アジア新風土記(21)「台湾有事」



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。




台湾の蔡英文総統が2020年の総統選に圧勝してから22年1月でまる2年が過ぎた。
2期目の残り任期が年となって、後継総統にどのような未来を託すのだろうか。
蔡総統が3か月前の双十節(中華民国の建国記念日、10月10日)で中国を念頭に「台湾の人たちが圧力に屈することはない」と述べたその前日、中国では習近平国家主席が辛亥革命記念式典で台湾統一は悲願だと改めて強調した。武力解放への言及はなく、ロシアのプーチン大統領も日をおかず、中国が台湾統一のために武力を行使することはないとの見通しを述べた。それでもなお、台湾と中国の関係は緊迫度を増している。


2020年1月の総統選。台北市の蔡英文決起大会に集まった支持者たち


台湾海峡は最も狭い北部で大陸と台湾の距離が130キロしかない。その中間に1950年代、米国の主導で「台湾海峡中間線」が引かれ、中国と台湾の「境界」の役割を果たしてきた。2020年ごろから中国軍機が中間線を越え、台湾の防空識別圏(ADIZ)に「侵入」するケースが常態化する。米艦船の海峡通過も増え、英国、カナダなどの艦船も加わるようになった。不測の事態がいつ起きてもおかしくない状況になりつつある。

「台湾有事」はどこまで現実的なのか。

米国の台湾への「関与」がトランプ前政権時代から格段に上がったことが、これまでの米中関係、中台関係に変化をもたらした最大の要因にある。「関与」はバイデン政権になっても、高官の台湾訪問、台湾への武器売却などが続き、米中対立の「最前線」の様相さえ見せている。こうした状況への中国の危機感が「ADIZ」侵入の頻度を高めたともいえる。米国が台湾空軍の防空能力アップにF16戦闘機の引き渡し時期を早める可能性も一部では指摘されている。「台湾関与」の動きはさらに加速していくのか。
米CNNニュースは21年10月、情報筋の話としてバイデン政権内で中国による武力侵攻が差し迫っているとする軍部とその証拠は乏しいとする国務省とで意見が分かれていると伝える。

「台湾有事」は中国軍の台湾本島への直接的な侵攻、金門島など離島攻撃が挙げられるが、中国側の被る損害もまた大きいともいわれている。台湾全島を短期間に制圧しても、「駐留」を維持するためには圧倒的な力が必要であり、上海などの沿海地方が台湾のミサイル攻撃を回避できるかという問題もある。米軍が「戦闘」にどこまで係わってくるかもいまの段階で予測不可能だ。国際社会からの孤立は覚悟しなければならない。



日本にとっても事態の推移によっては安全保障上の問題になってくる。
21年4月のバイデン米大統領と菅義偉前首相との日米首脳会談共同声明は「台湾海峡の平和と安定の重要性」を強調、1969年の佐藤栄作首相とニクソン大統領による共同声明から半世紀ぶりに「台湾」という言葉が使われた。両国の考え方は岸田文雄首相になっても大きく変わることはないだろう。ただ、この問題に対する本土、沖縄、そして台湾の人たちの受け止め方は同じではないように思える。

22年の正月、沖縄の友人から「台湾有事の時に日本は動けるのでしょうか」という賀状が届いた。一枚の葉書を手に、私を含めて「本土」はどれだけの人が新年のあいさつとして「台湾有事」を書いたのだろうかと思った。台湾で暮らす人たちにとっては日本人よりはるかに身近な話だ。民間シンクタンク「台湾民意基金会」が21年11月に公表した世論調査は、有効回答1075人の58%が日本は有事のとき自衛隊を派遣するだろうと答えている。

「台湾有事」は中国から見れば「国内問題」であり「内戦終結」に向けた戦いを意味する。だが、台湾ではすでに「外国との戦争」あるいは「侵略」という捉え方が主流だ。

両者の見解の分かれ目は1988年の蒋経国死去後、総統職を継いだ李登輝の就任演説と直後の会見だったのではないか。90年5月、彼は演説で台湾海峡の武力行使放棄を言明、会見では中華民国憲法付属文書で規定した「平定すべき反乱勢力に備えての動員体制」の終息を明言する。さらに台湾と大陸は異なる政治実体だとして、中国という大きな家のなかに二つの国があるという「二国論」を提唱する。

蒋介石、蒋経国父子時代の台湾は、戦後大陸から台湾に逃れた中国国民党が「絶対」だった。台北はあくまで大陸反攻のための「臨時首都」だった。台北の南西、桃園市慈湖にある二人の墓所は仮のものであり、棺は台湾の地に埋葬されることなく安置されている。その国民党はいまも「心は大陸」にある人たちの勢力が根強い。


「総統蒋公陵寝」に安置された棺。蒋介石は慈湖の風景を中国・浙江省の生家付近に似ていると愛した


21年9月の同党主席選挙は対中穏健路線をとる朱立倫氏が当選したものの、「台湾人も中国人だ」と訴えて将来の中台統一にむけた覚書作成に言及するなど中国との積極的な交流を主張した張亜中・元台湾大教授が第2位(32・59%)の支持を集めた。前回の総統選惨敗後に党主席に選出された江啓臣氏はわずか18・86%だった。
彼は中台が「一つの中国」に属するという見解の見直しを提案したが、長老らの反対で挫折する。一部若手から出ていた「中国国民党」の名称から「中国」を除くべきだとの訴えも支持が広がる兆しはない。

台湾民主化の流れはしかし、「二国論にいう一つ屋根の下」に収まりきれるものではなくなっている。国民党は党員以外の人たちの気持ちを掴み切れないままだ。21年12月の住民投票でも、政権与党・民進党が米台関係緊密化の一つとして推進している成長促進剤使用米国産豚肉輸入問題など4項目について、同党の「輸入反対」などの主張はすべて否決された。台湾人として生きる人たちの支持がなければ次の総統選でも勝てない。立候補が予想される朱新主席の道は厳しい。

中国は台湾の現状をどこまで正確に把握しているのかと、疑問に感じる時が度々ある。あらゆる情報網を駆使した情勢把握も、台湾は中国の一部であるという前提に立てば、見方は自ずと変わってくる。

総統直接選挙は2024年で8回目を迎える。SNSの発信が削除されることはなく検索の制限もない自由な社会と、その社会を「統一しなければならない」という中国の発想との限りなく深い落差を思う。

SHARE シェアする

このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 高文研ツイッター

  • 日本ミツバチ巣箱

  • 紀伊國屋書店BookWebPro

  • 梅田正己のコラム【パンセ】《「建国の日」を考える》

  • アジアの本の会

  • 平和の棚の会

  • おきなわ百話

  • 津田邦宏のアジア新風土記