(44)島クトゥバが生きている村

この【おきなわ百話】の第31話で「『島くとぅばの日』に何をなすべきか」と題して、一例として平良とみ・平良進夫妻が開いている「沖縄芝居で学ぶウチナーグチ講座」の模様を紹介した。

また、沖縄語普及協議会の友人の意見を紹介して、「いまから学校でウチナー口をおしえていけば、十歳の子どもが成人になる十年後にはかならずウチナー口は復活する」という楽観的展望でしめくくった。

しかしその後、現実はこの状況認識が我ながら楽観すぎるきらいがあると気になった。


第一のハードルが、2012年3月に沖縄県議会が制定した「しまくとぅばの日」条例や、県文化振興課が中心になって13年9月に策定した「しまくとぅば普及推進計画」などでいわれる、「しまくとぅば(島言葉)」の定義と範囲があいまいである、という点である。


「山ひとつ越えれば言葉が違い、海ひとつ渡れば習慣が違う」といわれる島々の生活文化の垣根をどう乗り越えていくのか、という課題にぶっつかる。私はさきのエッセイで「沖縄芝居のセリフが生きた教本になる」と、とりあえずの仮説を述べておいた。


ところが第二のハードルにぶつかった。
挙県運動ともいうべき「しまくとぅば普及運動」が、将来をになう子どもたちに届くには乗り越えなければならない現実の壁が立ちふさがっているのだ。

 

私は数年前から平良進・平良とみ夫妻が開いている「沖縄芝居の実演を教材にしたワークショップ」や、「沖縄芝居で学ぶウチナーグチ講座」に注目しているが、受講生のほとんどは中年女性で、しかも本土出身者が多数を占めるという。
いわば教養講座といった性格で、次世代をになう子どもたちには届いてないのだ。

 


第三のハードルは、次世代の子どもたちに直接ふれる先生たちが、日常生活でほとんど島クトゥバを話す機会がないし、はじめから島クトゥバをまったく話せない先生たちが少なくないという、現実の深い谷間がよこたわっている現実である。


島クトゥバ継承問題に横たわる深い谷間をどう埋めていけばいいのか、学校教育にはそれほどの期待がもてないとなると、残るのは社会教育の分野であろう。私はある期待をこめて、県教育庁や市町村の社会教育や文化財保護に従事する専門家たちに意見をきいてみた。


そこから浮びあがってきたのが、村々島々に脈々と受け継がれてきた地域の民俗芸能の生命力であり、その典型が完璧な島クトゥバで演じられる「村芝居」であった。
以下にさきごろ私が身近なところでめぐり逢った典型的な村芝居の風景を紹介させていただきたい。

八重瀬町志多伯の村芝居






 


八重瀬町志多伯[したはく]は沖縄本島南端の農村地帯にあって、私が住む南城市玉城のとなり村に位置している。ふだんはあまり住民の交流はないが、村々の綱引きやハーリー(海神祭)や村芝居などの祭の催しものがあるとはるばる遠くから見物にでかけるという一種の文化圏を形成していた。


私が八重瀬町志多伯の豊年祭にでかけたのは5年前になるが、志多伯の獅子加那志(しーしがなし)豊年祭が1年、3年、5年と年忌きざみで開催される慣例があって、毎年というわけにはいかない。


獅子加那志とはムラ(集落)の祭神とされている獅子舞のことで、豊年の感謝を捧げる祭祀が中心なのだが、二日二晩ぶっとおしで行われる多彩なプログラムのなかでも隣村のわれわれが足を運ぶのは、夜になって馬場の広場に仮設された舞台で演じられる演芸プログラムのアシビ(祭祀芸能)がお目当てである。


村アシビのプログラムには沖縄郷土芸能のオンパレードといってもよいが、とくに組踊、沖縄歌劇、史劇、沖縄芝居などの名作劇が入場無料で観られるとあって、わざわざ遠方から足を運んでくる芝居好きも多い。

 

二日二晩におよぶ舞台芸能の演目は、古典音楽から民謡の歌三線、琉球舞踊、棒術、空手などの演目も加えて昼夜におよぶが、これらの民俗芸能は遠くニライカナイ(他界)から訪れる豊穣の神様を迎えて、豊年の感謝を捧げ共に楽しく〝遊ぶ〟という奉納行事なのである。

首里城の国王のために催される宮廷芸能とは異なる、農村の民間祭事から発達した芸能が「村遊び」なのである。

村芝居・組踊「花売の縁(はなういぬゐん)」の一場面





 

 

従って、豊年祭や綱引きや海神祭などは村人全員が参加するのが原則で、幼稚園児から小中学校の子どもたちまでそれぞれに役割が与えられる。

なかでも村芝居への演目には、組踊や沖縄芝居や現代劇などがあるが、いずれも台詞は沖縄方言だから、演出家は演技指導のなかに方言指導に大きな比重を置かなければならない。

志多伯の豊年祭は住民全員参加が原則だから、字区民約1000名のうち役員100人、出演者150人、あとは裏方として清掃や舞台設営を分担する。
舞台出演者150人のなかには「その他大勢」といった役の子どもたちも多いのだが、舞台に立つ「役者」の必修条件は、ウチナーグチの会話がひと通りこなせるということであろう。舞台に立ちたがる子どもたちは、ふだんからウチナーグチを習得する機会に恵まれていることになる。

 


では誰がウチナーグチ教師をつとめるかといえば、志多伯の場合、この小集落内に県立芸術大学で専門的に琉球芸能を研究し修得した、神谷武史さんと知花小百合さんの二人がいて、彼ら自身も舞台に立ちながら演出家として出演者の演技指導にあたり、とくに子どもたちへのウチナーグチ指導に力をいれている。
神谷さんは八重瀬町の生涯学習課文化振興係に勤務するかたわら、地元中学校の総合学習「地域の芸能」などの非常勤講師もつとめている。


沖縄県が推進している「しまくとぅば県民運動推進事業」などについて、私はこうした「上からの県民運動」がどこまで効を奏するか、いささか懐疑的な見方をしているが、志多伯のように「地域の文化は地域で守る」「芸能を通して子どもたちの中に郷土を愛する心を育む」といった、堅固な理念をもって地域に深く根ざした文化復興運動が全県的にひろがっていけば、沖縄の宝ともいうべき「しまくとぅば」が次の世代によみがえる日も来るのではないかと、ひそかに期待している。

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