アジア新風土記(33) スリランカの混乱



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。




アジアにまだ訪れていない国がいくつかある。スリランカもその一つだ。

バンコクからインドのムンバイに向かう客船に乗ったとき、
船がスリランカのコロンボ港に立ち寄ったことがあった。
埠頭には着岸せず、デッキから下船する客らの乗り移る小舟を見下ろし、
遠く港町をながめた。



コロンボのあるセイロン島は九州の2倍弱6万5600平方キロほどで、
インド亜大陸とは最狭部で55キロのポーク海峡によって分断されている。








1948年に英連邦自治領セイロンとして独立、
1972年、自治領から脱してスリランカ共和国になる。
現在の国名はスリランカ民主社会主義共和国。
人口約2200万人の4分の3を仏教徒中心のシンハラ人が占め、
ヒンズー教徒が多数のタミル人は15%に上る。



このスリランカで経済危機に端を発した混乱が続いている。

2022年7月13日未明、ゴタバヤ・ラジャパクサ大統領が空軍機で
モルディブに脱出、ウィクラマシンハ大統領代理は非常事態を宣言した。

コロンボの大統領公邸がデモ隊に一時占拠され、各地でも生活に苦しむ
市民らの抗議デモが拡大するなど、事態収束の見通しはたっていない。
国際通貨基金(IMF)、各国の支援策もどこまで効果があるのか不透明だ。


経済の悪化は2019年4月、コロンボの教会、高級ホテルなどで起きた連
続爆破テロ事件が観光業を直撃したことで深刻化する。
観光収入は国内総生産(GDP)の約1割を占める主要産業だ。

2020年からの新型コロナの流行が追い打ちをかけ、2022年2月のロシア
によるウクライナ侵攻が引き起こした世界的なエネルギー価格高騰も響いた。

2年半前までは75億ドルほどだった外貨準備高が底をつき、
燃料の大半を依存する石油の輸入が難しくなった。
ガソリン、家庭用ガスなどの料金は上昇、発電用燃料の不足は
1日最大10時間もの計画停電を余儀なくさせた。
輸入食料品、医薬品も値上がりしている。

4月12日、政府は対外債務大半の返済停止を発表、
事実上の債務不履行(デフォルト)に陥った。

スリランカ中央銀行の2020年年次報告書によると対外債務の総額は
約6兆スリランカルピー
(約168億ドル、約2兆3千億円=スリランカルピー、ドル、円は22年7月15日の換算レート)に上り、対中債務はその1割という。

2007年には約1兆3千億スリランカルピー
(約36億4千万ドル、約5千億円=同)だったが、
この13年で4倍半に膨らんだ。
GDPは840億ドル(19年)にしか過ぎず、
経済学者は「国家収入が少ないのにお金を借り過ぎた。
我々(の財政)は、薄氷の上に立っていたのだ」と指摘する。
(朝日新聞22年5月29日)



中国の「一帯一路」政策を頼った積極的な融資が裏目に出たとの見方も強い。
推進役は2005年から2015年まで大統領を務めたマヒンダ・ラジャパクサ氏だった。
国外に逃れた大統領の実兄が10年もの長期政権を維持、
経済開発計画を積極的に推し進めることができた背景には
タミル族の北部州分離独立勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」
との内戦の勝利があった。

LTTEは1976年の結成後、武装闘争を展開していたが、
2005年に大統領に就任したマヒンダ氏は強硬姿勢を崩さず、
LTTEは2009年に敗北を宣言する。
内戦終結後の経済立て直し、道路や港湾などの大型インフラ整備には
中国からの融資は魅力的だった。

杉山明・駐スリランカ大使の
「(中国特集)スリランカから見た中国」によると、
2012年から年間4億ドルを超える援助で推移し、
2019年の6億5千万ドルはその年の受入れ援助総額の約40%になった。
(霞関会、21年6月24日)


インフラ整備はしかし、十分な投資効果を挙げないまま、
利子の支払いだけが嵩んでいった。
返済に行き詰まりインフラを手放さざるを得なかった例は、
2017年に中国国営企業に99年間の運営権を手放した南部のハンバントタ港だ。

ジェトロ・アジア経済研究所の
「(アジアに浸透する中国)99年租借地となっても中国を頼るスリランカ」は、
ハンバントタ港に2017年に寄港した船数は251隻で、
スリランカ最大のコロンボ港の5126隻に比べて20分の1にも満たない
利用度だった、と伝える。(荒井悦代、18年10月)


政府は中国側に融資期限の延長を求めたが拒否されたという。ハ
ンバントタ港のあるハンバントタ県はマヒンダ氏一族の地元であり、
一族を中心とした縁故主義、利益誘導が中国資本と結びついたという
側面もあった。


ハンバントタ港沖合のインド洋は中東の原油を日本など
アジアに運んでいるタンカー、客船に航路にあたっている。
スリランカと中国は「軍用港化」はないとしているが、
中国の「拠点」になったことに変わりはない。
インド洋を自国の「領域・領海」とまで考えているインドにとっては
座視できない状況が続くことになる。


 

2022年7月8日、参院選の投票を2日後に控えた奈良・近鉄大和西大寺駅前で
街頭演説中の安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。

「選挙期間中の元首相暗殺」にインドのラジブ・ガンジー元首相を思い出す。

1991年5月、国民会議派の元首相は総選挙最初の投票日の翌21日、
南インド・タミルナドゥ州でLTTE過激派とみられるタミル人が企てた
自爆テロに遭った。

首相時代の1987年にLTTEと内戦中だったスリランカ政府と
和平協定を結んだことなどで、報復を受けた可能性が指摘された。


暗殺から3日後の24日、ニューデリーは快晴、気温は42度まで上がった。
葬送の列には数十万の人たちが詰めかけ、
「空に太陽と月がある限り、ラジブの名は永遠に残る」との声が一斉に起こる。

上空のヘリからは無数の赤いバラの花びらがまかれた。支持者らの熱が大気の暑さまで奪い取っていくとさえ感じさせた。

総選挙は3投票日の残る2回が6月に延期され、
国民会議派は前回より35議席増やして第1党に返り咲く。
選挙戦に人々の興奮、怒りがもたらす大きな騒乱はなかった。

独立後、ガンジー、ネール首相の娘インディラ・ガンジー首相らが
暗殺された歴史が育むクールさだろうか。

他のアジア諸国のように政治の世界に軍隊が介入することもなかった。
「世界最大の民主主義国」の所以は、
一つに国の懐の深さにあるのかもしれないと思うときがある。

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