アジア新風土記(20)香港立法会選挙



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。





香港島のビジネス街セントラル(中環)から山手に向かう坂道の一つを上がっていくと
途中で左に折れる小道がある。かつて花市場だったランカイフォン(蘭柱坊)の通りは
100メートルもあるだろうか、左右にバー、スナック、レストランが並び、毎年の大晦日
にはカウントダウンを待ちきれない若者らで溢れる。2021年が暮れて22年の年明けは華
やいだ空気と狂騒に包まれていたのだろうか。行く年に多くの人たちの心を晴れやかにさ
せる出来事はなにもなかった。暗い絶望感を抱かせることの追い討ちばかりだった気もする。
それでも新年への期待はだれもが心のどこかに持っているのではないか。そう思いたい。




21年12月19日に行われた立法会(議会)選挙もまた、香港人の無念さと悲しみを象徴する
セレモニーだった。当選者は親中派が職能枠の中間派1人を除いてすべてを占める。民主派
は有力メンバーが国家安全維持法(国安法)違反などで逮捕されたうえ、政府への忠誠度を
みる事前審査が導入されたことなどで、候補者の擁立を見送った。
16年の前回選挙時の35議席から20議席になった直接選挙枠の投票率は30・20パーセントと
過去最低を記録、5年前の58・28パーセントを大きく下回った。有権者は民主派候補ゼロの
選挙に「棄権する」という行動で応じた。

立法会の選挙制度は今回、中国政府の「愛国者が香港を統治する」という方針によって大きく
改変された。議席数は70議席(直接選挙枠35、職能枠35)から90議席に増え、直接選挙枠20、
職能枠30に、新たに選挙委員枠40が加わった。

親中派で固められた選挙委員は1500人で構成され、行政長官だけでなく立法会議員選出の権限
も加えられた。中国共産党の意に沿う「選挙」スタイルは民意を反映する動きをすべて封じ込めた。


立法会ビル


住民の意思を投票に託す選挙が大陸でなかったわけではない。2012年に広東省汕尾市烏坎村で行わ
れた村民代表選挙、村民委員会の直接選挙はその一例かもしれない。中国では人民公社廃止後、土地
は村民委員会が管理することになったが、11年に全村民参加の村民会議で諮られる土地処分を役員だ
けで取り決め、売却代金の多くを横領したとされる「烏坎村事件」が発生する。
汕尾市政府は激しい抗議行動に、村民の直接投票によって村民代表と村民委員会委員を選出すること
で事態の収拾を図った。土地問題が抜本的に解決されないまま、16年に入って地元の治安当局は選挙
で選ばれた村民委員会主任を汚職容疑などで拘束する。村民らは主任の解放を訴えて再び立ち上がっ
たが、治安部隊に制圧された。

烏坎村事件当時は汕尾市政府トップの党委書記だった鄭雁雄氏がいま、国安法施行とともに新設された
国家安全維持公署の署長として香港の治安問題を統括する。烏坎村事件で村民らを抑え込んだことで中
央の信頼を得たといわれ、その経験を香港でも生かすことを求められているのではという見方も強い。




2013年10月、立法会ビル前に、地上波テレビ増枠が認められなかったテレビ局員らの抗議テントが張られた。こうした光景はもう見られないのか。


国家安全維持公署は中国治安当局の香港出先機関であり、香港政府を監督指導する立場にある。国家の
安全に関わる重大事犯については香港警察を動かして捜査する権限を持ち、同署員らはフリーハンドで
の活動が認められている。鄭署長がどのような形で香港の治安維持にあたっているかはわからないが、
21年夏以降も民主化運動への圧力は続いた。

8月10日、香港の教育改革、教師の待遇改善などを目的として1973年に設立され、約9万5千人の教員
が参加する教職員組合「香港教育専業人員協会」が解散を決定する。組合は教育現場での中国の歴史、
文化の学習を見直したり、中国に批判的な本を取り扱う書店を閉鎖するなど政府に歩み寄りの姿勢を示し
ていたが、「愛国教育」への懸念を示す教員は少なくなかった。教育界は医療、法曹関係と並んで民主化
運動の拠点になっていた。

天安門事件の追悼集会を毎年ビクトリア公園で主宰してきた「香港市民支援愛国民主運動連合会」(支連会)
も9月25日の会員総会で解散を決議した。支連会は天安門事件の直前に設立され、200以上の民主派団体が
参加していた。
親中派メディアから国家の安全に危害を与える活動だと批判されるなかで、組合員らへの影響が計りかねな
いことへの危機感があった。支連会の鄒幸彤副主席は朝日新聞のインタビューに概ね次のように答える。
「政府上層部とつながりがある仲介人と呼ばれる人物たちが支連会に接触してきた。多くのメンバーが解散
しなければ極めて重大な結果を招くと脅された」(21年9月26日)



9月9日、休館中の「六四記念館」は天安門事件当時の写真、手記、「民主の女神像」模型などの展示資料
すべてが押収される。同館を運営していた支連会が資料のデジタル化を進めていたが、完成してもどのよう
に公開するのか。

12月23日には香港大学構内にあったモニュメント「国殤の柱」が撤去された。高さ8メートルの銅像はデン
マーク人彫刻家が天安門広場で倒れた若者らを追悼して制作したものだった。



返還1年後の1998年6月4日、「国殤の柱」がビクトリア公園での天安門事件追悼集会に立った。


ネットメディアの「排除」も進む。12月29日、独立系ネットメディアの「立場新聞」編集室が捜索され、
編集幹部ら7人が扇動的な言論を企てたとして逮捕された。香港主要メディアのベテラン記者らが17年か
ら独自の評論、調査報道などを発信してきた「衆新聞」も22年1月4日、メディア環境の悪化を理由にウェ
ブ配信を停止した。

香港人への圧力が海外にまで及んでいるという指摘もある。返還前に発行された「英国海
外市民(BNO)旅券」保持者で英国移住を希望する人たちの中に中国工作員が紛れ込んで
いる可能性について、ニューズウィーク電子版(21年8月18日)は英タイムズ紙が「英政
府関係者のコメントとして英政府がその存在を認識している」と報じた記事を転電する。




烏坎村の様子は16年以降ほとんど聞こえてこない。わずかに17年11月10日発のロイター
電が「あらゆる幹線道路に設置された監視カメラが住民の動きを見張っている」「住民に
よると、あちこちに当局の密告者がおり、数十人の村民が刑務所や拘置所で厳しい獄中生
活を送っている」と伝える。

北京では21年11月1日、北京の人民代表大会に共産党の支持を受けない「独立候補」とし
て立候補を表明していた14人が連名で選挙活動の停止を表明する。警察などから自宅軟禁、
演説会参加への妨害など様々な脅迫、圧力があり、身の危険を避けるための決断だという。



大陸の現実に、中国の一地方都市でしかなくなった香港もまた、沈黙するしかないのか。


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