アジア新風土記(121) カトマンズの若者たち





著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。






カトマンズの若者たちの反政府デモが政権を倒したネパールで2026年3月5日、総選挙(下院、定数275)が行われ、新興の国民独立党(RSP)は首相候補のバレンドラ・シャハ前カトマンズ市長(35)が東部・ジャパ郡の選挙区でオリ前首相を大差で破るなど圧勝した。

下院は小選挙区165議席、比例代表110議席で争われ、RSPは過半数を超える182議席を獲得して単独政権樹立を確実にした。





シャハ氏は22年のカトマンズ市長選に無所属で立って当選、主要会議のライブ配信、ごみ処理問題に取り組んできた。
今回は市長職を辞して4年前に創立したRSPとの協調に踏み切っての選挙戦だった。
インドの大学などで土木工学を学び、15年の大震災時は災害現場で住宅再建などに携わった経験を持つ。12年にはラッパーとしてデビュー、「バレン」の愛称で親しまれるヒップホップ界のスターでもある。


新しい風は人口3000万人、面積が日本の4割ほどの小国に順風となって吹き続けるか。課題は山積している。

26年に国連が定めた後発開発途上国(LDC)からの「卒業」を目指し、23/24年度の国内総生産(GDP)426億ドルは5年前の1.5倍になったが、GDPの2割以上は300万から400万人ともいわれる海外出稼ぎ労働者からの送金だ。

暮らしに直結する消費者物価は上がり続け、失業率は10%を超える。ヒマラヤ観光などの観光業、農業の他に新たな国内産業をいかに創出していくか。
輸出に比べて輸入が約10倍という極端な貿易の輸入超過も早急な改善策は見つからない。

インドと中国とのバランス外交も求められる。

最大の交易相手国インドは輸入が全体の6割を越え、輸出も7割近い。
中国は輸出こそ2%弱だが、輸入は約20%でインドに次ぐ。
親中派だったオリ前首相は地元のジャパ郡に中国の融資による中国ネパール友好工業団地の建設を推進していた。

地域振興の核という名目の事業もオリ氏敗退で先行きは不透明になった。
ジャパ郡はネパールの最東南部に位置し、インドのインド亜大陸部分と北東部を結ぶ「シリグリ回廊」と国境を接しているだけに、インド側の関心も高い。
中国による軍事転用を懸念する声も聞かれる。
シャハ氏は明言を避けているが、難しい判断を強いられることになりそうだ。


ネパールは08年に王制が廃止され、連邦民主共和国の時代に入る。
ネパール会議派、ネパール共産党、共産党毛沢東主義派の既成政党3党は連立工作を繰り返し、政権交代は13回にも及んだ。

硬直した政治状況の中で、ポストの分配、省庁人事、公務員試験などでの贈収賄は日常茶飯になり、首相の親族が主要大臣に登用されるなど身内を優先させるケースまで出ていた。政党幹部の子女らが高級ブランドを身に着けて海外のリゾート地で豪遊する様子がネットなどで拡散され、縁故主義による政治家一族らの富の独占などへの怒りはいつ爆発してもおかしくなかった。



25年9月、カトマンズの若者たちを中心に政府のSNS遮断に端を発した抗議行動は市民らも同調して全国の反政府デモへと拡大した。
一部は暴徒化して議会、ホテル、政権幹部の自宅、刑務所などを襲撃、放火、警察当局との衝突で70人以上の死者が出た。
オリ首相は辞任を余儀なくされ、ポーデル大統領は下院の解散を発表する。

若者たちの行動を支えたゲームアプリは大量のデータをやりとりできることから、情勢把握、今後の展開への意見交換などで重要な役割を果たし、全く知り合うこともなかった人たちを連携させるツールになった。
ジャカルタで直前に起きた政権を追及する動きなどが動画で瞬時に伝わり、勇気づけたことも大きかった。



ネパールに初めて訪れたのは50年以上も昔だ。

海抜300メートル以下のインド平原から車でカトマンズに向かう途中、環境に順応して移りゆく風景を飽きることなく眺めていた。
亜熱帯の密集した木々に苔が絡みついて狂おしいほどの森は、空気が肌に心地よくなっていくとともに照葉樹、針葉樹の疎(まば)らな林へと変わっていった。

標高1400メートル前後のカトマンズ盆地に入ると遥か前方にヒマラヤの山々が望めた。マヘンドラ国王治政下の都はのんびりとした穏やかな佇まいをみせていた。人々の暮らしも貧しいながら落ち着いた平穏な営みの中にあった。

日常雑貨などはインド製品が多く、ヒマラヤを越えた先の中国はまだ他国に影響を与えるほどの大国ではなかった。静かな山国がやがては王政の崩壊、さらには激しい反政府デモが起きることなどは想像もできなかった。



カトマンズの若者たちが政権を糾弾する姿、総選挙に勝利して気勢を上げる姿に、かつて歩いた街と若者らを思い起こす。

そのころのカトマンズは「ヒッピー」と総称された米国、欧州、そして日本からの若い旅行者で溢れていた。ヒッピーは1960年代に米国に生まれ、ベトナム戦争を否定し、既成の社会体制などを批判、精神的な自由を求めた運動だった。

通りを歩く彼らは多く、争いとは対極にある社会を模索していた。
現実逃避という言われ方もしたが、みな優しい目をしていた。
同じ通りを行き来するネパールの若い世代は、時に欧米の若者らの影に隠れて消えてしまったと思うことさえあった。


半世紀という歳月の長さと重さを思う。
ヒッピーを生んだ米国はベトナム戦争からの教訓を省みることなく、いままた新たな戦争に突き進んでいる。
民主社会を封殺する国家権力の存在はなくならない。

カトマンズの若者らが歓喜するそのとき、わずか2か月前に政権批判に立ち上がったイランの若者らは米軍、イスラエル軍の熾烈な空爆と治安部隊の厳しい弾圧にさらされているのではないか。

ミャンマーには銃を取るか国外に脱出するかの選択を迫られる学生がいる。

香港は自由を訴える人たちは沈黙を強いられ、当局の拘束を恐れて海外に逃れても香港の親族が国家安全維持法(国安法)の条例違反によって処罰される社会が生まれている。


カトマンズで若者たちはいま、最新のノウハウを駆使して政治に参加している。
彼らの怒りはすぐさま果実となって目の前に現出した。

この春はそのことの「幸せ」を感じる日々になるのかもしれない。
その幸せをつかの間の思いに終わらせることなく、いかに持続させていくか。
教科書はない。

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