第二次大戦まで沖縄県は、大学はもとより高等学校や専門学校を持たない唯一の県でした。中等学校を出て高等教育機関で学ぶためには、海を渡って本土へ行くよりなかったのです。
大戦後、沖縄を日本本土から切り離して完全支配下に置いた米軍は、県民の教育要求に押されて戦後四年たった一九四九年、琉球大学を設立しました。その後、高まる進学意欲を受けて五八年、初の私立大学として沖縄短期大学が設立され、三年後に四年制の沖縄大学となります。
復帰運動が燃えさかった六〇年代をへて七二年、沖縄は日本に復帰しますが、そのとき沖縄大学は文字どおり存亡の危機に立たされました。狭い敷地に乏しい施設・設備でやりくりしてきた沖大は、文部省の定める大学設置基準を満たしていないとして認可されなかったのです。
戦後二七年間、米軍の占領統治下におかれた沖縄の特殊事情を一顧だにしない文部省に対し、教授たちは文部省前で座り込み抗議に入ります。
こうして認可はかちとったものの、大学の経営はどん底状態となり、ついには身売り問題さえ持ち上がります。そうした中、背水の陣をしいた教授会は、「地域に根ざし、地域に学び、地域に奉仕する、開かれた大学」というスローガンを掲げ、新たな教育実践に突入していきます。
今日のAO入試を先取りした入試改革、カリキュラム改革、本土の大学との単位互換制度、市民を対象にした土曜教養講座、琉球弧縦断移動市民大学、本土の高校教師を主対象にした沖縄戦の戦跡・基地フィールドワーク「沖縄セミナー」などです。
こうした取り組みを始めてから三〇年、今もまだその模索と挑戦はつづいていますが、経営に関しては、日本私立大学振興・共済事業団による診断で、「A1(超優良)」の評価を得ています。
国立大学の独立行政法人化や十八歳人口の減少で、大学は今や冬の時代を迎えています。この厳寒の季節をどう生き抜くのか、「沖縄大学五〇年の軌跡」は大きな示唆を与えてくれるはずです。