『日本ナショナリズムの歴史 全四巻』読者から著者への感想を紹介します2

たいへん勉強になりました
                        宮原廣司


拝啓
寒さ厳しき折ですが、お元気でしょうか。小生は先々週風邪で4日間寝込み、一週間不調をかこちました。そのため、年末に読み始めた御著『日本ナショナリズムの歴史』全4巻の読書も中断し、昨日やっと読み終わりました。
それで早速、一読後の感想の一端を送らせていただきます。



「大変勉強になりました」という一言に尽きます。どう勉強になったかというと、まず第一は、日本の歴史をはじめて本当の意味で「つながり」としてとらえることができたことです。

日本のナショナリズムの生成、発展、逆流の過程という一本の糸でつなげて日本の歴史をとらえることができました。「歴史認識」というのは、歴史をつながりとして理解していくことなのだということがわかりました。

読みながら「なるほど、なるほど」と得心できたときには、新鮮な感銘を覚えました。








実は、私は工業高校の電気科に進んだために、高校では、普通高校のように日本史5時間、世界史5時間というように勉強はせず、2年生の時に日本史と世界史を抱き合わせで5時間勉強しただけでした。

そのため、授業は中途半端で駆け足でした。大学受験に当たって、日本史を独学でやり直しましたが、受験勉強でしたから、歴史事項や事件、人物を覚えただけでした。ですから、私の頭には歴史事項や事件、人物が断片的に詰め込まれていただけでした。

たとえば、本居宣長も、江戸時代の国学者、『古事記伝』の作者として覚えているだけで、国学とは何で、宣長が何で『古事記伝』を書いたのかという理解のつながりはありませんでした。



また、島崎藤村の『夜明け前』も興味深く読んだのですが、国学に対する理解不足からか、明治維新への勉不足からか、主人公の青山半蔵が何で平田篤胤に傾倒していったのかが分かっていませんでした。

それが、日本ナショナリズムの形成を解き明かした御著を読んで、これらのことがみごとにつながってとらえられてきたので、目からうろこの落ちる思いを持ちました。






次に、先に述べた高校時代の歴史学習のハンデもあって、ご多分に漏れず私の歴史学習も近現代のところがすっぽりと抜け落ちていました。

そのために、明治維新とは何だったのかと言うことがぼやけていたのが、明確にスポットが当てられた思いです。これが、勉強になったことの第二です。



一応の歴史学習で、明治維新が西欧の市民革命ではなく、下級武士たちの蜂起による権力移動でしかなかったということは知識として知っていたのですが、ではなぜそれが起こったのかはわかっていませんでした。それが、日本ナショナリズムの形成のつながりの中に位置づけられてみると、ストンと落ちてきたのです。

伊藤博文についても、松下村塾の吉田松陰の弟子の一人で、初代総理大臣、英国に派遣されたという知識は持っていましたが、それだけだったのに、この本を読んで明治維新とその後の明治政府の中で果たした役割というのが、「神権天皇制」創出とかかわりながらやっと理解できました。








ところで、私は縁あって、元出版労連副委員長の笹岡氏がこの著書を読んだ感想を梅田さんに送ったメールのコピーを読む機会を得ました。その氏が書かれた感想に同感するところがたくさんありました。勉強になった第三のことは、その笹岡氏の感想の中心と重なります。

笹岡氏は、「私が長年持っている『何故に、日本人は天皇制と縁が切れないのだろうか』という疑問にこの4巻に及ぶ著書が正面から答えてくれた」と述べていますが、私も同じ疑問を持っていました。

それが、この本を読み進め、歴史のつながりを見ていくうちに、笹岡氏が言われるように「日本の歴史の中で、権力者が『天皇』を利用することによって国民を支配しようとすることが今も連綿と続いている」ことが解き明かされ、分かってきました。

つまり、作られた支配の構造の中に国民が巧みに絡め取られているということです。国家を優先させる思考回路の中に国民を巻き込み、マインドコントロールしていく装置が天皇制だったのです。



では、そこから抜け出ていくにはどうすればよいのか。それはおそらく、ひとつは、貴兄がいわれているように、国民が「歴史認識」を鍛えていくことでしょうが、いま一つは、明治維新でも、敗戦後の戦後総括でも希薄なまま過ぎた個人の尊厳にもとづく市民社会への転換の自覚を国民の間に作り出すことでしょう。

その両方が表と裏の関係で必要になるでしょう。そのためには、前者の場合は最終章で貴兄が言われた、「日本ナショナリズムがどのように形成されてきたのか、その本質は何なのかを知る」「日本近代史の学習運動」が必要でしょうし、後者の場合は、憲法九条の平和主義を守ることにとどまらず、個人の尊厳にもとづいた現憲法体系の主人公となる総学習運動が必要になるのではないでしょうか。


「この(日本国憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」(旧教育基本法前文)としてきましたが、ズタズタにされた今の学校現場にそれを求めることが難しいとすれば、学校教育にそれを求めていけるような市民運動としての憲法総学習運動を作って行くしかないだろうと思います。

そうすると、日本に市民社会を構築していく道はまだまだ長くかかるでしょうが、その芽を確かに育てていかなければならないと思います。







勉強になったことの第四は、日本と朝鮮の関係の理解です。

日本帝国主義は、中国に対しても満州その他に侵略を進めて行きましたが、国全部を蹂躙することはできませんでした。それに対して、近現代の歴史で日本からまるごと蹂躙を受けたのは朝鮮の人々でした。その中で受けた屈辱がいかばかりかがよくわかりました。


そうわかってくると、韓国の人たちが従軍慰安婦の問題にいまだ強くこだわり、怒り続けているのはなぜなのかが見えてきました。従軍慰安婦の問題は、日本の残虐な支配の最たるものでした。

それなのに、日本政府は慰安婦だった当事者に正面から謝罪せず、日本から拠出した10億円(2015年12月の日韓合意)を支払うことで「もう済んだこと」にして終わらせようとしている。支配の歴史の責任をうやむやにしようとしているのが許せないのでしょう。

支配された民族の苦痛を忘れてほしくないという気持ちを慰安婦問題を通して訴え続けているのでしょう。それが少女像を設置させるのでしょう。








以上、感想の一端を述べてきましたが、その他にもたくさん学ばせていただきました。それはここには取り出しきれませんが、今後とも自分の歴史認識を鍛えるために役立たさせていただきたいと思います。



終わりに、最終章で高まっていく貴兄の問題提起の息づかいにこちらも興奮いたしました。そして、Ⅳ巻の後書きを読んで、大変なご病気を克服しながら、また、奥さまのご不幸に見舞われながら、気力を振り絞って完成されたご奮闘を知り、涙が湧いてくるのを禁じ得ませんでした。



私も機会を見ては、この本の紹介と頒布に微力を尽くしたいと思っております。ご健勝をお祈りいたしております。


2018年1月25日

                                                          敬具





梅田正己様


                          宮原廣司拝

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