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●目次
はじめに
プロローグ
──浅見真吉の「日記」とその経歴
1 「はけ口」を日記に求める
2 父の生育歴とその後
T 日中全面戦争に突入する
──昭和一二〈一九三七〉年
1 「支那は始末におえない国だ」
2 “銃後の支え”があってこそ
●甥、正一の出征におけるハレの儀式
●久喜町応召兵士、久喜町出征兵士後援会など
●戦時下の女学校、女学生
●戦時下の日常と家庭生活の面
●浅見正一、太原攻略戦に参加
3 南京占領と泡立つ銃後
●兄の死病の進行とともに
●南京陥落、兄の死、「愛国行進曲」
U 中国戦線の拡大と「銃後」
──昭和一三〈一九三八〉年
1 前線と銃後、甥と叔父
●「北支」に「新政府」
●正一の部隊長への手紙
2 妻の死と憂愁の秋
●妻ラク、実家への帰省
●亡くてぞ人の恋しかりける
3 武漢攻略戦と真吉の日常
●正一、漢口攻略戦に参加
●武漢占領と真吉の寂寥
●さらば昭和十三年よ
V 泥沼化する戦争、窮迫する国民生活
──昭和一四、一五〈一九三九、四〇〉年
1 昭和一四年──「国際情勢は複雑怪奇」
●近衛の内閣投げ出しと、平沼内閣
●浩の学芸会、物価高、浅見正一の帰還
2 昭和一五年──「紀元二千六百年」
●神がかりの国家像、「八紘一宇」
●「バスに乗りおくれるな」
●浅見真吉、再婚
W 日米開戦、緒戦の勝利と戦局の転換
──昭和一六、一七〈一九四一、四二〉年
1 戦争の足音を聞きつつ、日常はつづく
●子供の相手、闇、故郷懐旧、その他
●長男・隆司は陸軍士官学校、浩、輝男は国民学校へ
●御前会議、「関特演」での大動員
●されど楽しい夏休み
●忍びよる運命の日
2 開戦と国民的熱狂、舞い上る天皇
●再び泡立つような雰囲気が
●浅見真吉におけるハレとケ
3「戦果の放送が遠のいた」
●事実を発表しないのはいけない
●知らされざる転期の秋
●ガダルカナル戦、その他
X 不安と疑問の霧につつまれて
──昭和一八〈一九四三〉年
1 大本営用語「転進」と「玉砕」の登場
●「決戦の年」、「馬鹿者」校長と後妻
●山本五十六戦死、アッツ島「玉砕」
2 「絶対国防圏」は決めたけれど
●軍国教師の戦時生活
●あいつぐ応召・出征と「無言の凱旋」
●大本営発表に不安、疑問がわく
Y 敗色深まり、空襲はじまる
──昭和一九〈一九四四〉年
1 「南太平洋の決戦苛烈凄愴」
●ある中学教師から聞く内密の時局談
●マーシャル諸島からマリアナ諸島へ
●食い物の問題、後妻の無理解
●長男・隆司、陸軍航空士官学校卒業
●三男・浩、浦中三年生、後妻と衝突、校長はクビ
2 サイパン「玉砕」、中学生、女学生は通年勤労動員に
●「海軍はどうした、陸軍はどうした」
●中学三年の浩は通年勤労動員、久喜高女は学校工場≠ノ
●小磯内閣、戦果誇大発表の例
3 忍びよるニヒリズムの影
●浅見隆司、前線へ
●特攻攻撃、空襲の日常化
●浩、授業に焦がれる
Z 敗戦への道、空襲の日々
──昭和二〇〈一九四五〉年夏まで
1 東京大空襲、硫黄島「玉砕」、沖縄失陥
●浩も学徒も御苦労なこと
●東京大空襲、天皇被災地巡行
●うわさ話と替え歌
●空襲につぐ空襲、真吉は「御真影」の奉護係
●石田校長ほか、官吏は汚吏と化す
2 空襲に明け暮れ、戦争に倦み疲れる
●「本土決戦」にそなえて
●空襲下、たびたびの御真影「奉遷」
●「広島に新型爆弾」「日ソ開戦」「時局は益々重大」
[ 敗戦の秋、天皇崇拝だけは残った
──昭和二〇〈一九四五〉年8〜12月
1 8・15からミズーリ艦上の降伏調印式まで
●8月15日、敗戦告知の「玉音放送」
●「敗けても静かのほうがいい」隣の小母さんの実感
●物情騒然、空には米機がブンブン飛び廻る
2 空襲はなくなったけれど
●東条自殺未遂を見る庶民の眼
●真吉日記が無視した天皇とマッカーサーの写真
●物不足の秋、すさむ人心
●昭和二〇年大晦日の真吉日記
あとがき
●担当編集者より
本書の主人公、浅見真吉は明治28(1895)年、埼玉県北部の村に生まれ、小学校教師をへて女学校教師となり、戦後は高校教師を務めて、昭和59(1984)年に89歳で亡くなりました。
この間、昭和2年から没する直前までの58年間、大学ノートを使って、文字通り一日も欠かさず日記を書き続けました。その残された二百数十冊の日記帳のうち、盧溝橋事件により日本が中国との全面戦争に突入した昭和12年から敗戦の20年までの8年間の日記を使って、戦時下の庶民の暮らし、とくに軍国主義教育を推進する立場にあった教師の生活と意見を等身大でリアルに再現したのが本書です。
盧溝橋事件が起こった当時、主人公はすでに42歳になっていましたから、出征はしません。しかし、甥(兄の息子)は中国戦線へ出征してゆきます。その甥に対し、叔父はせっせと手紙を書き、慰問袋を送ります。それに対する戦地からの礼状も本書に載せてありますが、それを読むとまさに「銃後が前線を支えた」構図がよくわかります。
また主人公自身の長男も陸軍士官学校に進学、やがて入隊してゆくほか、主人公の住む町内からも何人もの若者が出征していきます。そのたびに町では出征兵士の見送りをし、留守家族のための寄付金を募り、南京陥落はじめ日本軍の大勝利には提灯行列を行なうなど、隣組を使っての配給制度とあわせ、人々は戦時体制に組み込まれていきます。
やがて敗色が深まり、空襲が続くようになると、主人公はたとえ真夜中でも警戒警報が鳴るたびに学校へ駆けつけることになります。「御真影」(天皇・皇后の肖像写真)の奉護係として、それを抱え、森や竹やぶの中に避難させるためです。
本書の書名は「ある軍国教師」となっていますが、主人公がもともと好戦的であったわけではありません。国を挙げて戦争遂行・戦時体制へと突入してゆく中で、まじめな努力家の教師がそのまじめさと律儀さゆえに「軍国教師」となっていったのです。
本書の著者は、主人公の子息です。在野の思想家であり、「父」についても時代の流れの中で突き放して対象化され、描かれています。
本書の舞台となっているのは60年以上も前の日本です。しかし平和憲法をもつこの国でも、すでに自衛隊の海外出動が現実化し、集団自衛権も行使できるようにすべきという意見が声高に主張されています。民衆にとって戦争・戦時体制とはどういうものかをリアルに知るために、日記という第一次資料を使って書かれた本書が広く読まれることを願っています。
(梅田正巳)
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