| 観光コースでないシカゴ・イリノイ 【立ち読みコーナー】 | |||||
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著者 デイ多佳子(でい・たかこ) 1955年神戸市生まれ。86年渡米。西海岸のカリフォルニア州バークレーに6年、大西部のサウスダコタ州ラピッドシティで7年を過ごしたあと、さらに東進して、99年から現在のイリノイ州デカブに住む。北イリノイ大学の人事部に勤務しながら、フリーランスライターを続けている。主な関心は、社会言語学と異文化交流、女性・マイノリティ問題。 著書に『アメリカ社会にチャレンジ―活躍する日本女性たち』(明石書店、1992年)、『バナナとりんご―アメリカ・サウスダコタ体験記』(五月書房、1993年)、『アメリカインディアンの現在―女が見た現代オグララ・ラコタ社会』(第三書館、1998年)、『日本の兵隊を撃つことはできない―日系人強制収容の裏面史』(芙蓉書房出版、2000年)、『大きな女の存在証明―もしシンデレラの足が大きかったら』(彩流社、2005年)がある。 ■はじめに 一九九九年八月、配偶者の仕事の都合で、アメリカ大西部コロラド州の北に位置する過疎の農業・牧畜州サウスダコタから、中西部イリノイ州に引っ越してきた。大都市シカゴを抱える州である。今私が住む町は、そのシカゴから西へ車で一時間、とうもろこし畑に囲まれた大学町デカブである。 私がデカブに移ると話すと、イリノイを知る友人たちは冷ややかな表情を見せた。 「デカブ。そんなところへ行くぐらいなら、サウスダコタにいた方がいいよ。シカゴの西なんてなんにもないんだから」 「シカゴ。あそこにあるのはシアーズタワーぐらいでしょ。何もないよ。やっぱりアメリカといえば、東と西海岸ですよ」 そうなんだろうか。一抹の不安がよぎった。 デカブに住むようになって一年ほど経ったころだ。ふと立ち止まると、カリフォルニアの友人たちの声がいやに胸につきささるのである。 本屋に行っても、地元イリノイについて書かれた本はあまり見当たらなかった。あっても、シカゴにちなんだ有名人の紹介や、文化・観光案内本が主である。 仕事にかまけている配偶者にイリノイについて意見を求めると、「イリノイなんてどこにでもあるただの農業州だよ。何にも面白いことなんてないよ」とそっけない。 そうなんだろうか。 二〇〇五年五月十日付地元紙『シカゴ・トリビューン』によると、シカゴを訪れる外国人旅行者のトップはイギリス人で、年間十七万人を数える。第二位が日本からで、年間八万人以上の観光客がやってくるが、それは第三位のドイツ人を二万人ほど引き離した数だ。 ところが、シカゴといえば、戦前から、在米日本人社会や日本に住む日本人のあいだでは、「ギャングと禁酒法の巷」程度のイメージでしか捉えられていなかったという(注)。 そのステレオタイプのイメージが現代にあっても生き続けていると、はっきりと身につまされたことがあった。二〇〇三年六月、シカゴで海外公演の口火を切った、日本からの有名なフォークグループのリーダーが、ショーが始まって開口一番、こう言ったのである。 「いやあ、シカゴといえば、アル・カポネのイメージしかなかったんですが、緑の多いきれいな町ですねえ」 シカゴですらこの調子なのである。ましてやシカゴを一歩離れたイリノイといえば、そこには何の変哲もない、ただのとうもろこしや大豆の畑が広がっているだけとイメージされても仕方はあるまい。 が、決してそうではないのである。イリノイは、アメリカそのものを動かすことになった、いくつもの歴史的事件に関わってきたなかなか面白いところなのである。なぜか。 それはイリノイが、五大湖の一つ、ミシガン湖と「トム・ソーヤの冒険」で知られるミシシッピ河にはさまれ、河川交通に恵まれてきたおかげで、昔から東西南北あらゆる方角から、人種、宗教、国籍を問わず、さまざまな多くの人々がこの地にやってきたからである。やがて鉄道が建設されると、シカゴは東と西を結ぶ重要な十字路となる。全米各地から集まってきた人間たちとともに、イリノイがたどった道は、アメリカ社会全体の発展の歴史に大きく関わってきたのである。 フランス人とアメリカ先住民が一体となって英国と戦った植民地時代、奴隷制議論を頂点にした南部伝統派と北部ヤンキーの対立の歴史、シカゴの経済的発展とその陰で生まれた社会主義的思想と理想、そして、なかなか答えが出ないさまざまな問題を抱えながらも、たゆまなく変わり続ける現代イリノイ――イリノイの広大なとうもろこし畑の風景の向こうに、相反する価値観がふつふつとたぎり、時には巨大な、ダイナミックなエネルギーとなって、アメリカ社会を静かに、しかし確実に動かしてきたのである。観光都市シカゴの、市内のいくつかの観光名所だけがやたらと注目されがちなイリノイだが、イリノイの特徴、性格や本当の魅力は、シカゴとその外に広がるさまざまな重層的な顔≠ゥら生まれている、と私はつくづく思う。そして、その重層的な顔にこそ、世界の超大国アメリカの本当の姿が浮かんでいるのである。 本屋にイリノイに関する本があまり見当たらないとなると、自分の足で調べるしかない。縁あって住むことになったイリノイでの時間を大切にし、自分自身と有機的につながることで人生を楽しみたい――イリノイでの最初の一年が過ぎると、私はそんな思いにとらわれていた。 一九八六年に渡米した私の在米生活も、いよいよ二十二年目に突入した。誰もが知っているような太平洋岸のサンフランシスコから、アメリカ人ですら知らない大西部、内陸の孤島サウスダコタ、そしてさらに中西部ハートランド(中核地帯)のイリノイと、東へ東へとアメリカを移動してきた。が、それでも、大国アメリカの本当の顔はまだまだ広く知られていないし、知ることもままならない、という感覚が私を支配する。 アメリカの本当の顔とは、ニューヨークやワシントン、ロサンゼルスといった大都会に住む一部のエリートたちが世界中に向けて発信する情報や、日本からやってきた一時的滞在者が面白おかしく語る表面的なアメリカ情報とは、まったく異なっていると私は思う。 アメリカという国の真実は、実は、誰も気にもとめない小さなコミュニティの盛衰に、象徴的に隠されているように私には思われてならない。東海岸や西海岸からの華々しく≠熬P細胞的なアメリカ情報からは、一見、見放されたかのようなイリノイ。だが、そこにかつて生きた凡庸なイリノイ人の姿を見つめることは、アメリカを、そしてアメリカ人をより深く知る足がかりになることは確かだろう。 小さな無名のコミュニティに生きた、パイオニアたちの強固な意志と心意気は、地元で生活する者だけが知ることができよう。しかし、名もなき彼らの熱い思い、理想の人間社会をめざしたそのエネルギーこそが、時空をこえて人々の心を打ち、つないでいくことができる――これは私の、たとえ人生のほんのわずかな時間でも、イリノイを生きた人々に捧げる、アメリカ・ハートランド讃歌である。 (注)伊藤一男著『シカゴ日系百年史』(シカゴ日系人会)四ページ
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