アジア新風土記(47)南シナ海・フィリピンの選択



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。



フィリピンのマルコス大統領は2023年2月2日、米国のオースティン国防長官と会談、米軍のフィリピンでの一時的な駐留拠点を現在の5か所から9か所に拡大することで合意した。
2014年に締結された米比防衛協力強化協定(EDCA)に基づくもので、中国の南シナ海進出に対するフィリピンの強い懸念が、米国との外交・安全保障関係をさらに進めるという選択につながった。



新たに増える4か所は明らかにされていない。米国がルソン島中部のサンバレス、同北部のカガヤン、フィリピン南西部のパラワン島を打診しているという報道もある(BBC NEWS  2月2日)。
サンパレスはフィリピンの排他的経済水域(EEZ)内にある中沙諸島・スカボロー礁、パラワン島は南沙(スプラトリー)諸島に近い。両諸島とも中国と領有権を争っている地域だ。カガヤンはバシー海峡を挟んだ先に台湾がある。


南沙諸島では14日、フィリピンが沿岸警備隊巡視船が中国海警局の船からレーザー照射を受けたとして中国側に抗議するなど緊張が伝えられる。
同諸島から約300キロ東のパラワン島は米軍の空軍基地1か所の使用がすでに認められ、2022年11月には米国のハリス副大統領が訪問、「米国は南シナ海での脅迫と威圧に直面するフィリピンを支援する」と中国を牽制している。
米軍駐留拠点拡大合意で2か所目が実現すれば、同島における米軍の存在が際立つことになる。




マルコス大統領は日本との関係強化にも腐心する。2023年2月9日、東京で岸田文雄首相との首脳会談に臨み、東・南シナ海の状況への深刻な懸念を表明、安全保障問題での連携を確認した。
フィリピン国内で自衛隊と比軍による人道支援、災害支援などの訓練を行う時の手続きを簡略化する取り組みでも合意、軍事訓練・作戦面にも広げていく考えを示した。
両国はまた米国を含めた3か国での防衛協議、共同演習を促進することで一致する。日本はすでにフィリピンの海洋安保政策に係わっており、自衛隊が米比両軍の毎年の合同軍事演習「カマンダグ」に2017年から参加しているほか、沿岸警備隊に全長97メートルでヘリコプター発着が可能な大型巡視船2隻を含む12隻の巡視船を供与している。




米国とフィリピンの軍事的な結びつきは米軍が1992年までにルソン島のクラーク空軍基地、スービック海軍基地を撤収したことで途切れた。
基地に駐留していた米軍兵士らがフィリピン人に頻繁に暴力事件を起こしていたこともフィリピンの米国離れの一因になった。その頃はまだ南シナ海に中国の影はなかった。



中国は21世紀に入ると経済成長とともに軍事力も増強、米国の軍事プレゼンスが消えた南シナ海への「南進」を始める。
2009年、胡錦濤指導部は南シナ海のほぼ全域について地図上の9つの破線ですっぽりと囲み込む「九段線」という概念を改めて強調し、破線の内側を「歴史的な領有海域」として港湾設備、飛行場などの建設・整備を進めた。
「九段線」は1947年、当時の中国・国民政府が清朝時代の版図を基に作成した地図への掲載が始まりとされる。



中国が古くからの漠然とした「領土」感覚をそのまま現在に持ち込んだような「領海」は、フィリピン、ベトナム、マレーシア、インドネシア、台湾が沿岸から延びる大陸棚などの領有権を主張する海でもある。
名称も国際水路機関(IHO)は「South China Sea」、中国は「南海、南中国海」、フィリピンの英語表記は「West Philippine Sea」など様々だ。


米軍撤退後の中比対立は2012年に起きる。
中国漁船がスカボロー礁付近での操業を続けたことでフィリピンはフリゲート艦を派遣、中国側監視船と対峙した。一度は「双方の撤退」で合意したものの、監視船はそのまま「常駐」を続け、中国は同礁海域を実効支配する。



フィリピンは2013年、オランダ・ハーグの国際仲裁裁判所に国連海洋法条約に則って提訴、2016年3月にはパラワン島の空軍基地の米軍使用を認めるなど米国と歩調を合わせた海洋安保体制へと舵を切った。
中国の主張は同年7月に同裁判所が全面的に退けたが、「海洋強国」への道は変わらなかった。


2022年6月に就任したマルコス大統領は就任直前の記者会見で「領有権が踏みにじられることは1ミリたりとも許さない」と述べ、状況によって中国と争う姿勢を鮮明にした。
米国との新たな外交・軍事関係の強化はその延長線上にある政策ともいえる。



中国との関係はしかし、「南シナ海をめぐる対立」がすべてではない。経済分野では米国と並んで重要なパートナーだ。
日本貿易振興機構(JETRO)によると、フィリピンの2021年の輸出額は米国が118億3700万ドル(15.9%)で1位を占める。2位は中国の115億2300万ドル(15.5%)。輸入額は中国が最も多く226億4700万ドル(22.7%)だ。
一般機械・部品が約2割で、スマートホン市場の上位3社を中国メーカーが独占する。米国からの輸入は76億9600万ドルにとどまっている。



マルコス大統領は2023年1月に北京を訪れ、農漁業、インフラ整備、金融などの分野で協力する文書に署名、偶発的な衝突を防止するための外交ホットラインを設置する方向でも意見の一致をみた。
習近平国家主席は「互いに助け合う良き隣人となりたい」と表明、南シナ海での石油・天然ガスの共同開発を進める交渉の再開を呼びかけた。
大統領も帰国後に「中国との包括的戦略協力関係の新しい章を開くことになる」と述べるなど対話強化の姿勢をみせた。



フィリピンは米国と中国という二つの大国の狭間で、自主性を保ちながらどのようにバランスをとっていくのか。
国と国がせめぎ合うという歴史に乏しい小国にとってはなかなか至難の業ともいえる。同じように領有権を主張する東南アジア諸国連合(ASEAN)各国との協調もまた欠かせなくなってくる。


台湾とのつきあいも難しい。
ルソン島から100キロほど北に位置する台湾には15万人を超えるフィリピン人が工場労働者、介護、英語教師などで在住している。
中台関係がさらに緊迫していくと、自国民の安全をいかに確保するかという問題が起きるかもしれない。そのこともまた念頭において動かなければならない。


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