アジア新風土記(71)ミャンマーの密林




著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。
















ニューデリーからバンコクに向かう機上からミャンマーの密林を見下ろした思い出がある。

熱帯の森はその生命力を誇示するかのように伸びやかに茂り、どこまでも続いていた。
緑が濃かった。雲間からの陽光に黒く光ってさえいた。

木々の闇のそこそこに無数の「ナッ(精霊)」が潜み、上空にいても発散される精気によってなにかが吸い取られそうになる。
熱帯多雨林はそんな錯覚に襲われるほどに幾重にも重なり、むせかえるような眺めだった。

窓枠一杯を覆う緑の切れ目にわずかな空間が見える。
森に暮らす人たちの生活の場なのだろうかと思った。
国名がビルマと呼ばれていたネウィン独裁政権のころだ。




ミャンマーの密林がいまどうなっているかは、想像するしかない。
森はすでに戦場となっているのかもしれない。



ミャンマー国軍による軍事クーデターから3年が経つ。

2024年1月31日、国軍はクーデター以来の非常事態宣言を半年間延長する。
兵役も志願制から徴兵制へと切り替えた。

ミャンマー現代史にこの3年間はどのように刻まれるのか。
多くの市民が民主社会復活デモに参加して国軍に殺されただけの3年間だったのか。

戦闘は都市から農村、山間部へと広がった。
国軍と民主派が組織した国民統一政府(NUG)国民防衛隊、少数民族武装勢力の三つ巴の市街戦、ゲリラ戦の中に民主国家への道を歩み始めた時代は失われた。

東南アジアの要衝の地にある国はいま、分裂から国家としての瓦解という危険性を内包しながら、今後の道筋の微かな兆しさえも見えない日々が続く。


国軍と少数民族武装勢力との戦闘は23年10月27日、転機を迎える。

中国と国境を接する北東部シャン州のミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)とタアン民族解放軍(TNLA)に西部ラカイン州を本拠とするアラカン軍(AA)が国軍を同時攻撃、150以上の要衝を占拠する。

国軍は主要都市も抑えられ、中国の仲介によって停戦に合意したものの、衝突は跡を絶たない。

中国にとって地域の安定はインド洋から雲南省への石油パイプラインを維持するためにも不可欠だ。

最近はシャン州北部が中国で社会問題化する特殊詐欺の拠点になっていることもある。



少数民族武装勢力はこの3勢力だけではない。

東南部カレン州のカレン民族同盟(KNU)、北部カチン州のカチン独立軍(KIA)、MNDAAと同じシャン州のワ州連合軍(UWSA)など約20の組織が活動している。

一部はNUGと協力関係を結ぶが、各勢力とも将来を見据えた影響力の拡大を目論む。

「反国軍」でどこまで協力関係をつくれるかは不透明だ。




アウンサンスーチー氏の消息もなかなか伝わってこない。

23年8月1日、国軍は汚職など19件の罪状からコロナ予防指示違反など5件6年を差し引く恩赦を発表、残りの刑期は27年になった。

軟禁状態にあるとみられる78歳の彼女にとって政治活動の否定に変わりはない。
24年1月中旬に英国在住の次男が、元気だと書かれた手紙を受け取ったことを明らかにしたが、正確な健康状態ははっきりとしない。


スーチー氏は長く続いた軍事政権のテインセイン大統領との対話を経て12年の連邦議会補欠選挙で議席を確保、15年の総選挙では国民民主連盟(NLD)が大勝、政権の実権を握った。

政治の表舞台に立ってからクーデターまでの8年間に民主社会を確かなものとし、経済は「アジア最後のフロンティア」といわれるまでになったのに、どこで歯車が狂ったのか。
したたかな国軍の力を見誤っていたのか。疑問はつきない。


東南アジア諸国連合(ASEAN)はこの3年間、常に加盟国ミャンマーへの関与に及び腰だった。

24年1月29日、ラオスでのASEAN外相会議に2年半ぶりにミャンマー代表が出席したが、提言はあったのか。

クーデター直後の国軍トップとの「全当事者の対話」など5項目の合意内容はいまだに実現されていない。



ロヒンギャ難民問題もある。


17年8月、ミャンマー西部ラカイン州への国軍による大規模な武装勢力掃討作戦で70万人以上のロヒンギャがバングラデシュ(バングラ)に逃れた。

難民キャンプには100万人を超える人たちが環境と治安の悪化の中で暮らしている。


「帰還」は戦闘が続く状況下に一層困難になった。


各国はどのように対応していくのか。

難民キャンプのあるバングラ、難民の流入が激しいインドネシアにとってはより直接的な問題だ。

バングラ政府が積極的に対処しているとはみえない。


24年1月7日の総選挙で勝利した与党アワミ連盟(AL)のシェイク・ハシナ首相の当選後のロヒンギャへのメッセージは届いてこない。

23年4月の来日時、NHKとのインタビューで「難民キャンプの運営費用がかさんでいる」として国際社会の支援を求めた程度だ。

難民キャンプの劣悪化はバングラからアンダマン海を南下してインドネシア西部のアチェ州に流れ込む人を増加させる。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は23年11月以降1500人以上が密航したと報告する。



インドネシアは同じイスラム教徒のロヒンギャを多く受け入れてきたが、ジョコ大統領は12月、国際機関との協力という考えを示し、外相はUNHCRに他国への受け入れを働きかけるべきだと述べた。


ジョコ大統領は5年の任期を終える。

24年2月14日には大統領選が行われ、プラボウォ国防相が6割前後の支持を集めて当選を確実にした。国防相は基本的にはジョコ大統領の政策を継承するとみられる。

ロヒンギャの柔軟な受け入れ政策は続くのだろうか。



太平洋戦争末期、ビルマの密林で英軍と戦い、彷徨した日本兵を描いた『ビルマの竪琴』という小説がある。

多くの戦友が捕虜となる中で、竪琴の名人だった「水島上等兵」だけは一人僧侶になってビルマに残る。

上等兵は「ビルマは平和な国です。弱くまずしいけれども、ここにあるのは、花と、音楽と、あきらめと、日光と、仏様と、微笑と・・・」と語る。
(竹山道雄、新潮文庫、1959年)


スーチー氏らのNLD政権が生まれる前の軍事政権時代に読んだとき、ミャンマーの平和への遠い道のりを思った。
それから数年後に、平和な時代が実現した。

いま一度、この本を読む。




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