アジア新風土記(49)バンコクのハンスト



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。





タイを歩いたとき、大都市でも小さな町、村でもスーパー、食堂、雑貨店などの奥には決まってプミポン国王の写真、肖像画が飾ってあった。

2016年に国王が死去した後、長男のワチラロンコン現国王の写真、肖像画がプミポン時代と大差なく津々浦々の店々で見ることができるのだろうか。

バンコクで「不敬罪」の廃止を求めた若い女性二人のハンガーストライキのニュースを聞きながら、いまの国王はタイの人々からどこまで慕われているのかと思った。


2023年1月16日、民主活動家のタンタワンさん(21)とオラワンさん(23)は不敬罪の廃止、拘束されている仲間の釈放などを求めた抗議活動で拘束され、収容施設で18日からハンストを始めた。

二人は保釈後も最高裁前と病院でのハンストを2か月近く続け、3月11日になって中止を発表する。

意識はあり、受け答えはできるものの腎臓などが弱っているという。
声明で二人は政治司法制度の改革を求める闘いをこれからも続けていくと強調した。







タンタワンさんらは2022年2月、バンコクの商業施設で王室の車列が通る時に道路が封鎖されることへの賛否を問うアンケートを呼びかけ、刑法112条の不敬罪容疑で逮捕される。
一度は保釈されたが、2023年に入って抗議活動を再開、拘束された。


タイの国王は元首であり、その地位は憲法8条により何人もその行為に対して問うことはできないとされている。

世界で最も厳格ともいわれる不敬罪は刑法112条で規定され、国王、王室に対する中傷、侮辱などの行為には、最高15年、最低でも3年の禁固刑が科せられる。



不敬罪が社会一般に容認されるためには国民によって慕われる国王、王室の存在が不可欠だ。
プミポン国王時代にも王室批判で拘束された人たちはいた。
しかし、在位70年の前国王は国民が敬慕してやまない国王であり、表立っての王室批判、不敬罪廃止の訴えが社会的な「事件」にまで広がることはなかった。



タイの現王朝であるチャクリ(バンコク)王朝は18世紀後半の1782年に成立する。初代ラーマ1世から現在のラーマ10世(ワチラロンコン国王)までの240年続く王朝だ。

初期のころは強大な王権を保持していたが、20世紀に入ってからは王権の力は弱まり、1946年に即位したプミポン国王によってようやく国民の象徴としての権威を回復する。
戦後の王制は同国王が築き上げた王制といってもよかった。



プミポン国王死後のタイは不安定さを内包するいわば重石のなくなった社会になった。

国軍による2014年のクーデター後、名目的な民政移管を進めたプラユット政権に対する若者らの民主化要求が20年に入って活発化、「聖域」とされた王室の改革を求める動きへとつながっていった。



不敬罪は2020年6月、一時停止される。ワチラロンコン国王の意向を受けてと伝えられる。国王の意図はどこにあったのか。
王室批判を受けて真摯に対応したのかはわからない。

民主化運動は収まる気配を見せず、停止期間は半年ほどで終わる。一時的な停止と再摘発は、国王が不敬罪の是非を恣意的に判断できることを証明したともいえる。



政府の方針転換直後の2021年1月、65歳の元公務員女性がインターネットに王室批判グループ作成の音声を29件投稿したとして1件につき3年、計87年の禁錮刑を言い渡される。
女性が有罪を認めたため過去最長の判決は43年6月に減刑された。

人権派弁護士団体によると2020年7月から2023年1月までに200人を超す人たちが不敬罪に問われ、20代前後の若者が多かったという。




タイではコロナ禍などで民主化運動に陰りが出てきた2021年春にも反政府集会に関わったとして逮捕された二人が不敬罪で起訴された人の釈放を求めてハンストを行っている。
このときは彼らが保釈されただけでほとんどみるべき「成果」を得ないまま終わったと聞く。

社会への影響はその時々の情勢によって大きく変わる。





台湾で暮らしていた2014年4月、台湾電力第4原発建設停止を訴えた民進党の林義雄元主席がハンストで抗議する事件が起きた。

元主席が原発予定地に近い北東部・宜蘭県出身であり、戒厳令時代には非合法の民主化運動に身を投じ、母親と双子の娘を何者かに殺害されたという背景が市民らの共感を呼んだ。
馬英九総統の国民党政府は早期の事態収拾に追い込まれ、工事の凍結を発表する。
台北の自宅兼教会でのハンストは9日間だった。教会前に度々足を運びながら、古典的な使い古されたような手法でも人々の心に強烈な印象を残せると知った。



バンコクで二人の女性のハンストが続く最中の2月21日、プラユット首相は2か月半後の5月7日の総選挙実施を発表、社会の関心は次第に選挙戦へと移っていった。
警察当局は選挙前の治安維持を念頭に取り締まりを強化、支援者たちの動きは鈍くなっていた。



プラユット首相は支持者らが立ち上げた「タイ団結国家建設党」に入党、総選挙後の首相続投に意欲をみせる。

2019年に同首相を擁立した与党「国民国家の力党」と政策を巡っての対立が続いた結果だ。
親軍政党2党の分裂選挙の様相は、タクシン元首相の次女を首相候補に挙げる最大野党「タイ貢献党」に有利に働く。首相の劣勢は避けられそうにない。


政権与党は司法改革などの争点化には距離を置き、不敬罪の継続を支持する。
タイ貢献党も静観の姿勢を崩さない。民主派の野党である「前進党」だけが刑期短縮などの改廃に賛成の意向を表明する。

同党は前回総選挙で前身の「新未来党」が新党ながら政治刷新を求める若者らの支持を集め、第3党に躍進した。

今回もまたその流れは変わらないのではないか。現状に飽き足らない人たちが王室改革に消極的なタイ貢献党への支持を翻意する可能性も残っている。




タンタワンさんとオラワンさんはハンスト中の選挙戦をどのように眺めていたのか。

多くの人たちが「闘い」を無視しても、不敬罪廃止の状況が直ちに生まれなくても、思いは社会を変える力になると信じ続ける毎日だったのではないか。














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