの蒋介石の墓所・慈湖陵寝近くの慈湖紀念雕塑公園には、各地の役所、学校、軍施設などから撤去された蒋介石像が集められている。2015年に訪れた時には孫文、蒋経国の像を除いても170体は超えていた。現在はもっと増えているはずだ。撤去理由は住民からの要望、あるいは校舎改築など様々といわれている。台北の公園を歩いても蒋介石像はほとんど見かけない。それだけ人々の心から蒋介石が離れているということだろう。



慈湖紀年雕塑公園の蒋介石像群。中正紀念堂の座像もここに運ばれるのだろうか
津田邦宏著『私の台湾見聞記』187頁より転載



蒋介石像撤去は、単に蒋介石との決別で終わらない問題を内包している。台湾が「台湾」として生きていく道筋の中で、孫文が打ち立てた近代国家の後継は台湾にあるとアピールする双十節は、その意味もまた変わらざるを得ないのではないか。そして中華民国の「国父」である孫文との関係にどのような整合性をつけていくのか。




双十節の10日、台北市内は総統府だけでなく目抜き通りに中華民国の国旗「青天白日満地紅旗」が飾られる。旗は中国国民党が内戦に敗北するまでは大陸の空に翻っていた。NHKの「映像の世紀プレミアム第20集・中国”革命“の血と涙」は、日中戦争で日本軍降伏直後の1945年10月、北京・天安門に掲げられた蒋介石の肖像と翻る青天白日満地紅旗を映し出す。


大陸から青天白日満地紅旗が消えても、唯一香港だけは返還後も残っていた。九龍半島西部にある孫文を記念する中山公園は双十節に支持者らによるセレモニーが毎年のように行われたが、2020年6月の香港国家安全維持法(国安法)施行後の12月19日のオンラインメディア「立場新聞」は、公園の塀が青のペンキで塗りつぶされ、掲揚されていた旗すべてが取り除かれていたと伝えた。香港政府は双十節祝賀のイベントは台湾独立を目指す運動であり国家転覆罪にあたると指摘、21年10月10日は公園に通じる小道の入口に立ち入り禁止の柵と警備の人たちの姿があった。



香港の中山公園。返還前の双十節のころは、多くの市民が訪れた




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