アジア新風土記(70)台湾の「過年」




著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。




台湾の4年に一度のビッグイベントである総統選挙が終わると、街は一気に旧正月に向けた顔を見せ始める。

台北市内の各商店には「龍年大吉」「萬事如意」といった春聯が飾られ、店先にはお年玉袋である様々な紅包が並ぶ。
玄関先に福の字の赤紙を逆さにして貼る「倒福」も見た。
年の瀬に「年賀大街」の大売り出しをする迪化街はまだいつもの通りだったが、
それでも一軒、二軒の店は赤一色の春聯などが飾られ、買い物客に「早く正月の準備を」と誘っていた。


台北・迪化街の店先に春聯が飾られる。



台北駅前の店の中は赤一色の飾り。




様々な紅包も赤一色だ。



2024年の旧正月は2月10日が「初一(元日)」だ。

台湾では「過年」が一般的で、大陸などの「春節」という言葉はあまり聞かない。

過年を前に、台湾の人たちには大事な年中行事がある。
土地の神様「土地公」に感謝を捧げる旧暦12月16日の「尾牙(ウェイヤー)」だ。
この冬は1月26日がその日にあたる。



土地公への祭事は年3回ある。

最初は旧暦2月2日の「頭牙」で、土地公が神様になった日だ。
8月15日の中秋の節句は秋の収穫期に重なる。
最後が一年の締めくくりである「尾牙」になる。

元々は古代中国に軍隊が勝利を祈願して軍旗の竿に象牙を飾る「牙祭」という行事があり、
民間の商売繁盛の気持ちに転じていったという。


尾牙にはかつては商店主が従業員を労う忘年会が多く開かれ、
従業員の席に鶏の頭があると解雇されるという習わしもあった。

いまではほとんど聞かれなくなり、代わってホテルなどで企業の
大々的な忘年会が尾牙の宴として開かれることも多くなった。

毎月の2日と16日に土地公に供え物をする習慣も生まれ、
台北などでは商店の店先に供え物をする光景をよく見かけた。





尾牙に欠かせないものは潤餅だ。

台湾風春巻きで、薄い皮にモヤシ、キャベツ、シイタケ、細切り肉、
錦糸卵、ピーナッツなどを包み込む。
各家庭によって具材が異なり、その家独自の味になる。

地下鉄・淡水線の雙連駅近くにある文昌宮前には尾牙の10日ほど前から
潤餅を売る屋台が並んだ。

店先で焼いたものはなく、あきらめる。

いまでは皮を手作りする手間を省いて出来合いで済ますところも増えてきた。
文昌宮の潤餅もそんな人たちのためにあるのかもしれない。


台北・文昌宮前の潤餅売り。



文昌宮では柿餅(干し柿)もあった。

台湾西部の新竹地区が有名で、秋になって台風も終わり、
乾いた季節風が吹き出すと柿を乾燥させるには最適のシーズンになる。

農家などの庭先に皮を剥いた柿がへたを下にして笊(ざる)などに並べられていく。
日本のように吊るし柿はほとんど見ない。


台北ではこの時期はあまり気がつかなかったが、年賀大街にはなくてはならないものになる。

縁起物といわれ、柿の発音が「事」と同じことから「柿柿如意」
といった言葉をよく耳にした。
春聯に「柿柿如意 事事如意」と書く人も多い。


柿餅もおいしそうだった。



尾牙が終わると、人々の気持ちは新しい年へと足早だ。
大晦日は家族揃ってテーブルを囲み、年明けを迎える。
元日の朝には様々な年菜(おせち)が並ぶ。

長年菜はからし菜、ホウレンソウなどの野菜をかみ切らずに一気に食べることで長寿を祈る。

魚料理は魚が「年年有餘」(毎年金、食べ物が余る)の「餘」と発音が同じだ。
年糕(餅)の糕は「歩歩高昇」(一歩一歩上昇する)の「高」に通じる。




カラスミ(烏魚子)もまた正月の膳を彩る珍味だ。
ボラの卵を塩抜きした後、天日干しすると出来上がる。

台北から新幹線で1時間半ほどの台南は、台湾海峡を毎年南下してくるボラが
11月末から翌年の1月中旬にかけて沖合に集まり、カラスミの産地として知られる。

総統選の後、友人の「野生烏魚子(天然のカラスミ)を買うには台南に行かなくては」という言葉に、一日遊んだ。



台南駅から漁港のある安平地区に向かう。

タクシーの運転手に総統選のことを振ると、開口一番「台南の民進党は強い」と返ってきた。

台南市長を務めたことのある民進党の頼清徳候補の得票率は50.95%で全島の40.05%を大きく上回り、立法委員(国会議員)選も6選挙区で全員当選の完勝だった。

「台南自慢」に話が弾んで、オランダが17世紀に築いた古跡・ゼーランディア城などのある街はあっという間だった。



安平のカラスミ店「丸奇號烏魚子」は若い店員がペンチ様のものでカラスミを挟み、あぶり焼きしていた。

焼くほどにその独特のにおいが辺りに広がっていき、思わず生唾を呑み込んでしまった。

店内には養殖物が並んでいた。
天然ものを尋ねると、奥の冷蔵庫から出してきてくれた。
表面が霜状に白くなっている。

4両(150g)で858台湾ドル(約4000円)だった。
養殖ものに比べて1.5倍ほど高かった。



台南・安平のカラスミ店。火にあぶると見る見るうちに色が変わっていった。

この冬のボラの水揚げやカラスミの味は例年並みと話してくれた。

天然ものは一つ一つの色合いが異なり、風味もまたボラの育った環境などの
違いから差が出る。

カラスミに目のない人にとってはやはり天然ものが「本物」ということになる。



カラスミのおいしさは日本の植民地時代に広がったともいわれる。

日本では長崎産が有名で、安土桃山時代に中国から伝えられ、
「唐墨」と呼ばれた墨に形が似ているところから「カラスミ」になったとの説もある。


長崎県の野母崎沖で獲れるボラと台南沖のボラに違いはあるのか、カラスミの味にも影響してくるのか。そんなことを思っても見た。



野生烏魚子。


旧暦を大切にする中華社会の正月はどこでも賑やかだが、台湾では香港の「花市」のような催しはなかった気がする。

香港の年の瀬は園芸業者らが公園などで開く桃の木、キンカンなどの花市が話題になる。

台湾ではそのころ、南部の台東、中部の阿里山辺りのサクラの開花情報がニュースになる。

自然豊かな台湾と都市の香港とでは、自ずと異なってくるのかもしれない。


台南はすでに初夏の陽気だった。市街地を外れると田んぼが広がっていた。
田には水が引かれ、田植えの終わったところも多かった。
畔に沿って苗が整然と並んだ田に日差しが眩しかった。



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