| 我が家にミツバチがやって来た【立ち読みコーナー】 | |||||
著者 久志冨士男(ひさし・ふじお)1935年長崎県に生まれる。佐賀大学文理学部英語英文学科卒業。以後1996年定年退職まで長崎県の高等学校で英語教師を勤める。 アジア養蜂研究協会会員。日本蜜蜂研究会会員。在職中からニホンミツバチを飼い始め、退職後はニホンミツバチの生態研究と普及に専念する。養蜂器具の特許、実用新案多数。 「壱岐・五島ワバチ復活プロジェクト」代表。戦後長崎県の離島で絶滅していたニホンミツバチを2007年と2008年にこれらすべての島で復活させた。 『ミツバチたすけ隊』http://mitsubachi.org/ 代表。 著書に『ニホンミツバチが日本の農業を救う』(高文研)がある。 e-mail:hisasi.huzio@amber.plala.or.jp ■はじめに 私がニホンミツバチと付き合い始めて二十数年が経った。その間、私のハチたちは増え続け、現在70キロメートルにわたって35カ所、親類、友人、知人、イチゴ農家に、多くて10箱ずつ合計250箱の巣箱を置かせてもらうまでに至っている。遠くてほとんど管理をしていない場所も多く、そこではハチたちに宿を貸しているだけの状態である。この250箱の中で100箱くらいが春の分蜂を経て群れとして生息を始めるのであるが、1年経つと3分の1に減るということを繰り返しながら、この二十数年の間に少しずつ増えたのである。 この本は、1995年、英語教師を定年退職したあと一応書き上げていたのを、思いつくごとに書き直し、書き加えてきたものである。いわば二十数年の集大成である。何とか世に出したいと思い続けていたが、専門的すぎるということで出版社に断られていたものである。前著『ニホンミツバチが日本の農業を救う』を書くことになったのは、もっと一般の人にもわかるものを書いてくれと言われたからであった。 私は長崎県の離島である壱岐島と五島列島で、戦後絶滅していたニホンミツバチを復活させたのであるが、私の予想を超えて、このハチたちが大繁殖をした。このハチによる養蜂を生業化しようと試みる人たちも現れ、そのための研究会が発足した。このニホンミツバチによる養蜂は、セイヨウミツバチ養蜂より多くの利点を持つこともわかってきた。 私がこれまで書き溜めていた内容では間に合わなくなり、生業の指針としてのさらに詳しい内容が求められるようになった。 この1年間、島の人たちと協力して、生業養蜂にふさわしい技術の開発に取り組んだ。ミツの生産を高めるための蜜源植物の選択と栽培および植樹が行われた。技術的には、ミツの分離法と濃縮法、巣箱の改良などが試された。1年間の努力の結果、ほとんど解決の展望を見るに至った。 現在、世界中でセイヨウミツバチが飼われているが、多湿のアジアではアフリカ出身のこのハチは生きるのが難しく、人による多大な世話を必要とする。資力も必須である。私は、アジアではアジアで進化を遂げたトウヨウミツバチ(ニホンミツバチはトウヨウミツバチの亜種)に取り替えたほうがよいと思うに至っている。 この書が、ニホンミツバチ生業養蜂の手引きになれば幸いである。 ■おわりに 残念ながら参考文献を挙げることが出来ないことをお許し願いたい。ミツバチに関することなら目に付く限りすべて読んだつもりであるが、どんな知識をどの本から得たのか正確に思い出すことが出来ない。 先人の研究の成果を頼りに、この20数年の間ニホンミツバチとの付き合いをしてきたのであるが、その間にこのハチの生態について私自身が最初に気づいた事柄もあるのではないかと密かに自負しているところもある。 ここで私の最近の活動についても紹介させていただきたいと思う。昨年私の70群いたニホンミツバチが年末には17群に激減していた。初めて経験することであった。ハチはミツをたっぷり残したまま消滅したのである。欧米から報告される蜂群崩壊症候群と同じ現象である。気がつけば、ツバメもスズメもキジバトも農村から姿を消していた。いろいろと調査をして、ネオニコチノイド系農薬によるものに間違いないと確信するに至り、何とかしなければならないと考えているとき、私の前著を読まれ、私の思いを受け止めてくださる方々の助力を得て「ミツバチたすけ隊」を立ち上げるに至った。その過程で、武術家の甲野善紀氏との出会いがあり、大変なご助力をいただいた。 ニホンミツバチを通してできた多くの人たちの支えを頼りに、すべての生き物が共存共栄できる地球をめざして、まだ頑張れると思っている。
当サイトは出版社・高文研が管理・運営しています Copyright (C) by 久志冨士男 Copyright (C) by KOUBUNKEN Co.,Ltd. Tokyo Japan |
|||||