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●目次
はじめに
第T章 東南アジアの軍事拠点・シンガポールの占領
- シンガポール攻略戦
- すでに始まっていた華僑への残虐行為
- シンガポールの諸民族
- 開戦前の華僑による抗日運動
- シンガポール・マレー半島のイギリス義勇軍組織
- イギリス特別作戦部隊
第U章 粛清の計画と準備
- 日本の領土「昭南島」
- 憲兵隊による治安確保
- 二月一八日、粛清命令出される
- 警備隊命令の作成
- 検問実施計画の具体化
第V章 どのように粛清対象者を選別したのか
- 久松隊─タンジョンパガー地区
- 上園隊─チャイナタウン
- 合志隊─リバーバレー・ロード
- 水野隊─アラブ・ストリート
- 大西隊─ジャラン・ブサー
- 宮本隊─カトン、ゲイラン地区
- 市川隊─市街地北西郊外
- 第二五軍参謀たちが憲兵隊に行った強引な指導
- 郊外地区で行われた第二次粛清
- アジア系捕虜の処刑
第W章 虐殺の現場
- チャンギ海岸─最初の処刑地
- タナメラ海岸─現チャンギ国際空港
- ベドック海岸
- シグラップ─「死の谷」「幽霊の出る丘」
- チャンギ・ロード周辺─島東部
- アンバー・ロード─カトン地区海岸
- ブラカン・マティ(セントーサ)島沖合─海上での虐殺
- ポンゴール海岸
- ピアス、マックリッチー両貯水池付近
- ジュロン地区─島西部
- ブキテマ・ロードほか
- ジョホールバル─シンガポール対岸
- 粛清の終了
第X章 粛清とその影響
- 粛清の犠牲者数──日本側の資料
- 粛清の犠牲者数──シンガポール側の資料
- 人口統計からみた戦争被害
- 憲兵自らの批判
- 住民全体への影響
- 料亭や慰安所を持ち込んだ日本軍
第Y章 なぜ粛清を行ったのか
- 日本軍の華僑政策
- 日本軍の首脳たちの戦歴
- 山下奉文・第二五軍司令官
- 辻政信・第二五軍作戦参謀
- 第二五軍の参謀たち
- 渡邊渡─軍政の実質的責任者
- 河村参郎・シンガポール警備司令官
- 「厳重処分」の慣行
- 軍律と軍律会議
- i日本軍の弁明は妥当か
- 「華僑義勇軍の勇敢な戦いへの報復」説
- 混乱していた日本軍の義勇軍認識
- ダルフォースとは
- ダルフォース「伝説」
- 「抗日華僑による武装かく乱の危険性」説
- 「華僑の通敵行為」説
第Z章 戦争が終わって──戦犯裁判と血債問題
- 戦争中から伝わっていた粛清
- 行方不明者の調査
- イギリス軍による戦争犯罪捜査
- イギリスによる戦犯裁判
- 血債問題──次々と発見された犠牲者の遺骨
- 加害責任と向き合おうとしない日本側の態度
おわりに
シンガポール華僑粛清=関係年表
参考文献
あとがき
●担当編集者より
「なにをぐずぐずしているのか。俺はシンガポールの人口を半分にしようと思っているのだ」
この言葉は、アジア太平洋戦争開戦3カ月で、英領シンガポールを占領した第25軍(司令官・山下奉文中将)の参謀だった辻政信中佐が、「抗日華僑」を選別する検問所を見回った時に、現場責任者に「選別作業」を督促した言葉です。
戦後、イギリスは「華僑粛清」の責任者である辻政信を戦犯として追及しますが、辻は逃亡、1948年5月に秘かに帰国します。GHQの庇護もあって、戦犯容疑者逮捕リストから削除され、日本が独立を回復した52年には、あろうことか、衆議院議員選挙に石川県から出馬してトップ当選を果たしました。著者は辻について、「戦争責任にきちんと向き合おうとしなかった戦後日本を象徴する人物である」と評しています。
その悲劇から60年が過ぎた今、どれだけの日本人が「華僑粛清」の事実と向き合っているでしょうか。
本書は、日本軍が占領下のシンガポールで引き起こした「華僑虐殺」の全貌を、現地を歩き、シンガポールと日本の資料だけでなく、戦犯裁判を行ったイギリス側の資料も駆使して明らかにしました。
年間約60万人の日本人が観光に訪れるシンガポールの知られざる悲劇の歴史を、日本人としてきちんと向き合うためにも、多くの人に読んでいただきたいと思っています。
(真鍋かおる)
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