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アジア新風土記(125)ラダックのチャム(仮面舞踊)

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著者紹介 津田 邦宏(つだ・くにひろ) 1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。 |
ラダックの旅を続けたい。
レーの町からインダス川沿いに下ラダック地方を西に下っていく。
ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈の間を流れるインダス川の流域は標高4500メートルほどのチベット高原から西に高度差約1000メートルの「回廊」のような地勢だ。
レーとインド平原を結ぶ街道はタクランラ峠(標高5360㍍)を越えなければならず、冬は通行不能になる。インドに栄えたヒンズーの文明がラダックに入るにはヒマラヤの山々は高く厳しかった。
インダス川はレーから36キロほどのニンムの村でヒマラヤに連なるザンスカール山脈を源流とするザンスカール川に合流する。
鼠色のザンスカール川の流れは速く、少し遡ったところでラフティングの人たちを見る。
チベット世界に突然割り込んできた現代スポーツに少し違和感を覚え、ラダックに入ってわずか数日で悠久の時を過ごしていると錯覚する自分を笑った。
街道から二つの激流のせめぎ合いを見下ろし、インダスがインド洋に流れ込むまで幾多の支流を呑み込む姿を脳裏に描きながら、朧げに「大河」の輪郭というものを想像した。
ラダックで最も権威あるゴンパの一つ、リキル・ゴンパ
緑豊かとは無縁の大地の街道筋にあって、レーから約60キロのアルチの村は青々と茂るポプラ、アンズの木々と岩山とのコントラストが美しく、大麦の収穫に勤しむ村人の姿が見えた。
アルチ・チョスコル・ゴンパはラダックの100を超すゴンパ(チベット寺院)の中でもチベット仏教美術の粋が揃っていることで知られる。
スムチェク(三層堂)という堂は入口上部にカシミール様式の三角の木枠が施され、中心に仏像が彫り込まれている。吹き抜けの内部は撮影が禁止されていた。
一階の左側壁画にある小さな女神像、ターラ菩薩(緑ターラ)が心に残る。
肉感的でさえある細長い目は、同じく細長い半月の眉と相まって見る人を惹き込む。信仰というよりは美の対象に相応しいとも感じるのは、敬虔な人たちには冒瀆以外の何物でもないのだろう。
ガイドブック『アルチ』の表紙を飾るターラ菩薩(Likir Monastery出版、2010年初版)
チベット僧の生の声は山懐のリゾン・ゴンパが初めてだった。
日はまだ上り切っていなかった。涸れ谷の先に朝の勤行をする六人の僧たちがいた。老僧がいる。若い僧もいた。
本堂の主尊と左右のタンカの前で読経が続き、ンガ(太鼓)が節目ごとに打ち鳴らされ、ゴンパは生きていると実感する。
アルチで出会った老女
マンギュ・ゴンパのナンパ・ナンツァ(毘慮遮那如来)
チベット仏教・ゴンパの最大の行事は年に一度のチャム(仮面舞踊)だ。
8世紀、高僧パドマサンバヴァ(蓮華生)がインドからもたらしたとされ、インド仏教(密教)と土着のボン教の影響が強いといわれる。
宗派によって多少の違いはあるが、ヒマラヤ山麓一帯、ブータン、シッキムなどで行われている。
ラマユル・ゴンパでチャムの練習をする僧侶たち
ラマユル・ゴンパのチャムは7月の暑い日だった。
近在からは村人らが歩いて、トラックに相乗りして駆けつけていた。
レーからすでに125キロも下った辺りはレーを取り囲む山々と同じような岩山ばかりだったが、岩肌ははるかに峻険だった。
灰色の山腹に建てられたゴンパの中庭でチャムは始まる。
空にはまだ月があった。
チャムに駆けつける人たち
チャム風景
道化師役の僧侶が一人、一人と登場して静かにゆっくりと踊り出す。
ドゥンチェン(ホルン)、ンガ、ギャリン(短い笛)、ロルモ(シンバル)の伴奏が流れ、マントラの声明が響いた。
チャムの仮面たち
彼岸の心象風景を表す踊りは十分から三十分を超えるものまで多彩だった。
奇抜な面々は三眼の忿怒相、白面に烏天狗のような顔もある。
仮面は中央アジア渡来ともいわれる日本の伎楽面を想起させ、思いは古の時代に開かれた法会の舞台へと飛躍した。
忿怒相の頭上には貪欲、妬み、欲情など人間の五罪に対する克服の象徴である髑髏が飾られ、首飾りなどにも魔除け、再生を意味する髑髏があった。
どの衣装も華やかな模様をつくり、色合いも極彩色に満ちていた。
着衣の下に見える臙脂色は法衣だろうか。踊り手は皆チベット靴を履き、旗持ちや楽士にはスニーカー姿もいて、わずかに現代に執り行われている祭りを垣間見せていた。
チャムの最後はツァンパなどで練った人形ダオを倒して終わる。
ダオは仏教の敵、あるいは煩悩であり、その破壊にチャムの目的があるとされる。
レーの旅行コーディネーター上甲紗智さんは、上ラダック地方にあるタクトク・ゴンパの高僧ロブサン・スムスタ師の話を紹介する。(NHK 『GIGAKU 踊れシルクロード・後編 』2023年3月17日)
「チャムは死後の世界を表現しています。それを見ておけば死後の世界で驚かずに済むのです」「もし怖がったら魂が行き先を見失ってさまよってしまうのです。チャムで神々の仮面を見ておけば死後の世界で神様が現れても恐怖を感じません」
ニダプク石窟ゴンパの入口は狭かった
石窟ゴンパ内の壁画、グヒヤサマージャ(密集金剛)
インダス川沿いの道はカイバル峠からアフガニスタンへと通じ、流れのままに足を運んでいきたい衝動に駆られる。
パキスタンとの停戦ライン近くに暮らすドクパの人たちは、西方への思いを少しばかり満足させてくれた。
パキスタン支配地域のギルギットあたりから来たと伝えられるアーリア系の民族は人口3~4千人ほどでドクスカット(ドクパ語)を話すが文字はない。
ラダック人とは文化も言語も異なる人たちだ。
街道から小渓谷を登っていくとドクパ人の村、ダーに着く。
岩山の傾斜地に石積みの家が並び、小さなチョルテン(仏塔)が建っていた。
豊かな水が大麦畑、野菜畑を潤し、周りにはアンズ、クルミの木々があった。
石窟ゴンパからインダス川流域を望む
「花の民」といわれ、いつも頭にショクロ(ほうずき)や花々を挿頭(かざ)す。
ショクロの由来はわからない。秋の収穫祭は女性たちはより鮮やかな花飾りをつけると聞く。山間の小さな村に現出する華やかな祭りを思った。
ショクロを挿頭(かざ)したドクパの人たち
ドクバの人たちの彫りの深い顔立ちにガンダーラの仏像たちが重なる。
ヘレニズムと仏教が融合したガンダーラの世界はアレキサンダー大王の東方遠征によってもたらされた。
紀元前334年にマケドニアから出征した大王はインダス川まで達した。
ドクパの人たちは遠征から二千三百余年を生きる大王軍の末裔なのかもしれない。
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