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CDブック 獄中詩集 壁のうた
冤罪布川事件 無罪の29年・魂の記録
作家・森村誠一氏推薦!
桜井昌司=著
解説:山本 裕夫
●A5判変型 208頁
●2011年6月23日発行
●本体価格2000円
●ISBN 978-4-87498-461-1
20歳のときに、地元で起きた布川事件の容疑者として別件逮捕され、警察の誘導による「目撃」証言を支えに、杉山卓男さんと共に無期懲役の刑を受けた。
仮出獄するまで29年に及ぶ獄中の桜井さんを支えたのは、面会や手紙を通じた多くの支援者との交流であり、自らのを見つめ直す二百篇に及ぶ獄中での詩作であった。
刑務所の壁を前にして作り続けた魂の記録!
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著者
桜井昌司(さくらい・しょうじ)
1947年1月 栃木県塩谷郡塩谷村に生まれる。
1962年4月 龍ヶ崎第一高等学校に入学。
同年9月 同校中退。いくつかの職を転々とする。
1967年10月 窃盗容疑で別件逮捕。知人の杉山卓男さんと共に同年8月、茨城県北相馬郡利根町布川で起きた強盗殺人事件の犯人とされ、以後29年間獄中で過ごす。83年に獄中から第一次再審請求を行うが、92年に棄却。千葉刑務所で服役中に2百編近い詩作と作曲に取り組む。
1996年11月 仮釈放で社会復帰後、利根町に住んで土木建築会社に勤務にしながら、第二次再審請求の実現に向け全国各地で訴える。
1999年7月 支援者の磯崎恵子さんと結婚。
2001年12月 日本弁護士連合会と日本国民救援会の支援の下に、杉山卓男さんと連名で水戸地裁土浦支部に第二次再審請求を申し立てる。
2005年9月 水戸地裁土浦支部彦坂孝孔裁判長、布川事件の再審開始を決定。検察が即時抗告し、再び東京高裁で審理される。
2008年7月 東京高裁門野博裁判長、再審開始決定を支持し、即時抗告を棄却。検察が異例の特別抗告、最高裁第二小法廷で三度審理される。
2009年12月 最高裁第二小法廷特別抗告を棄却、布川事件の再審開始が確定。
2010年7月 水戸地裁土浦支部で再審公判開始、同年12月まで6回の公判が行われる。弁護団は検察に謝罪と無罪論告を求めるが、検察は再び桜井・杉山両被告に無期懲役を求刑。
2011年5月 水戸地裁土浦支部神田大助裁判長、布川事件被告桜井・杉山両氏に無罪判決。事件発生後43年余を経て無実が明らかになった。
●もくじ
人生の座標軸──『獄中詩集・壁のうた』に寄せて
森村 誠一
なぜ 闇の中に
待つ
訴え
ボクは労働者
僕は眠りを知らない
僕の仕事
夢の中から
殺したいと思っても
夢を見たい
クスリは嫌いだ
猫
八、〇七八日目
シャバなみ
カラスの鳴く朝に
座標軸
あなたも有資格者
刑務所
記念日
孤独を知るとき
父母 愛する人へ
父ちゃんへの手紙
手
行方不明
父の暦
一度だけでも
しあわせ論
二十五年目のラブレター
玉手箱の中に
涙を流すのは
表札
季節・花・風
目くばせから
僕の正月
バラは咲いている
独房の中で
沈丁花
自由の中へ
夏が好き
同居者に
空
紅葉
季節のたびに
窓を拭く
春の楽しみ
いま あなたに
いま あなたに
面会
ただいま
光政さんに会えた
強さと優しさに
思う人
地図帖
限りなき日々へ
経歴書
また あした
一枚の写真に
春は
帰れる日が近づいて
仮 出 獄
この喜びを
第一号
プレゼント
沈丁花の下に
正月
現地調査
布川事件とは?
