| 若者の心の病 【立ち読みコーナー】 | |||||
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著者 森 崇(もり・しゅう) 1936年、名古屋市に生まれる。1959年、名古屋市立大学医学部卒業後、九州大学医学部心療内科医局に入局。1966年、福岡市の長尾病院が心療内科を開設するとのことで若者の診療の手がかりを得る。同時期、福岡家庭裁判所の医務官として勤務し、非行少年らの診療にあたる。その後、福岡教育大学体育科助教授、福岡教育大学保健管理センター教授を経て、現在、北九州津屋崎病院副院長、青春期内科部長。07年4月まで日本思春期学会副理事長、現在は名誉会員。著書『思春期診察室』(池見酉次郎編/朝日新聞社)『思春期内科』(NHKブックス)『青春期内科診療ノート』(講談社)『青春期心身症の理解と治療 T』(学事出版)『青春期へのパスポート』(家族計画協会)〔以上、いずれも在庫切れ〕 猿北九州津屋崎病院 〒811-3307 福岡県福津市渡1693 TEL 0940-52-0034 FAX 0940-52-2779 ■私が歩いてきた道──あとがきにかえて 私は名古屋市に生まれ、大学を卒業するまで名古屋で暮らしていました。医学部を卒業して一年のインターンを修了すると同時に、九州・福岡へと旅立ちました。多くの友達は、そんなど田舎≠ノ行くなと引き止めてくれましたが、私の心の中には、親父と同じ場所にいたくないという気持ちと同時に、思春期の若者の心身の研究と治療をしたいという思いがうずいており、それが私を九州へと駆り立てたのでした。 そもそも医者になったら、私は自分が少年期に経験したような嫌な体験を少しでも理解し、若者たちの苦しい気持ちを何とか和らげたいと思っていたのです。幼少時期、親父からことあるごとに往復ビンタ、棍棒で殴られ、この世にいることを許されないような存在と思い続けていた自分がいたからでした。 いま考えてみると、おそらく幼児期に、父親を恐怖の対象と考え、一見、従順な男の子のような育ち方をした私も、思春期を迎え、自我の目覚めとともに自己を主張しだしたのでしょう。しかしその主張が通ることはなく、心の悩みだけにとどまらず、ときに下痢や背部痛となり、悩みこんだ時もありました。 もし、私が自分の未来に希望を持てなかったら、反社会的行動に走っていたかもしれません。幸い、一生懸命学業に打ち込み、医学部に間違って(?)入学し、WUS(World Uni-versity Service=世界学生奉仕団。本部はスイス)の活動で自分の思いを表出することができました。その心身の悩みの解消の一つとなったのが、大学生時代に友達とつくった「精神医学研究会」というサークルでした。そこで、心身の歪みがどこからくるかを知るために、高校生を相手に心の調査・相談に乗り出したのです。そしてそこで、若者たちの悩みを自分のことのように支援できるささやかな喜びを持つことができたのでした。 この喜びが、当時、九州大学医学部教授で、心療内科を創設した池見酉次郎先生の心身医学に興味を抱かせるきっかけとなったのです。インターンのとき一人で九州に出向き、池見先生にお会いし、若い人の心身医学をやりたいと申し出ると、先生は、「私は若い人の心身症は診ていない。きみが自分で開拓するならやってみな」と言われました。この言葉で、私は、若い人の心身症に取り組む決心をしたのでした。 もっとも、この決心をするにあたってはもう一人、WUSの全国大会での野村実先生との出会いと同時に、オーストリアの精神科医フランクルの著作に出会い、有神論的実存主義を知ったことが大きく影響していると思います。それまで自分の生き方に否定的であったのが、有神論的実存主義を学ぶことによって、人のために人間が実存することは有意義であると考えることができるようになったのです。 また同時に、ある骨相学の教授から、「きみは三二歳までしか生きることができないよ」と言われ、かなりショックを受けたことも、九州行きを後押しした要因かもしれません。三二歳までしか生きられないのであれば、生きているうちに世間に認められ、完全に親から独立したいと考えたのです。 そんな思いを抱きながら九州に来て、九州大学医学部心療内科に入局しました。とにかく若者の心身の病気を研究したいと、がむしゃらに一年間はみっちり大人の心身症を学習しました。二年目に福岡市の西に長尾病院心療内科ができ、若者たちを入院させるということから、そこで若者たちの診察を始める機会に恵まれました。かたわら福岡家庭裁判所の医務官になることができ、反社会的行動の若者と、離婚する親たちの心を観ることもできました。 翌年、福岡市郊外に若杉病院がつくられ、そこに「思春期内科」を設立することになりました。三〇人ほどの若者たちを入院させ、そこで私は、ほぼ泊まり込みのような状態で診療に当たりました。 この思春期内科ができた頃、福岡教育大学体育科の公衆衛生の助教授の席が空き、教官となり、教育の在り方と同時に大学生の実態に接することができました。