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アジア新風土記(113) ASEAN 11

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著者紹介 津田 邦宏(つだ・くにひろ) 1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。 |
マレーシアのクアラルンプールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議は2025年10月26日、東ティモールの加盟を正式に承認、「ASEAN11」が誕生した。02年にインドネシアから独立したアジアで最も新しい独立国は11年の加盟申請から14年目にしてようやくASEANの一員となった。
会場に東ティモール国旗が掲げられ、グスマン首相は「今日、歴史がつくられた。我が国にとって新たな始まりだ」と喜びを語った。ASEANの新規加盟は1999年のカンボジア以来26年ぶりになる。
東ティモール、ASEANに正式加盟 格差解消、対中姿勢が焦点に https://t.co/A0dwMnzXvS
— 朝日新聞国際報道部 (@asahi_kokusai) October 26, 2025
東南アジア諸国連合(ASEAN)は26日、東ティモールの加盟を正式に承認した。新規加盟は1999年のカンボジア以来で、東南アジアの11カ国全てがASEANのメンバーとなった。
東ティモールはオーストラリアの北にある小スンダ諸島・ティモール島東部に位置し、長くポルトガルの植民地だった。ポルトガルの撤退後、1976年にインドネシアに併合されたが、99年の住民投票によって独立への道が開けた。
人口140万人、面積1万5000平方キロの小国の24年国内総生産(GDP)は約20億ドル。国の歳入の約8割を石油、ガス資源が占め、他にコーヒーの栽培でも知られている。
インドネシアからの独立運動が過酷なだけあって、公正な社会への国民の意識は高いが、天然資源に依存する経済の脆弱性などへの懸念から加盟が遅れていた。若者らの就職は限られ、オーストラリア、英国、韓国などへの海外出稼ぎ者からの送金は21年のGDPでみると8.7%、1億7100万ドルに達した。(『アジア新風土記28』参照)
ASEAN各国はASEAN物品貿易協定(ATIGA)に基づいて2018年までに域内の関税が原則すべて撤廃されている。電子決済、越境データフローなどに関するデジタル経済枠組み協定は26年にも発足する。東ティモールもまたこうした経済的な恩恵を享受できることになった。
ただ、石油などの資源は新たな開発をしなければ早晩、枯渇するとの予測もある。ラモスホルタ大統領は加盟を機に、近海でのガス田開発などで域内の投資拡大に期待すると語るが、どこまで魅力的な市場になるか。(「朝日新聞」25年10月23日)
独立直前の首都ディリは目抜き通りを車で10分もいけば、街としての佇まいを探すことは難しかった。貧しかった街並みは整備され、首都としての一応の体裁は整えられた。現状はしかし、主要政府庁舎の建設などで中国の経済協力が目につく。早ければ29年にも回ってくる議長国として国際会議場、ホテル、空港施設などのインフラ整備を急がなければならない。中国の支援なしでスムーズな準備ができるのかという指摘もある。
ASEANにとって中国との距離の取り方は常に懸案事項だ。
フィリピンのように南シナ海の排他的経済水域(EEZ)内にあるスカボロー礁周辺海域などで艦船同士が直接対峙する加盟国がありながら、一致団結して向き合えない背景には中国の経済支援がなければ国家経済が立ち行かない国があるからだ。
ラモスホルタ大統領は「中国は友好的な国だ。南シナ海の軍事化は不要だ」と述べるが、フィリピンにとっては受け入れ難い言葉だろう。
東南アジアの11か国すべてが加盟国になったというニュースに、改めてその存在意義はなにかと思う。
1967年の発足から域内の経済成長、社会文化の発展を目指してきたものの、60年近い歩みのなかで、地域共同体として結束して取り組んだことはあったのかどうか。そのような状況が生じなかったともいえるが、強いASEANを望んでいないのではと疑問を覚えたときもあった。
「全会一致」という発足以来の原則に拘泥する限り、これからも強力な姿勢は望めそうにない。南シナ海問題は東ティモールの加入で中国への対処が一段と複雑になるかもしれない。毎年のASEAN首脳会議も米国、中国などのトップらが顔を合わせる場となり、そこにASEANがイニシアティブをとって世界に発信する力とチャンスはほとんどない。(『アジア新風土記22』参照)
国際社会、欧米などの先進国にASEANを対等な相手とする認識は稀だった。
98年春、ロンドンのアジアと欧州の対話促進を目的としたアジア欧州会合(ASEM)に、ASEAN各国はアジアを代表する思いでヒースロー空港に降り立った。
経済発展と共に民主社会を求める勢いが各国にはあった。長い内戦を終えたカンボジアは国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)管理下の総選挙によって開かれた政治がスタートしていた。タイではこれまでで最も民主的といわれる憲法が成立していた。
88年の民主化運動が軍事クーデターによって頓挫したミャンマーでもアウンサンスーチー氏指導の運動は粘り強く続いていた。
インドネシアはスハルト独裁政権が市民たちの怒りによって崩壊する直前だった。東南アジアの人たちは未来に明るい展望を描いて生きていた。
4月上旬のロンドンはまだ肌寒かった。コートが必要な陽気に迎えられた外交団は、気温以上の「寒さ」を感じ取っていた。
欧州のアジアへの関心はあくまで中国だった。英国のファイナンシャル・タイムズ紙は一面で朱鎔基首相の笑顔を紹介、テレビはASEMを欧州連合(EU)と中国の会議と伝えていた。
フィリピンの高官は「冷たすぎる」と批判、ASEANスタッフらも「中国だけがメディアになぜ厚遇されるのか」と嘆いた。
ロンドンのASEM会合から四半世紀ほど経った。
東南アジアの状況は大きく変わり、各国で民主社会の後退は明らかだ。
カンボジアはフン・セン氏が政権を子息のフン・マネット首相に譲って「院政」体制を築く。タイでも民主化の動きは抑えられたままだ。
インドネシアのプラボウォ政権はいつ強権国家に戻っても不思議ではない。
自由な社会が実現したかに見えたミャンマーは軍事クーデターによって民主政権が倒れ、国軍と民主派勢力、少数民族との内戦状態下にある。
東ティモールのASEAN加盟を決定した首脳会議はミャンマー軍事政権が主導する総選挙への選挙監視団派遣要請に、「留意する」との声明を発表しただけだ。
2021年の軍事政権への特使派遣など5項目合意事項が守られていない中で打つ手はなかった。軍事政権と緊密なベトナム、カンボジアなどが独自に監視団を派遣する可能性もあり、ASEANの一体感が問われるかもしれない。
ASEANは東南アジアの現代史にどれほどのことを刻んできたのかとも思う。
加盟国はいま、それぞれがそれぞれの事情を抱え、地域共同体としての明確な理念を欠いたまま「漂流」している。
東ティモールはどのような果実を得るのだろうか。
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