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アジア新風土記(135)台湾・史明文物館

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著者紹介 津田 邦宏(つだ・くにひろ) 1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。 |
新北市・中平路
台北の西を流れる淡水河を渡った新北市新荘区・中平路に、歴史家、史明(本名・施朝暉)が生前暮らしていたマンションがある。
車、バイク、バスに買い物客らが頻繁に行き交う通りから入った先の一棟は格段に変わったところのない普通のマンションだった。
台湾の独立運動家、革命家といわれる人が暮らしていた場所にしては意外感があって、少しばかり戸惑いを感じながらエレベーターの3階を押す。
「史明文物館」は降りた先にドアがあった。
史明文物館があるマンション
文物館は史明の旧宅を整備した記念館だ。
リビングに小さな彼の胸像があり、中二階の書棚には著作が揃えられていた。
奥の部屋のロッキングチェア、ベッドは在りし日の生活を偲ばせる。
洋服掛けに晩年に着ていた服が数着掛けられ、テーブルには皿、椀などが置かれていた。革命家というよりは読書人、思想家の部屋を思わせた。
「革命前夕」が目に入った
2019年9月に100歳で死去してから5年も経っていない時だった。
テーブルの端に触れ、まだ温もりが残っていそうなベッドを眺め、静かな中にも生半可な感動を拒絶する冷徹な意思を感じる。
彼の行動の一つひとつを辿っても、一世紀を生き抜いた人生を追体験することは不可能に近かった。帰り道バスを待ちながら何か感じることがあったのか、あったとしてもそのことをどのように受け止めるのか、という思いが消えなかった。
自問する端(はな)から無謀な試みであることはわかっていた。
生前の史明を思う
史明は1918年11月、台北北部の士林で生まれる。
二日後には第一次大戦が終結した。
台北第一中学卒業直前に日本に渡り、早大に入学する。
西洋の人道主義、民主主義、マルクス主義など多様な価値観に触れる一方で帝国主義国家の植民地政策を学び、卒業後は大陸に渡って中国共産党の抗日運動に加わる。大陸での経験は共産党独裁体制への失望と台湾人蔑視だった。
第二次大戦後の49年、難民と共に台湾に帰り、国民政府・蒋介石政権への武力闘争を起こすが、志半ばのままバナナ船で日本に逃れた。
亡命先の拠点は東京・池袋に開いた屋台の中華料理屋「珍味」だった。
中国・東北地方からの引揚者が多かったことに目をつけた北方料理が評判を呼び、新たに料理店「新珍味」を開く。毎月200万円ほどの売り上げは活動資金に変わった。
この店から台湾での派出所放火、軍用列車爆破などの破壊工作を続け、地下組織結成などに腐心した時代を送る。爆弾も自宅台所でつくり、密航する仲間らに託したといわれる。
93年に再び台湾に戻ってからは人々に台湾の独立を意識させる啓蒙活動へと変わっていく。李登輝が台湾人として初めて総統になった時代と重なり、社会は民主化の道を歩み始めたばかりだった。
史明は国民政府の独占事業だったメディアに抗して「台湾大衆地下広播電台」という非合法ラジオ局を立ち上げ、「戦車(宣伝カー)」で太鼓を叩きながら、民主化を鼓舞する姿勢を鮮明にしていく。
史明の生き方の根底にあった「台湾と台湾人」という強烈な自意識は、池袋時代の62年に上梓した『台湾人四百年史―秘められた植民地解放の一断面』(音羽書房)に結実する。
はしがきには「われわれ台湾人は今日まで、自分たちの住んでいる社会の生いたちには余りにも疎かったし、わが祖先たちが血と汗で築き上げてきた台湾開拓の歴史についても、殆んど断片的な知識しか持ちあわせていなかった」と書いた。
日本の植民地政策によって「日本人」として教育を受けた少年時代、あるいは台湾人の独自性を否定する大陸の人たちとの遭遇が、そのような考えをもたらしたのか。
四百年史の先駆性は30年以上を経た李登輝総統時代に中学校の副読本になった『認識台湾』からもみてとれる。
97年度から中国史の一端として扱われていた台湾についてその地理・歴史・社会を主体的に学ぶ初めての教科書として取り入れられ、生徒たちが台湾人意識を持つことに大きな貢献を果たしたとされる。
2014年3月、台北・立法院前の史明
2014年春、国民党馬英九政権の中国宥和政策に抗議する若者らが立法院(議会)を占拠するひまわり学生運動が起きた時、史明は車いすから学生らに檄を飛ばした。(『アジア新風土記74』参照)
16年の総統選挙では民進党から立候補した蔡英文氏の支援大集会でエールを交換、蔡氏は当選の夜、支持者らを前に「おじさん(史明=筆者注)の言いたいことは分かっている。台湾の総統は気骨を持ち、強靭でなければならないと、台湾の苦境を前に私は絶対に屈しない」と語った。(朝日新聞2016年5月29日)
蔡氏の総統就任後は民進党政権の総統府資政(上級顧問)職への要請を受け入れた。
若者らにとっては伝説の人だった
台湾独立の宿願は「独立した存在」へと形を変えたようにも思える。
政権が大陸との一体感を強調する国民党の手を離れ、民進党に委ねられたことが大きかったからか。路線の変更を自身にはどう納得させていたのか。
史明文物館のパンフレットには「彼にとって体制の内的改革と外的革命は相反するものでも平行するものでもなく、互いに補完し合うことによって台湾の真の独立国家樹立の悲願を実現し得る二本の軸であった」とあった。
史明の死後、台湾海峡両岸はより緊迫度を増しているようにも思える。
台湾政府は26年8月13日の防空演習に携帯電話のデータ通信速度を制限する試みを組み入れた。中国による通信インフラへの攻撃によって社会が混乱した場合を想定した対応策に危機感が窺えた。
台湾の安定した未来が約束されない時代に、彼の独立運動と民主化運動はどのように評価されていくのだろうか。
新珍味は池袋駅近くの5階建てビルにある。
1階から3階までが店舗、4階は23年12月に「東京新珍味史明記念館」が開館、毎月1回の希望者を募っての入館案内がある。
店の狭い階段を上った4階は六畳ほどだった。「四百年史」を執筆した当時そのままの部屋に空調はなく、謄写版が置かれ、畳はぼろぼろだった。
本棚にはバッハの楽譜、西城八十全集のCD版があった。
史明が切り盛りしていたころの看板メニュー「ターローメン」を1階のカウンター席から注文する。
酸味と辛味がミックスしたとろみいっぱいのスープ麺は中国北方料理の「打滷麺」をベースにした餡かけラーメンともいえ、台湾で見かけたことはなかった。
腰の強い麺にたまごが絡まり歯ごたえのある木耳がアクセントになって病みつきになる味だった。
池袋・新珍味
この部屋で「情熱のほとばしるまま」(四百年史はしがき)筆をすすめた
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