アジア新風土記(57)ウイグルと新疆



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。





NHKが1980年に中国・中央電視台(CCTV)と共同制作した『シルクロード』の再放送を最近見た。合わせて取材記も読む。
シリーズは冒頭に唐の都長安を描き、中国の人たちが古より西に旅した道筋に沿って続いていく。
河西回廊から敦煌、玉門関を過ぎてタクラマカン砂漠南の西域南道に入ると、ウイグル族の都邑、ホータンがあった。







テレビに映し出される画面などからは、ウイグルの人たちの日々のごく当たり前の営みが伝わってくる。街中に入った取材班の車を人々が幾重にも取り囲んで、だれもが屈託のない笑顔を見せていた。
「ケットマン」という大きな平たい鍬を打ち下ろす農民がいた。
南に連なる崑崙山脈を源とする川に玉を探す人がいた。
歌舞団の踊りを囲む人たちがいた。
日曜の朝のバザールは近在から駆けつける老若男女で溢れる。
シシカバブーを売る男が声を張り上げて客を誘っていた。
若い女たちは競って流行の靴の品定めをしていた。
様々な香辛料の入った袋は百を数える。
昼下がりのポプラ並木では茶店にゆったりとした時を預ける人たちがいた。
そして人々の祈りがあった。敬虔なイスラムの男たちは土に額をつけたまま動かなかった。




中国・新疆ウイグル自治区で43年前にはあったウイグル族の生活と、いま同じ土地から国際社会に発信される情報との落差を思う。


ウイグル人と漢人との激しい対立は2009年7月5日、自治区首都のウルムチで起きた騒乱によって報じられる。3000キロ以上も離れた広東省の玩具工場で働くウイグル人が漢族に襲われたことに抗議する群衆と治安部隊との衝突は、当局発表で死者197人、負傷者1700人以上の暴動へと広がった。



2013年10月は習近平国家主席誕生から半年後の北京で天安門広場にウイグル人3人の乗った車が突入、炎上する事件が起きた。当局はウイグル人8人によるテロと断定する。
習主席が自治区の初訪問でウルムチを視察した2014年4月にはウルムチ南駅で爆発が起き、82人が死傷した。習近平指導部は一連の事件を契機に、テロ対策を名目にウイグル人の締め付けを強化していく。

国際社会が懸念する人権侵害の一つに、多くのウイグル人が「職業技能教育訓練センター」と呼ばれる施設に強制収容されているのではという問題がある。
不妊手術の奨励、産児制限の厳格化なども指摘されている。中国はセンターでは職業訓練、中国語教育の実施などを行っているだけだとし、不妊手術などはいずれも否定する。
中国政府発行の『中国衛生健康統計年鑑』がその指摘の例証になるのかどうか。同年鑑によると、自治区内で行われた卵管を縛る手術は2014年の3139件が2018年には6万件弱と約19倍にもなった。中国全体では147万件から40万件へと下がっている。男性の輸精管を縛る手術も75件から941件になった。(朝日新聞21年2月5日)


トルコなどに渡ったウイグル人が故郷に残した家族らと連絡がとれなくなる問題も生じている。日本留学のウイグル人学生がパスポート再発行のために中国に戻らなければならなくなったという話も聞く。帰国後については様々なケースが伝えられているが、学生らとの付き合いのある知人らが知る限りでは、再来日は極めて難しいという。


自治区の人口構成にも大きな変化がみられる。
中華人民共和国建国の1949年、ウイグル人は総人口約430万人の76%約330万人を占めていた。漢人は7%に満たない29万人しかいなかった。
漢人の自治区への移住は習近平指導部になって顕著になり、2020年には人口2585万人中、漢人は42%に達し、ウイグル人の45%に迫るまでになった。この流入は政府の強力な政策なのか、あるいは沿海部、農村部での生活に困窮した人たちが「新天地」を求めて西に移っていったのか。
AFP通信は2015年5月25日、戸籍制度改革によって自治区南部では都市部での戸籍取得には必要とされた教育、技能の取得が要件ではなくなったと伝える。


宗教の中国化政策も続く。2015年の党中央統一戦線工作会議で習主席が宗教は社会主義社会に積極的に適応すべきだと強調した後、モスクが危険建造物として閉鎖されたり、最上部のイスラム教のシンボルである「新月」が取り外されたりする事例が増えている。カフェなどに改装され、礼拝所は休憩室などになったところも少なくない。
街の中心部にあったバザールは老朽化、地震対策などを理由に郊外に移され、教育も学校授業のウイグル語から中国語重視という形で進んでいる。



国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は2022年8月31日、「中国政府がテロ、過激派への対策という名目のもと、深刻な人権侵害を続けてきた」とする報告書を発表する。
ウイグル人の「身柄拘束」についても「人道に対する犯罪に当たる可能性がある」として、自由を奪われたすべての人の解放、離反家族再会への安全な手立ての確立など13項目について勧告する。
報告書は様々な資料に現地の状況を直接知る40人の証言を加えて作成したとしている。資料、証言を検証する術はなく、中国側は虚偽と反発する。双方の主張の隔たりは、十分な現地調査が困難な状況下では埋める手立てはない。現状は中国も加盟している国連の報告書をベースに考えるしかないのではないか。





ウイグル人の故地は18世紀になって清朝の統治下に入った。
1884年には新疆省が設置される。しかし、ウイグル人は20世紀の2つの世界大戦に挟まれた時代、短期間だが2度にわたって東トルキスタン共和国を樹立させた。彼等の独立意識は高かった。


自治区は1955年に発足する。「ウイグル」はウイグルの人たちの土地を表し、「新疆」の意味する新しい土地は漢人にとっての「新しい土地」ということだろう。
異なる民族がせめぎ合った歴史を持つ「自治区」は、一つの民族であるウイグル族の独自の文化、言語を尊重するということが、自ずとその成立の前提にあったのではないか。


自治区の中国化はどこまでいくのか。2020年9月、習主席は党中央新疆工作座談会でウイグル人に中華民族との共同体意識を心に植え付けさせるべきだと述べた。目指すところは「新疆省」の再現か。

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