(45)【「沖縄人スパイ説」の復活】/7回連載の第1回

私は1944年8月下旬に家族とともに疎開船に乗って、熊本県阿蘇郡の山村に疎開した。1945年の夏、「沖縄玉砕」の知らせが届き、続いて「沖縄人がスパイを働いたから友軍は負けた」というデマが流れてきた。疎開者にとってはショックだった。

そして沖縄戦から70年を前にしたこの数年、またぞろ「沖縄人スパイ説」が持ち出されてきている。

本土の人にとっては、「沖縄人スパイ説」といってもほとんど知られてないか、あるいは敗残兵たちがばらまいた無責任なデマを今でも信じている人もと思うので、沖縄県民の名誉のためにも、しばらくこの欄を借りて、以下の7回シリーズで「沖縄人スパイ説」の真相を検証しておきたい。


 第1回 「沖縄人スパイ説」の復活
 第2回 日本軍による住民虐殺事件の実例
 第3回 「沖縄人スパイ説」の現場
 第4回 「沖縄人スパイ説」は誰が全国に流したか
 第5回 「沖縄県民カク戦ヘリ」
 第6回 「沖縄人スパイ説」の源流
 第7回 「沖縄人スパイ」の正体

 
 
 
 
 
 
 
 
 

【検証「沖縄人スパイ説」】=7回連載の第1回

 


  「沖縄人スパイ説」の復活

 

2013年6月発行の『軍事史学』(第49巻第1号)に、沖縄戦における防諜対策(スパイ取締)をテーマに取り上げた論文が発表された。

 
軍事史学会顧問の原剛[はら・たけし]氏が「沖縄戦における住民問題」と題する論文を発表、その中で、八原博通[やはら・ひろみち]元高級参謀、馬淵新治[まぶち・しんじ]引揚援護局厚生事務官、大城将保[おおしろ・まさやす](沖縄県史編集委員)、地主園亮[じぬしぞの・あきら](同)、林博史[はやし・ひろふみ](同)らの著書名や論文名を脚注で示したうえで、次のような持論を述べている。


「(これらの著書や論文は)在来から沖縄に居住していた住民で敵に通じた者は皆無であると述べている。


しかし実際には、スパイは存在していた。沖縄出身のハワイ二世およびサイパン島など出稼ぎ中の沖縄人の一部が、米軍の諜報要員として訓練を受け、沖縄上陸作戦に先立って潜水艦により隠密上陸し、あるいは偵察機から落下傘降下して、諜報活動をしていたところを数名が逮捕され、取調べたところ、小型無線機などをもっており、左手くすり指にUSAT06などの入れ墨があり、中には女性もいた。


このような事実があったにもかかわらず、この事実に触れた書は見あたらない。このようにスパイが実際いたことが、軍の警戒心をより一層高め、防諜対策を実施するのは当然のことである。軍事作戦において防諜対策をとらない作戦などあり得ないことである」

 

原氏はまた「集団自決問題」にもふれて、「『集団自決』とは、軍の強制と誘導による集団自殺であると定義する説もあるが、軍の強制や誘導がなくても、自由意思で集団となって自殺することもある。」と苦しい弁護を行っている。

 

「集団自決問題」については2005年夏にはじまった「大江・岩波訴訟」ですでに結論が出されているので、ここでは取り上げない(座間味島の元隊長らが大江健三郎氏の著書と出版社を名誉毀損で訴えた民事裁判であるが、沖縄現地では県議会や市町村議会をはじめ11万人県民大会の支援もあって大江・岩波側の勝訴で決着した。詳しくは『記録・沖縄「集団自決」裁判』〈岩波書店・2012年〉を参考にされたい)。


「沖縄人スパイ説」についても、これまで『沖縄県史』や市町村史などで史実の発掘が広く深く行われてきており、「何を今さら」という感がないでもないが、われわれの著書名まであげて、「このような事実があったにもかかわらず、この事実に触れた書は見あたらない」などと書かれては、黙っているわけにはいかない。


手始めに、1950年代のはじめ、軍人軍属遺家族援護法を米軍統治下の沖縄にも適用するために、沖縄戦の実態を調査した報告書から、「沖縄人スパイ説」の一端を紹介しよう(引揚援護局厚生事務官・馬淵新治「沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料」より)。


「第6節 住民の通敵行為について

敵上陸以後、所謂「スパイ」嫌疑で処刑された住民についての例は十指に余る事例を聞いているが、従来から沖縄に居住していた住民で軍の活動範囲内で敵に通じたものは皆無と断じてさしつかえないと思う。

特に沖縄住民の国民性というか、権力者に対しては全く唯々諾々であり、これに抗して敢えて反発する気風が少なく一面自己の土地に対する執着心特に郷土愛に至っては、信仰的に強い住民が当時の挙国一致、一億一心で戦い抜き寸土と雖も本土を敵に渡すなとの標語の下に、軍の絶対的権威下にあったことを思うと住民で軍が厳然たる威容を保ち、統制ある戦斗を遂行している間に軍の威力範囲内に住む住民から通敵行為をする等のことは想像もつかぬことである。

結局前記の通敵事例は軍が余りにも前記事例等より神経過敏となり、思慮の足りない端末の部隊内で行われたもので、事実通敵行為として処刑したことは寧ろ軍の行き過ぎ行為であり、現在においてもこのことに対しては一般の非難を聞くものである。

...以上の事例は戦斗一時不利となるや、更に疑心暗鬼を生じて、在来からの軍の戦斗地域内に居住して何等悪意のない住民に対しても時に「スパイ」の嫌疑をかけて、これを処刑するに至ったものと推察される」



             
             
            
             
              
                
 

 

 

馬淵事務官の分析は今日の視点からみても正当な評価だと思われるが、前出の原剛論文では、「しかし実際には、スパイは存在していた。沖縄出身のハワイ二世およびサイパン島などに出稼ぎ中の沖縄人の一部が、米軍の諜報要員として訓練を受け、沖縄上陸作戦に先立って潜水艦により隠密上陸し......」云々と秘密めかしたエピソードを提示して、問題の本質をそらそうとしている。


沖縄戦の最大の悲劇は、全戦没者数24万人という数字の大きさで表せるものではない。
沖縄を護ってくれると信頼していた友軍(日本軍)からスパイ容疑の汚名をなすりつけられて、「住民虐殺」や「集団自決」に追い込まれた沖縄県民の心の傷はいまなお完全に癒されたとはいえない。


私が個人的に調べただけでも、「日本軍による住民虐殺事件」:合計46件、犠牲者167人+α、「集団自決」事件:合計30件、犠牲者1147人にのぼっている(拙著『沖縄戦の真実と歪曲』(高文研)。

 

日本軍がもたらしたこれらの事件にまともに向き合おうともせず、今ごろになって怪しげな「沖縄人スパイ説」をむしかえそうとする真意は何だろうか。

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