アジア新風土記(118) ミャンマーカレー





著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。





香港の銅鑼湾(トンローワン)地区にトラムが走る軒尼詩道(ヘネシーロード)からビクトリア港に向けて通りを二つほど入っていくと、小さなミャンマーカレー屋があった。

何気なく入ったその店のチキンカレーの旨さは絶品だった。少しばかりスパイスが効いて極端に甘くも酸っぱくも辛くもなく、インディカ米のご飯にほどよくマッチした。チキンの柔らかさも絶妙だった。何の変哲もない店構えに10人が座ればほとんど一杯になる食堂だっただけに、味との格差に驚いた。



ミャンマーのカレーはミャンマー語で「ヒン」と呼ばれ、大量の油で玉ねぎなどをじっくりと炒めて甘さを引き出すことに特徴がある。ターメリック、唐辛子、ニンニクなどのスパイスも限られ、インドのように多くを使わず、タイカレーに欠かせないココナッツミルクも入れないという。

南北に1400~2000キロ、東西でも900キロの国土を持つミャンマーは多くの民族が暮らし、気候風土も異なる。カレーも基本的な調理法は同じでも、地域によって様々な味になる。

香港のカレーはミャンマーのどの辺りの味をベースにしていたのか。店の奥の厨房では長身の男が一人でカレーをつくっていた。彼がミャンマー生まれのミャンマー人だったら、故郷の味を毎日再現していたのだろうか。



一度来て食べて、しばらくするとまた恋しくなって注文するといったことをしばらく続けていたが、ある日行ってみると、店は開いていなかった。店仕舞いの前触れはなく、突然の閉店だった。店主はどういう経緯で香港に来たのか、絶品のカレー味をどのように引き出していたかなど、顔なじみになっておいおい聞こうとしていたのが、すべてわからないままになってしまった。20年ほど前のことだ。
当時のミャンマーは軍事政権、国家平和発展評議会(SPDC)の時代だった。軍政に抵抗して国を脱出したのかもしれない。いまも想像だけが独り歩きしている。


ミャンマー国外に暮らすミャンマー人との出会いは、思いもかけない時と所で経験することがあった。台北に「ミャンマータウン」のあることを知人から聞いたときもそうだった。

台北の南西部、淡水河を渡った先にある華新街は500メートルほどの通りの入口に「南洋観光美食街」の柱が立ち、両側には食堂、雑貨店、市場が並んでいた。
店先の通路の上は家屋の二階部分が迫り出す日本の雪国の雁木造りにも似た騎楼が続いていた。食堂のメニューは丸っこいビルマ文字が綴られ、男たちが店先にまで置かれたテーブルを囲み、聞き馴れない言葉で話していた。
華新街のある新北市中和区には5万人前後のミャンマー華人・華僑が生活しているという。国を出た理由は政治体制への不満、経済的な発展を求めてなど様々だと知った。



華新街は「緬甸(ミャンマー)街」と呼んだ方が通りがよかった

華新街に足を運んだのは2014年の年明けだった。長く続いた軍政が終わり、国軍出身のテイン・セイン大統領による民主化が進んでいた。
ミャンマーの人たちが希望に満ちた未来を実感できたとき、騎楼では新しい国造りへの期待から、国に帰る喜び、故郷に仕事を探す計画が語り合われていたのではないか。



「美食街」の名の通り、一般的なミャンマー料理から少数民族、中国・雲南料理などの店があった



ミャンマー人はミルクティーが好きだ。騎楼での語らいもミルクティーの注文から始まる


15年11月の総選挙で政権を担ったアウンサンスーチー氏率いる国民民主同盟(NLD)と人々の夢は21年2月1日の軍事クーデターによって瓦解する。

NLD政権崩壊後のミンアウンフライン最高司令官をトップとする軍事政権は26年で6年目に入る。東南アジアにはフン・セン元首相が権力を掌中に収めるカンボジア、強権化が進むプラボウォ大統領のインドネシアなど問題を抱える国が少なくないが、内戦状態のミャンマーほどの平和から遠い絶望的な国家はないのではないか。
24年から導入された徴兵を忌避する若者らをはじめ国から脱出する人、避難する人はいまも増え続ける。



軍政下初の総選挙(上下両院で664議席)は25年12月から26年1月までに3回に分けて行われ、国軍系の連邦団結発展党(USDP)が上下両院で圧勝、選挙を経ない軍人枠(全議席の25%)と合わせて過半数以上を獲得する。民主派政党で選挙に参加した人民党は辛うじて1議席を確保した。
しかし、民主派の国民統一政府(NUG)、少数民族武装勢力との武力衝突などが相次ぐ約2割の郡区では実施が見送られた。選挙後も国軍との三つ巴の戦闘が続くことに変わりはない。

内戦と総選挙の中でスーチー氏の存在はすっかり消えてしまった。消息は国外には全くと言っていいほど伝わらず、国内でも国軍報道官が総選挙実施初日に「彼女は犯罪者」と僅かに言及した程度だ。

スーチー氏の次男、キム・アリス氏は25年12月12日に来日、クーデター後の連絡は「1通の手紙だけ」と述べ、軍施設で拘束が続いていると推測、「心臓、歯が悪く、適切な治療を受けられていないようだ」と語る。


スーチー氏に直接会ったことはない。ヤンゴンでの自宅軟禁と密かに抜け出して再び拘束という状況を繰り返していたSPDC統治の時、自宅近くまで行ったことはある。警察官らが辺り一帯を遠巻きにしていた。
集まっていた人々の肌に触れ、その熱気に包まれ、改めて彼女が市民の支えになっていることを実感した。



5年前のクーデターについては、いまも疑問に思うことが多い。
20年の総選挙でNLDが大勝した後、スーチー氏らは国民の支持を過信してクーデターを予測できなかったのか。国軍が強(したた)かなことは身をもって経験してきた彼女が、その力を侮ったり見誤ったりすることはなかったはずと思うのだが、テイン・セイン大統領退任後の国軍幹部との付き合いは希薄だったとの指摘もある。

80歳の現在、汚職などの有罪判決による27年の刑期を全うすることは不可能に近い。現在の政治体制に変化が起きない限り、彼女からクーデターまでの情勢について聞く術はない。


ミャンマー東北部、カチン州とシャン州の高原地帯はミャンマーコーヒーの産地だ。19世紀中頃から栽培が始まり、1980年代になってケシに代わるものとして盛んになった。

シャン州の産地の一つ、イワンガン村のコーヒーを東京のコーヒー専門店で見つける。中煎りの味は香りが豊かで軽い酸味のすっきりとした余韻を残した。
店員によると、豆は24年の6月に仕入れたという。在庫が切れれば、この先の入荷予定はないと話してくれた。


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