布川事件・桜井昌司さん、杉山卓男さんを守る会
冤罪・布川事件の真実
〈弁護士〉山本 裕夫
あとがき
桜井 昌司
立ち読みコーナー
■
あとがき
改訂版、詩集を読んでくださいまして、どうも有り難うございました。
私が獄中で書き溜めた詩を詩集として出版しましたのが、二〇〇一年でした。無実の罪を晴らすべく、日本弁護士連合会にお力添えをいただいて、水戸地方裁判所土浦支部に再審請求をした年でした。
あれから一〇年、今年の五月二四日に、私は再審を実現して無罪判決を得ました。
死刑・無期懲役刑者の再審無罪は、戦後九件目になります。二九年という長い月日を獄中で過ごす中、その月日の記録を刻む思いで願いや感慨、体験から得たものを詩として書いていましたとき、無実となる日を迎えたいと願っておりましたが、本当に勝利の日を迎えることが出来るのか、全く判りませんでした。しかし、とうとう願いを叶えることができました。
私が逮捕されたのは、二〇歳の秋でした。愚かな生活を続けていたせいでの窃盗罪の逮捕でした。強盗殺人事件での取調べを受けて、「兄のアパートにいたこと、兄の働くバーに飲みに行ったことなど」、申し立てたアリバイを否定されて記憶を混乱させられ、連日の追及と嘘発見器を使った取調べで「嘘発見器が犯人と証明した、もう逃れられない」と言われたことで、心が折れて嘘の自白をしました。でも、まさか嘘の自白だけで犯人にされるとは思ってもおりませんでした。
この一〇年間、いろいろなことがありました。
足利事件の菅家利和さんが、DNA鑑定によって無実が明らかにされ、千葉刑務所から劇的に社会に復帰したことで、社会の皆さんに冤罪の存在を知らせました。
足利事件と菅家さんについては、沢山の報道がありましたから、冤罪がつくられる経過も理解されるようになったと思いますが、今も昔も警察の行うことに変わりはありません。冤罪は作り上げられます。
布川事件の再審が確定したとき、新聞報道は、布川事件の捜査を行った捜査官のコメントを掲載しました。その捜査官が語るには、「当時の捜査幹部から、二人の指紋と合わせられないかと言われた」とのことでした。しかし、合わせるようなことはできないと拒否したそうです。
このコメントを知ったとき、私は、一九六七年一一月のある日の取調べでの出来事を思い出しました。私に嘘の自白を強いた早瀬四郎警部補は、取調室(取手警察留置場内の看守仮眠室が取調室になっていました)に事件現場の証拠品を持ち込み、私に見せながら説明を求めてきました。その中に、犯人が壊したらしい便所の窓の桟が二本ありました。その二本を示しながら、こう言いました。
「桜井、この桟をどう壊したのか、ちょっと持って説明してくれ」と。
もし、あのときに、私が不用意に便所の桟に触れていたならば、一体、どうなったでしょうか。「動かぬ証拠発見! 犯人!」とされ、残念ながら再審は実現できていなかったろうと思います。
あのときは、なぜ早瀬警部補が「触れ」と言うのかが理解できませんでしたが、今は判ります。「指紋を合わせよう」としたのです。でっち上げようとしたのです。その証拠に、この便所の桟二本の「指紋対照鑑定」は、調べがあった後の一二月に行われています。
警察は、証拠をでっち上げます。いったん、犯人として「自白」をさせたならば、自分たちが正しいとするために、どんなことでもするのです。
郵便不正事件で、村木厚子さんを犯人にするため、検察官は証拠を改ざんしました。証拠の改ざんは犯罪です。当然ですが、では、証拠を隠すのは、どうでしょうか?
布川事件の裁判で行った検察の証拠隠しは、実にひどいものがあります。
まず、私のアリバイについての証拠を隠しました。
私たちが犯人だとして、犯行後に東京都中野区野方駅に帰り着く時間を調査した「昭和42年12月14日付捜査報告書」がありました。成田線布佐駅九時五一分発に乗ると、常磐線の我孫子駅が一〇時二五分発、山手線の日暮里駅で乗り換えての発車が一一時一四分発、高田馬場駅で西武新宿線に乗換えての発車は一一時三八分、そして野方駅下車が一一時四七分だったとの報告書でした。さらに、アリバイである兄のアパートまで歩くと五分、一一時五二分着だったようです。
一方、当日のアリバイ証人である兄やバーの関係者の証言調書には、「昌司は一一時半頃に来て飲んでいた」とありました。
この二つの調書を、検察は三五年も隠してきました。「一一時半に飲んでいた」者が、どうして「一一時四七分」に野方駅に下車するのでしょうか?