その後、同大学の保健管理センターの教授として、大学生の心身の健康を預かることになったのですが、振り返ってみると、裁判所、教育現場、病院と、実にいいタイミングで若者の心身を診るのに適した職場を経験できたことは非常に幸運だったと思わざるを得ません。現在であれば、病院で診療活動をしながら裁判所の医務官をするとか、大学の教官を勤めるなどということは勤務体制からいって不可能なことだからです。 ところで、前述した今は亡き野村実先生との出会いですが、野村先生はアフリカのランパネラにあるシュバイツアーの病院でハンセン病を有神論的実存主義で診てこられた先生でした。その野村先生の生き方と有神論的実存主義が、いま私が若者を診ていく上でのハシラとなっています。もしこの出会いがなく、学業に興味を抱けなかったら、おそらく今の私はなく、存在感を抱けないまま、反社会的行動に走っていたであろう……そう考えると空恐ろしくなります。 このことと関連して、最近気になることの一つに、若者の親を殺す事件が目立っていることがあります。振り返ってみると、私も親を殺したいと考えたことがありました。いま改めてこのことを分析してみると、若者に共通しているのは、父親への構え方です。これは男子でも女子でもあまり変わらないのですが、幼児期後期における親の子どもへの関わり方に問題があるためです。 幼児期の後期は、大脳の記憶中枢が働き出す大切な時期です。母親を独占したい男の子にとって、父親はいわばライバルとなる存在です。このような時、ライバルである父親のあり方が子どもに大きく影響を与えるのです。両親が仲良く、子どもにとって良い存在であれば、子どもは正常に育ちます。父親がアルコールを飲んで乱暴したり、自己中心的で家族を無視したような存在になっていると、子どもの心は、自分の存在がないと考えたり、恐怖を感じたりするのです。 子どもは、父親を通していろんなことを学習します。父親が恐怖の存在と映れば、萎縮するか反発し、父親への恐怖のため、当面は良い子を演じるようになる可能性が強いし、逆に父親が甘すぎると、子どもは父を怖い存在とは思わず、わがままいっぱいにふるまい、母親密着になる可能性があるものです。 子どもが父親への恐怖で萎縮したような時、母親がその状態をきちんと理解して子どもと父親とのクッションになり、子どもをしっかり保護できたら、まだ子どもの将来は救われます。しかし、父親への恐怖を持ち続けて思春期を迎え、ちょうどその時期に子どもが生きがいを見つけられず、物事への正しい認知ができなかったりした場合、親殺しの衝動に走りやすい傾向がうかがえたりするのです。それは、多くの患者さんを診ていて感じることです。 若者が、その場の衝動で、あるいは計画的に、親を傷つけたり殺したりするような悲劇を起こさないよう、乳幼児期からの望ましい親子関係を築いてほしいものです。 ところで、ここで紹介しておきたいのは、若者たちの性や心身に関する悩みの相談相手として、いま全国で八千人の思春期保健相談士が誕生していることです。 思春期保健相談士養成のきっかけは一九八〇年代、10代の妊娠中絶が急増し、心身の病気も多くなったことから、当時の厚生省がこの問題解決のための取り組みを日本家族計画協会に委託し、同協会が日本思春期学会とともに検討した結果、若者の悩みに応じることのできる保健相談士を養成することで一致し、思春期保健相談士養成セミナーが開催されることになったのです。 セミナーは一九八一年から始まり、思春期における性、若者の心身の病、生活習慣などの問題を総論、各論、実習などのコースで受講、認定試験をパスすることで資格が得られます。今年度まで全国で八千人を越す人たちに資格が与えられ、全国で若者たちの相談相手になっています。セミナーは日本家族計画協会の主催で毎年開催されており、相談士の数はこれからもますます増えていくものと期待しています。 相談の窓口は全国にありますが、九州の場合は九州思春期研究会(事務局0930―23―1052、北九州津屋崎病院0940―52―0034)、その他、千葉思春期研究会、栃木思春期研究会、茨城思春期研究会、中・四国思春期研究会などのほか、保健所のほとんどに相談士がいます。 ちなみにこの思春期セミナーの講師陣には、元自治医科大学学長の松本清一先生、千葉大学の武田敏先生などとともに、私も心身医学の分野で常勤講師をしています。こうした相談システムを若者たちに大いに利用してもらいたいと願っています。 なお、本書に登場する患者さんたちはすべて仮名であることをお断りしておきます。 最後に、この本が出来るにあたっては、高文研の金子さとみさんから全面的な援助をいただきました。その力添えがなかったら、この本の存在はなかったものと思います。最初から最後までご苦労いただいたことに心から感謝するものです。 二〇〇七年九月二〇日 森 崇
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