| 朝鮮王妃殺害と日本人【立ち読みコーナー】 | |||||
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著者 ■編者─────────────────────── 金 文子(キム・ムンジャ Kim Moonja) 1951年、兵庫県に生まれる。70年、大阪府立北野高等学校卒。79年、奈良女子大学文学部修士課程終了。79年4月から86年3月まで同大学文学部助手。98年4月から現在に至るまで、同大学事務補佐員。 論文等「朴珪寿の実学──地球儀の製作を中心に」(『朝鮮史研究会論文集』17号、1980年3月)「李朝後期科挙制度について──直赴法を中心に」(『研究年報』24号、奈良女子大学文学部、1981年3月)「三・一運動と金允植──独立請願書事件を中心に」(『寧楽史苑』29号、奈良女子大学史学会、1984年3月) ■あとがき 私は、一八五一年生まれの明成皇后よりちょうど百年あとに、日本で生まれた在日二世です。大阪で育ち、奈良女子大学で東洋史を専攻しました。大学院修士課程を終え、引き続き七年間も史学科助手の職を与えられながら、一人前の研究者になれないまま退職した、研究者の「落ちこぼれ」です。子育てと介護に追われた生活のあと、再び奈良女子大学で事務補佐員の職を得て、もう一度研究しようと思いはじめて約一〇年が経ちました。 明成皇后と出会ったのは、多くの日本人がそうであるように、角田房子さんの『閔妃暗殺』でした。とりわけ巻頭に載せられた「閔妃の写真」には心が引かれ、実物の写真を見たいと思いました。角田さんの本に紹介されていた『映像が語る「日韓併合」史』に書かれた写真の所蔵先、岩手県水沢市の斎藤実記念館に電話をかけて、「閔妃の写真」を見せてほしいとお願いしたのが、二〇〇二年八月のことでした。この顛末については序章で書きましたので省略します。以来、原典で確認するまでは、何事も信じるまい、というのが私の信条となりました。 それより少し前の二〇〇一年一一月には、栃木県の佐野市立郷土博物館に「須永ノート」を見に行き、王妃殺害に関与し日本に亡命した朝鮮人である、黄鉄・禹範善の墓にもお参りしました(序章参照)。その直後に、黄鉄の孫の田川律さんが「祖父黄鉄を訪ねる旅」を『雲遊天下』という雑誌に連載しておられたことを知りました。年も押し迫った頃、編集局に感想文のようなものをメールで送ったところ、早速二〇〇二年二月一日発行の同誌二九号に掲載していただき、私にとっては、再出発の記念すべき文章となりました。 その後、幕末から明治にかけて横浜に居住していたイギリス人ベアトが撮影した朝鮮の写真が、横浜開港資料館にあることを知り、見せてくださいと同館を訪ねたことが縁で、同館の企画展図録ともなった『外国人カメラマンが撮った幕末日本』(明石書店、二〇〇六年四月)の第X章「アメリカの朝鮮出兵」を担当し、初めて原稿料というものをいただきました。これは研究を続ける上で、大きな励みとなりました。 本書に収録した文章は、この一〇年の間にぼつぼつ書き溜めていったものですが、すべて未発表のものです。最初から全体を構想して書いたものではありません。序章とした「王妃の写真」を先ず書きました。この時に、近代になって初めて出現した写真という史料を、歴史家がまだきちんと扱えていないということを痛感しました。以来、朝鮮に関する初期写真のデータベースを作りたいということが、私の秘かな目標となりました。本書の各章扉ページに、関連する写真とその解説を書けたことは、私の望外の喜びです。 序章の次には、終章にも書いたとおり、事件に関係した百年前の日本人を、ひとりひとり尋ねていきました。それらが、奇しくも川上操六に繋がっていったことは、自分でも驚きでした。川上が日清戦争後まもなく死去し、その後継者となった田村怡与造までも日露戦争を見ずに死去したために、川上とその配下たちの果たした役割が忘れ去られた感があります。川上操六はもっと研究されるべき人物だと思います。 今回、研究対象を「日本人」に限定した理由は、私の能力にかかわる問題です。幸か不幸か、私は日本に生まれ、日本語に習熟し、朝鮮語は不得手です。とくに会話はできません。私の生活圏は日本にあり、日本における調査は可能でも、それ以外は不可能です。このことも、考えようによっては私の財産であると思い、自分のできる研究を進めることにしました。しかし、いつかは、百年前の困難な時代を生きた、魅力的な朝鮮人を描きたいと思っています。日本人が共感できる朝鮮人像を提示できれば、日本人の歴史認識も大きく変わるはずです。 本書を書き上げる過程で、多くの方のお世話になりました。 まず、学生時代同様に、あるいはその頃以上に叱咤激励してくださいました、奈良女子大学名誉教授の中塚明先生がおられなければ、私は本書を書き上げることはできなかっただろうと思います。本書に収録した原稿の大部分は、先生のご批判を得て何度も書き直したものです。感謝の言葉もありません。 奈良女子大学文学部人文社会学科文化メディア学コースの武藤康弘先生には、古写真を見るために必要な、勲章・軍服に関する知識を与えていただきました。武藤先生のご教示がなければ、各章扉ページ写真の解説、とりわけ第U章川上操六、第V章新納時亮、第W章楠瀬幸彦の肖像写真の解説はとうてい書けなかっただろうと思います。 同じく歴史学コースの山辺規子先生には、イタリア語文献の翻訳でお世話になりました。芳川顕正、野村靖、陸奥宗光、井上馨の書簡の解読には島津良子さんに協力していただきました。フランス語を見ていただいた住吉真弓さん、英語を見ていただいた倉橋佳子さん、みんな奈良女子大学でともに学んだ友人たちです。また、奈良女子大学総合情報センターの小松原孝義さんには、図版を製作する上で大変お世話になりました。 こう書いてみると、私が本書を書くことができたのは、奈良女子大学で得た縁に支えられてであったことがよくわかります。奈良女子大学は二〇〇九年五月に創立百周年を迎えます。記念すべき年に、本書を上梓できることで、少しは恩返しになるでしょうか。 最後に、編集を担当していただきました高文研代表の梅田正己さんにお礼を申し上げたいと思います。実績も経歴もない私の本の出版を引き受けてくださっただけでなく、原稿を丁寧に読んで、文章の句点を正し、補うべき言葉を指示してくださいました。手を抜いて書いた部分には、「ここのところの意味がわかりません」と厳しいクレームがつきました。私の文章が少しは読者に通じるものになったとしたら、梅田さんのお陰だと言うほかありません。 私はすでに、四五歳で亡くなった明成皇后の行年を一回りも超えてしまいました。明成皇后のような聡明さには恵まれておりませんが、もう一回りは長生きして、本書でやり残した問題をひとつひとつ解いていきたいと思います。 二〇〇八年一二月二五日 奈良にて 金 文 子
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