私の「自白」は、「野方に帰り、兄のアパートに行って着替え、それからバーへ行った」というものです。この嘘が明らかになっては、私を犯人に出来ないと思ったから、検察は、このアリバイ証拠を隠したのです。
事件現場で発見された「毛髪八本」と「鑑定書」も、私たちの毛髪と鑑定して違うことから、やはり三五年も隠しました。
「杉山と違う人を現場前路上で見た」と語る証人の存在も隠しました。
嘘発見器の記録は洪水で流出して失ったなどと、「拉致被害者の遺骨は全部洪水で流されてしまった」などと弁明する北朝鮮当局と同じようなことを言って隠しています。
存在が明らかな「杉山の録音テープ」、目撃者の初期供述調書はじめ、まだまだ沢山の証拠が検察庁の倉庫に隠されています。
私が二九年の獄中生活を余儀なくされたのは、警察と検察の不法行為を行ったゆえであることは、今や明白になりました。
私は、刑務所暮らしをすることになった三一歳のとき、どこで生きても人生で一度限りの時間だから、全力で頑張ろうと思いました。怠惰でいい加減な生き方をやめて、刑務所の中での時間を一生懸命に生きてみようと思ったのです。ただ目の前のことを全力でなせ、そんな言葉を自分のモットーにしました。
みんなと楽しく、みんなで楽しく、そして、みんなを楽しくさせるように時間を過ごしたいなどと考えて始めた刑務所生活でしたが、千葉刑務所の一八年は満ち足りた時間でした。
刑務所は、すべてに規則があって、規制と制限の世界です。毎日、決められた仕事をしますが、作業中に職員と目が合っても「脇見!」と注意され、処分を受けたりします。一切の自由がないと思ってよい環境ですが、私には、それでも人として満ち足りる時間がありました。それは、日本国民救援会の支援があったからです。
痴漢冤罪事件はじめ、沢山の冤罪を支援している救援会と出会い、支えられればこその幸せでした。見返りを求めず、真実と正義を守らんと助けてくださる人に支えられる中で、私は自分の過去を反省できました。晴れ晴れしく生きる喜びを知りました。
この詩集にあります詩と思いは、社会正義を守るために誠実に活動される救援会の人々の想いが書かせてくれたものです。
この詩集には、私が獄中で作詞、作曲した作品のCDも収められました。声楽家の佐藤光政さんに出会って教えを受け、獄中で作った作品の一部です。詩と一緒に、私の塀の中での思いが詰まった歌を知っていただければ幸いです。
一つの詩、一つの歌、作るたびに自分の人生を書き遺す思いだった刑務所の毎日も、今では夢のようです。
一五年前に刑務所を出るとき、私は、刑務所に入るときと同じような思いでした。地位や名誉や富など、もはや望むべくもない。それならば刑務所の中と同じように自分を裏切らないで、正直に、ありのままに、目の前のことに全力を尽くして生活をして行こうと思いました。もちろん、再審請求をして、いつかは無実を明かしたいと思っていましたが、とうとう無罪判決を受けて、私は自由になりました。
いま、改めて長い雪冤の月日を思いますと、私は、人様の支援に恵まれたと思います。毎月の面会、二六〇〇通に及ぶ激励の手紙をくれた救援会東京都本部の高橋勝子さんに代表される、救援会の皆さん、声楽家の佐藤光政さん、作家の佐野洋さん、伊佐千尋さん、絵手紙作家の田口孝夫さん、役者の故北林谷栄さん、切り絵画家の故にしじまやすおさん、さらに弁護団の先生方はもちろん、守る会代表世話人としても力を尽くしてくださった故中田直人先生、故清水誠先生はじめ、とても書き切れないほどに沢山の真心に包まれた私の人生は、実に幸せでした。
心から、皆さんに感謝申し上げます。有り難うございました。
私の人生は、新しい時間に進みます。私を有罪にするために、沢山の証拠を隠した検察は、全く反省をしていません。あろうことか、「四三年間、同じ主張を続けて否認して反省がない」と言います。
反省がないのは検察です。郵便不正事件で、あたかも誤りは認めて組織を改革をするような態度を示していますが、あんなのは見せ掛けだけです。
証拠を改ざんするのは犯罪です。では、無実の証拠を隠して有罪にするのは良いのでしょうか。無実の人を有罪にする証拠の改ざんも、無実の人を有罪にするために無実の証拠を隠すのも、犯罪行為としては同じ罪です。
税金で集めた証拠を検察官が独占し、自分たちが有罪と決めたらば、その他の証拠は隠してしまい、裁判官にも見せない。これが、今の裁判の実態です。国民が裁判員として裁判に参加する今、検察官が自分の思うままに証拠を操り、見立てに合わない証拠を隠してしまえば、今度は国民が誤った裁判の片棒を担ぐことになります。死刑や無期の誤判で、人の人生を奪うことになるのです。この詩集を読んでくださった、あなたは、それで良いでしょうか。
検察の証拠隠しが許される裁判は誤っています。私は二度と証拠を隠した裁判が行えないように「証拠開示法」の制定を求めて、新しい闘いを始めます。この詩集を読み、CDを聴いてくださった皆さんにも、私の新しい闘いにご支援とご注目をいただけましたらば幸いです。
最後に、私の詩を導いてくださった金指栄一さん、改訂版を出版するために力を貸してくださった吉田好一さん、上野節子さん、中澤宏さんと耕平さん、また出版してくださった高文研に、改めて、心からお礼を申し上げます。
二〇一一年五月
桜井 昌司
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