司馬遼太郎がこの世を去ってからすでに十一年になりますが、人気は今もって衰えず、次々と新刊が出されています。
戦争に明け暮れた暗く惨めな昭和前半期に比べ、「坂の上の雲」をめざして日本人が一体となって突き進んだ明治は素晴らしい時代だった――。これがいわゆる「司馬史観」といわれるものです。今や半ば常識化し、革新を自認する人々の中にも賛同者が少なくありません。
しかし、本当にそうだろうか、と真正面から疑問を突きつけたのが、半世紀にわたって日本と朝鮮の歴史を研究してきた著者による本書です。
たとえば、一八七五(明治八)年に起こった「江華島事件」です。定説では、日本の軍艦・雲揚号が飲料水を求めて近づいたところ、朝鮮側から砲撃されたので、やむをえず応戦した、とされています。
ところが最近、雲揚艦長の井上少佐が書いた事件直後の報告書が発見されました。それによると、飲み水のことなどまったくの作り話で、初めから戦闘を予見して砲台に接近し、その戦闘も一日でなく三日間にわたり、旧式の大砲しか持っていない朝鮮側の陣地を破壊、攻略したのでした。
また一八九四(明治二七)年の日清戦争も、定説では七月二五日の豊島沖の海戦から始まったとされていますが、実はその二日前、二三日の朝鮮王宮を占領、国王を拘束することから日本軍の武力行使は始まったということが、著者が発見した参謀本部の戦史草案から明らかになっています。
このように、日本は明治の初めから隣国・朝鮮への侵略を開始し、日清戦争で朝鮮の支配権を確保すると、次いで明治三七・八年の日露戦争の勝利によって満州の支配に乗り出したのです。昭和に入ってからの中国への全面的侵略は、まさにこの〈明治の路線〉を受け継いだものにほかなりません。
坂の上の雲(=世界の一等国・大日本帝国)をめざした明治を「栄光の時代」ととらえる「司馬史観」は、侵略を受けた隣国から見れば、侵略を正当化する帝国主義史観となるでしょう。
日本と中国、韓国の間で「歴史認識の共有」が大きな問題となっています。民間でも政府間でも、その試みが始まっています。しかし、自らの内部に横たわる歴史観の検証・点検を抜きにして、国境を越えた歴史認識の共有が達成されるはずはないというのが、本書の著者の確信です。
アジアの転換期にある今、心ある多くの人に読まれることを願っています。