- NEWS
アジア新風土記(102) フィリピン中間選挙の波乱
著者紹介 津田 邦宏(つだ・くにひろ) 1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。 |
フィリピン南部、ミンダナオ島のダバオは明るく開放的だった。
水色の空に輪郭を曖昧にした白雲が伸びやかだった。
通りは大きく広がっていき、時折目につく高層ビルも大都会の圧迫感には程遠い。
街全体のゆったりとした雰囲気は首都マニラのようなざわざわとした空気とは少しばかり違っていた。
ダバオ市区の約2400平方キロに及ぶ広大なエリアは原生林、植林地が半分を占める。ミンダナオの豊かな自然をより身近に感じさせ、森に生息する世界最大級のフィリピンワシが市街地の上空にも飛んできたという。
体長は1メートル、翼を広げると2メートルにもなるフィリピンの国鳥はいま、森林伐採、密猟などで個体数が激減している。
かつて立ち寄ったとき、空と雲の中に飛翔する姿を探したが、見上げてもよほどの僥倖を期待しなければ叶わない遭遇だった。
ダバオは赤道近くの北緯7度に位置する。
太平洋上で発生する台風の北上コースよりも南にあり、一年を通じて天候は安定している。
ダバオに暮らしたことのある知人は「天気は穏やかで人々ものんびりとしていた。市場に近海のマグロ、カツオ、ロブスターなどをよく買いに行った」と話した。
マグロは多くが海外に輸出され、地元ではカマの部分を炭火で焼いた料理が人気と聞く。カツオも悪くない。屋台みたいな店で注文した焼きカツオの生きのよさは想像以上だった。大根おろしなどの薬味を必要としないのは、平均気温22~32度という熱帯の気候が体にやさしい味付けを求めないからか。
ロブスターは食べたことがない。どんな味がするのだろうか。
知人はまた治安の良さを挙げてくれた。
マニラでは銀行の前には決まって銃を持ったガードマンがいたが、ダバオではほとんど見かけなかったという。あまり身構えることなく街を歩けるという安心感は人々に屈託のない笑顔をもたらすのかもしれない。
日本人入植者らによる戦前の良質なマニラ麻栽培で発展してきたダバオも犯罪都市といわれる時代があった。
治安の改善はダバオ市長を20年以上通算7期務めたロドリゴ・ドゥテルテ前大統領の「功績」ともいえる。
1988年に市検察官から市長に当選すると、若者の夜間外出禁止、街頭での飲酒禁止、監視カメラの増設など犯罪防止策を強化する。その徹底ぶりは支持者らで構成する自警団組織による犯罪者への超法規的な手段をも容認することになり、無実の市民らが十分な調べもなく殺害される事犯は後を絶たなかった。
ダバオの明るさに仕舞い込まれた陰を記憶に留めておかなければと思う。
ドゥテルテ氏はダバオで成功した手法を大統領時代にも実施、違法薬物根絶などを名目とした「麻薬戦争」によって6000人以上の超法規的殺人が行われたといわれる。
国際刑事裁判所(ICC)は少なくとも43人の殺害に関与したとして訴追、2025年3月11日に人道に対する罪でドゥテルテ氏を逮捕する。(『アジア新風土記98』参照)
ドゥテルテ前大統領への「熱狂」が続く…フィリピン・ミンダナオ島 国外で拘束中でも選挙に勝つ「強さ」の正体https://t.co/tyGjhgaRje
— 東京新聞デジタル (@tokyo_shimbun) May 17, 2025
5月12日、上院24議員の半数と下院全議員、地方首長らを選出する中間選挙が全国一斉に行われた。
ダバオ市長選はオランダ・ハーグのICC本部に収監中のドゥテルテ氏が圧倒的な支持を得て当選する。
市内の隅々、路地の奥まで彼のポスターが貼られ、選挙区に姿を現さなくても人気に変わりはなかった。
副市長には次男で現職市長だったセバスチャン氏が当選、下院ダバオ選挙区では長男パオロ氏が3選を果たすなど「ドゥテルテ王国」に盤石のようにみえた。
ドゥテルテ氏の当選は「犯罪」に免罪符を与えたことになるのか。ダバオの人たちは彼の過去の不法行為を許したことになるのか。
ダバオに任期中に戻れるかは不明なことによる問題もある。ICCが市長就任を認めるかはわからない。犯罪が確定されていないとして就任宣誓を許可しても、実際の業務は不可能だろう。市政はセバスチャン氏が市長代行として担当するという見方が有力だ。次点候補が繰り上がる可能性もある。
マルコス大統領は任期6年の折り返しを迎えた。
中間選挙は従来の政権に対する信任投票という意味合いに、上院が選挙後にドゥテルテ氏の長女サラ副大統領の弾劾を審理するという要素が加わった。
サラ氏は2月、下院で機密費不正流用疑惑などを理由に弾劾されている。
上院の3分の2にあたる16人以上の賛成によって弾劾が成立すると、サラ氏は副大統領職を罷免され、3年後の次期大統領選への立候補資格を失う。
5月17日、フィリピン選管は新上院議員12人を発表、大統領の与党連合は5人、ドゥテルテ派は麻薬戦争の指揮をとった側近ら3人が当選する。
残る4人中、選挙期間中にドゥテルテ派からエールを送られた与党連合の1人と大統領の実姉ながら政権から距離を取り出したアイミー・マルコス氏は「大統領支持」を打ち出すのか、あるいはドゥテルテ派として行動するのか。他の2人は中立の立場を維持しているといわれる。
与党連合は選挙前、今回の選挙で6人以上を確保すれば非改選議員と合わせて弾劾は可能と考えていたが、思惑が外れたことで弾劾成立は微妙になる。
各種世論調査は8~9人の当選を予想していた。波乱はなぜ起きたのか。
大統領が選挙直前、ICCによるドゥテルテ氏の逮捕と身柄引き渡しに応じたのはドゥテルテ派と次期大統領選への出馬が確実視されているサラ氏の力を削ぐ狙いがあったからだ。
しかし、逮捕から一日も置かずにハーグへの移送を認めるなど強引ともいえる対応は、ドゥテルテ支持者らの怒りに加えて、国内でも問うことができたと考える人たちの批判を呼び込んだ。
同情票とでも言うべきドゥテルテ派支持の広がりは両派の見通しをはるかに超えたものだった。
上院のサラ氏の弾劾審理は7月にも開かれる。
両派による多数派工作はさらに激しくなるとみられる。
サラ氏がダバオで「大統領が国民の期待に応えられなかった」と語るなど選挙結果がドゥテルテ派を勢いづけたことは確かだ。
大統領は内閣改造によって求心力回復を図るが、与党連合が一枚岩となれるかどうか。弾劾が成立しても不成立に終わっても両派対立の膠着した状況は続きそうだ。
不安定な政権は日米との安全保障の強化、南シナ海での対中強硬姿勢などの外交政策にも影響を与えかねない。
国家の機能不全を避けるための妥協への道筋は見えない。