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●目次
はじめに
再び裏切られた「戦後」 渡辺 清
対談 日本人と戦争責任 斎藤貴男・森 達也
- 「戦中派」世代の体験を受け継ぐことができるか
- 天皇制をめぐって
- 政治家や官僚を縛る憲法から国民の生き方を定める憲法へ
- 「靖国」をめぐって、世論が右翼を追い越した?
- 連綿と続く底なしの無責任感覚
- 経済界の「戦争観」と「教育観」
- 「思考停止装置」──日の丸・君が代・教育塔
- 他人を見下す人間の心性
- 反戦デモは「私的な迷惑行為」、首相の靖国神社参拝は「個人の自由」
- メディアの「わかりやすさ症候群」が人びとから想像力を奪う
- 「正しい戦争」をめぐって
- 「平和原理主義」でいこう
- 「後ろめたさ」を抱きしめて生きるということ
戦艦武蔵とともに海底で眠る友へ……渡辺 清
なぜ『海の城』『戦艦武蔵の最期』『砕かれた神』を書いたのか……渡辺 清
あとがき──森達也・斎藤貴男
●担当編集者より
3年くらい前に渡辺清の『砕かれた神』(岩波現代文庫)を読んだ時の衝撃が、今度の本を作るモチベーションになりました。そもそも、どうして自分が渡辺清の遺した言葉に共感を覚えるのか、自分でも深いところまではわかりませんが、「加害者になる恐ろしさ」について子どもの頃から考えてきたからではないかと思っています。
例えば、小学校・中学校時代を思い返すと、「おかしい」と思っても自分の意見を言わず、周りの状況を見ながら大勢に身をまかせるという経験をいっぱいしてきました。(日本の学校に通った人ならみな経験していることだと思います)
つまり、意に沿わぬことでも、周囲から浮かぬよう、目立たぬよう「仕方がない」と自分に言い聞かせて行動していた、情けない自分の姿が記憶の奥底にあり、それが、過酷な戦場体験や自らの加害責任に触れた元日本軍兵士の証言、日本の植民地や占領地で惨い目に遭わされた人の話を聞いたりすると、疼くわけです。自分がその場に兵士として立っていたらどのような行動を取っただろうかと考えると、残虐行為に加担している自分の姿が容易に想像できます。
だからこそ、そういう状況に自分が追い込まれないようにするにはどうしたらいいかを考える本を作りたいといつも考えています。そのためには、まずは歴史を知ることが大切だと思い、近現代史をテーマにした本を手がけてきました。
そこで、今度の本では、渡辺清が生涯こだわり抜いた「天皇に心酔しきった自分に責任はないのか」という言葉をテキストにして、近い将来、憲法が「改正」され、米国と共に積極的に戦争に参加する日本国の一員として、自らの戦争責任について考えられる本にしたいと思っています。
しかし、戦争体験を持たない私が、渡辺清の本をもう一度世に出せるか、どうしたら戦争未体験世代に手にとってもらえる本を作ることができるか、その大きな壁を乗りこえるために、ジャーナリストの斎藤貴男さんと映画監督の森達也さんに「ナビゲーター」をつとめていただきました。戦争未体験世代の二人の交わした言葉の中に、渡辺清の思想を蘇らせるヒント、読者が自らの戦争責任について考えるきっかけが見つかるのではないかと期待を込めて編集しました。
(真鍋かおる)
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