厚い本になってしまいました。目標は200ページ台で仕上げることをめざしましたが、結局320ページになりました。350ページを超えていた第3版よりは、少しスリムになりましたが、中身はより凝縮されています。
3版を出してから11年目に4版になりました。2006年5月に3版の9刷を作るときに、次は増刷でなくて「4版にする」ということは、暗黙の了解事項でした。
2007年になり、そろそろ4版の準備を始めようかと思っていました。そんな5月、ずっと八重山の項目を執筆していた金城朝夫(友寄英正)さんの訃報を、沖縄の新聞で見つけました。
石垣島を訪ねたとき、いろいろ案内をしてもらいました。また東京で講演会などを企画したこともありました。気骨のジャーナリストでした。
残念ながら、金城さんに4版の原稿をお願いすることはできなくなりました。このときは、八重山の執筆者をどうしようかということだけでした。
その後、沖縄で、東京で3版の執筆者の新崎盛暉さん、大城将保さん、長元朝浩さんなどと4版についての相談をするうちに、初版から20年以上過ぎているので、八重山だけでなくほかの執筆者も、極力バトンタッチしようとなりました。候補者をあげ、執筆打診の作業が続きました。
ならば一部構成も見直そうとなり、3版まであった文化をはずして、自然を入れることにしました。
こうして構成と7人の執筆者が固まったのが10月でした。第4版の事実上のスタートが切られました。
ここで非常にやりにくい作業が始まりました。3版の執筆者というより、「観光コースでない沖縄」に最初から執筆いただいていた6名の方に、4版の刊行と執筆の交代をお知らせすることでした。およそ25年、高文研の沖縄関連書の最前線を走ってきてくださった方々でした。いい4版を作って、出来上がった本を見ていただくことだと、言い聞かせながらの作業でした。
4版の執筆者も沖縄の第一線の記者と研究者ですので、日々の業務の中での執筆です。2008年1月の仕事初めの日に、最初の原稿が到着。以後、さみだれ的に到着し、何度もやり取りをした方もいました。
ほぼ3月末で原稿、写真、図版などを確定、後は完成に向けて走りました。5月末には見本ができて、6月23日の沖縄慰霊の日の前には沖縄の書店にも並べることができました。
(東京から沖縄へ、書店に並ぶ書籍は船便で運ばれます。従って、東京からは1週間程度、遅れてしまいます。)
写真、図版を111点入れ、「沖縄の今」を伝える最良の筆者による第4版を見た朝日新聞のO記者からは、「執筆者の変更振りに驚いた」と、一報をいただきました。
6月末に琉球新報社の社長に就任した3版の執筆者・高嶺朝一さんは、カバーから名前が消えてさみしいと言っていました。いろいろなメッセージをいただいています。
発売からおよそ1か月、増刷の作業に入っています。3版までをお持ちの方も、ぜひとも手に取ってください。25年、沖縄は何が変わり、何が変わらないのかを確かめてください。