アジア新風土記(132)バンコク





著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。











バンコクに暮らしていると早朝のまだ日が昇り切らないときが何者にも代え難いと思える瞬間がある。

中心街サヤーム・スクエア地区に借りていた中層マンションの前庭を出ると小さなクローン(運河)があった。水は流れているかいないかだったが、辺りの空気は冷気を残して清々しかった。

ゴールデンシャワー、ブーゲンビリア、ホウオウボクの木々が所々に枝を広げて水面に木陰を落としていた。バンコクの原風景の一つだったのかもしれない。



タイ北部の山地から流れ出すチャオプラヤ川河畔のバンコクはクルンテープ(天使の都)とも呼ばれている。天使の都は水の都市でもあり、チャオプラヤから延びる幾筋ものクローンが四方に散って、さらに小さなクローンが街の隅々まで行き渡っていた。



女性作家トムヤンティが1969年、第二次大戦中のバンコクで女子大生と進駐してきた日本人将校の恋を描いてベストセラーになった『クーカム(運命の相手)』(『メナムの残照=邦題』西野順治郎訳、角川文庫、1978年)は次のような書き出しで始まる。

「寒季の朝は涼しく霧に包まれている。メナム(チャオプラヤ=筆者注)河は氾濫の時期なので水が溢れている。河を上下している筏も影のように現れては消えてゆく。両岸の家屋も霧の中にぼんやりと浮かんでいる」


小説は主人公の娘が水浴びをして母親に唇が紫色になっているとしかられる話へと続くが、タイの人たちにとって水浴は当たり前のことで、チャオプラヤ川やクローンなどを水上バスなどで走っているとよく見かける。


「いまはすっかりクローンも減って・・・」とバンコクの友人が話す。
思い当たる節もあった。半世紀以上も昔になるが、学生時代に初めてバンコクを訪れた時は水のにおいをまったく感じないような道を歩いていても、ふと気づくと目の前にクローンが現れたりした。水に生きる街と人たちを実感したことを覚えている。



かつては大小合わせて2000以上ともいわれたクローンも、都市機能を拡大させていく中で多くの水路が埋め立てられていった。東京から河川が消えていったのと同じだった。

『メナムの残照』の訳者はあとがきに、大戦当時はチャオプラヤ川には二つの橋しかなく対岸に渡るには渡し舟が普通だったと書いているが、いまは都心部周辺だけでも20前後の橋があるという。


バンコクは年を追うごとに大きく変化していく。
それでも変わらないものもある。

マンション前のクローン近くに托鉢僧をたまに見ることがあった。付近に寺院でもあれば、チャンスはもっと多かったのだろう。




早暁の静まり返った街に、目覚めたばかりの人たちが立っている。
ほどなく黄衣の托鉢僧が黒いバアッ(鉢)を持って現れる。

一人、二人と黄衣の僧侶が続く。

人々は両手を合わせて深く頭を下げ、一椀のご飯を差し出す。
施しは主食のほか、おかずもあればバナナ1本、オレンジ1個のときもある。

彼らの一挙手一投足を眺めていると、信仰に篤い人たちは日々、心の安らぎに包み込まれているのではと感じる。僧侶と信者の周りに漂う穏やかな空気がこちらまで伝わってくるようだった。



タイの人たちが信仰する上座部仏教は厳しい戒律の下での修業を経て解脱、悟りを目指すことに意味を見出すと言われる。

人々の施しは僧侶に食物などを寄進することでタンブンを重ねる(徳を積む)行為だ。仏教国といっても日本は大衆救済に向かう大乗仏教であり、托鉢と施しといったような仕組みとは縁が薄い。


タンブンに深く結びついているものに「微笑(ほほえみ)」があることも友人から聞いた。慈悲、寛容の心を持って執着を捨て、穏やかに人と接することで自ずと微笑も生まれる。「微笑は善良な人たちに限ったものでもない。揉め事防止の自己防衛的な意味もある。惑わされないように」とも忠告された。



友人の話はバンコクで生活する上での一つの心構え、行動基準になった。
特にタクシーはメーターのない車もあれば遠回りされることも多い。
ドライバーと言い争いになりそうなこともあったが、抜き差しならないような状況だけは避けた。

バイク、トゥクトゥク(三輪タクシー)などの接触事故、トラブルは大通りでも裏道でも日常茶飯だった。激しい口論になっても笑顔を絶やさない人たちを見ると、どちらかが堪忍袋の緒が切れたら修羅場になるのかと心配になる。

タイでは登録済みの銃だけでも約600万丁といわれ、銃関連犯罪は2023年の法務省統計では8万件を超える。彼の言葉を肝に銘じながら、笑顔の裏側に潜む危険性を改めて考えることもあった。


タイ人の微笑とは何か。その奥底に隠されているものは何か。
様々な感情、気持ちを込めた微笑もまた一つの「行い」としてタンブンを重ねたことになり、仏法に深く帰依して生きている証(あかし)なのか。


バンコクの路地、小道は通りがかりに小さな祠を目にすることも多い。
その土地、家屋などの守り神、精霊を祀る祠にさりげなく手を合わせる人たちがいた。通勤途中に立ち寄った人、買い物ついでに足を運んだ人に、優しい柔らかな表情をみる。都会の真ん中での普段着の祈りは久しく忘れていた心根に触れ、不思議な感動だった。




チャオプラヤ川はタイの中心部を下り、バンコクを経て35キロほどでタイ(シャム)湾に注ぐ。

本流だけでも370キロの大川の川幅はしかし、メコン、長江、インダスといった大河に比べて狭い。船底の浅い船外機で80キロほど上流のアユタヤまで遡ったときは、両岸に農作業をする人たちの姿が鮮明だった。

小さな渡し場には水を汲みに来ていた少女がいた。水量は豊かでもバンコクとアユタヤの2~3メートルの高低差は流域の流れに大きな変化を見せない。



アユタヤ王朝のころは傭兵駐屯地と寒村に水田が点在するだけだったバンコクは1782年、チャクリー王朝ラーマ1世が王宮、ワットプラケー(エメラルド寺院)を築いて都とした。

微かな波紋を残す小船から、チャオプラヤ川河口近くに湿原、沼地が広がる往時と200年をかけて現出した大都を思った。


SHARE シェアする

このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 高文研ツイッター

  • 紀伊國屋書店BookWebPro

  • 梅田正己のコラム【パンセ】《「建国の日」を考える》

  • アジアの本の会

  • アジアの本の会 ホームページ

  • 津田邦宏のアジア新風土記

  • 平和の棚の会

  • おきなわ百話