(48)【検証「沖縄人スパイ説」】7回連載の第4回

「沖縄人スパイ説」は誰が全国に流したか

 

 


1944(昭和19)年10月10日、沖縄諸島は米機動部隊の大規模な空襲を受け、終日続いた爆撃で死傷者は軍民合わせて約1500人、県都那覇市と主な軍施設は壊滅的な打撃をこうむった。沖縄守備軍の軍司令部はこの奇襲攻撃をまったく予測できなかったことで軍の探知能力の無力さが露呈し、また県民環視のなかで友軍の対空砲火のあまりの無力さが露呈した。

県民の友軍(日本軍)に対する信頼は動揺し、中央の大本営でも沖縄守備軍に対する不信感がつのっていた。
 

そのころ、東京方面では奇妙なデマが流されていた。「米軍の奇襲攻撃が成功したのは沖縄人スパイが手引きしたからだ」という噂である。デマ情報は本土の報道機関や政府、議会筋にも広がり、衝撃を受けた県選出代議士が真相調査に現地にとんできたほどである。
 


沖縄現地の官憲の調査によって、「沖縄人スパイ」説は根も葉もないデマ(事実と反する扇動的な宣伝)だと判明したが、陰では「敵機来襲を予知できなかった友軍(日本軍)の失態をおおいかくすデマ宣伝だろう」という噂がささやかれていた。このころから沖縄守備軍と沖縄県民のあいだに疑心暗鬼の芽が生じていたのだろう。

 

いったい誰が「沖縄人スパイ説」を全国に広めたのか、沖縄現地ではその正体はナゾとされていたが、さきに紹介した馬淵報告書を注意深く読むと「張本人」の姿がチラッと見えてくるはずである。
 


馬淵新治報告書『沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料』より。

 

「⑪悪質デマに悩まさる

戦争中吾々が憤慨させられたことは、沖縄人はスパイだという根も葉もない悪宣伝だった。 
 


この宣伝は下級兵の無責任な放言ばかりでなく、軍司令部から島田知事へも公式な連絡があり、壕内で開かれた部課長会にまで取上げられていた。このことは終戦7年後の今日なお不可解な謎として脳裏を去らないが、果たして如何なる証拠があり実例があってのことか、まったく見当がつかない。
 

殊に敵が上陸した中頭地区の住民が、スパイであるかのように宣伝されていた。
 

宜野湾村長の某氏が、敵軍の案内役をつとめているとか、女教員がダンスホールで敵兵のサービスに当たっているとか、いろいろなデマ放送が流されて、まるで沖縄人は敵兵のため祖国を忘れて彼等に協力しているかのような印象を与える宣伝がなされていた。ある日、島田知事によって招集された壕内部課長会で、この問題が取り上げられたとき、
 

中頭地方事務所から敵中を突破して県庁に合流した伊芸徳一所長は、この宣伝がまったく虚構なものであることを立証し、沖縄人をことさらに陥入れんとする軍部の非道に悲憤慷慨の余り泣いて島田知事に中頭地区住民の真相を報告したのであった。
 

沖縄人がスパイであるというデマは終戦まで後を断たなかったが、これら一部軍人の中には、敗戦の責任を罪もない住民に転嫁しようという恐ろしいたくらみがあった。
 

つまり兵隊は死力をつくして奮斗したが、住民が防衛軍を裏切って敵に走り、彼らに協力した結果、かく敗戦に導いたものであるというのである。
 

こうした彼等のたくらみは、本土に疎開している沖縄の人々をして非常な苦境に陥入れるまでに、広く且かつ深刻な社会的影響を与え、沖縄人の国民的良心を痛みつけたのである。......」

沖縄教職員会の『これが日本軍だ』冊子


 
 

 


実は、当時満5歳で熊本の山村に家族疎開をしていた私自身も、忘れられない強烈な場面を目撃していた。
 

ある夜、沖縄の疎開者たちがお寺の御堂に集められて「沖縄玉砕」の報せを聞かされた。数十名の女性たちがいっせいに号泣するさなか、現地警防団のリーダーらしい人が、「友軍が負けたのは沖縄人がスパイを働いたからだ」という意味の発言をしたものだから、私の母が立ち上がって狂ったようにわめき声をあげてその男にくってかかった情景を忘れることが出来ない。

 

馬淵報告書を読んで、沖縄人デマ説は、十・十空襲のころからラジオ放送で流された大本営発表のニュースが元ネタになり、それに枝葉がつけられて「本土決戦」に向けた防諜対策の戦訓として流布したと推測される。
 


馬淵報告書はさらに続けて、次のように現地の人びとの気持ちを代弁している。
 

「この事実無根の悪放言は、単純な兵隊を刺激して、北部地区では戦争中友軍に最大の協力を与えた純真な知識人層の多数が彼等のために銃殺されるという無惨窮まる暴戻がなされた事実があるのである。
 

敗残のための昂奮も手伝ってはいると考えられるが、真相も弁えず、勝つための国民的協力に対する最後の報いが、世にもおそるべき銃殺でもってなされたという事実は皇軍という敬称でもって国民から遇されてきた相手だけに、恨みても余りある悲劇である」

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