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高文研 top 福沢諭吉の戦争論と天皇制論【立ち読みコーナー】
 著者 
安川 寿之輔(やすかわ・じゅのすけ)

1935年、兵庫県に生まれる。1964年、名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了。近代日本社会(教育)思想史専攻。宮城教育大学、埼玉大学教育学部、名古屋大学教養部・情報文化学部に勤務。98年、定年退職し、わだつみ会、不戦兵士・市民の会などの市民運動に参加。
現在、名古屋大学名誉教授、教育学博士、不戦兵士・市民の会理事。
著書:『福沢諭吉のアジア認識』 『福沢諭吉と丸山眞男』(ともに高文研)『増補・日本近代教育の思想構造』(新評論)『十五年戦争と教育』(新日本出版社)『女性差別はなぜ存続するのか』『日本の近代化と戦争責任』『日本近代教育と差別(編著)』(明石書店)『大学教育の革新と実践』(新評論)他。


まえがき

 本書は、語彙や文体から起草者を推定する「井田メソッド」による『福沢諭吉全集』無署名論説の筆者の再認定作業を行い、アジアへの侵略・蔑視や天皇尊厳を説く社説は「民族差別主義者・天皇賛美者」の石河幹明らが起草した論説であるという誤った認定にもとづいて、新たな福沢諭吉の美化・偶像化をはかった平山洋『福沢諭吉の真実』、井田進也『歴史とテクスト』の二著を、全面的な誤謬の書として批判したものである。

 例えば、「天賦人権論者」の福沢が「臣民」という用語を使うはずがないという勝手な思い込みで、「臣民」は石河幹明、「人民、国民」は福沢諭吉という語彙判別基準によって、平山洋と井田進也は『尊王論』(平山のみ)と「日本臣民の覚悟」の筆者を石河幹明である、と誤認定した。二人に共通する決定的な問題点は、「時事新報」の無署名論説の福沢筆か否かの筆者認定にあたって、論説主幹・福沢の同時期の「真筆」の「語彙や文体」と対比・照合しないだけでなく、福沢自身の思想が初期啓蒙期から大きく変化しているのに、その変質の過程とも対比・照合しないまま、たんに特定の語彙が使われているか否かという単純な基準によって、福沢の文章か否かを区別・認定できると思い込んでいることである。

 右記の場合では、「愚民を籠絡する…欺術」としての天皇制を選択することによって、福沢が『尊王論』や「日本臣民の覚悟」の何年も前から、時代に先駆けて新たな語彙「臣民」の使用と「臣民」意識形成の啓蒙を始めている事実をまったく知らないまま、また、中期保守化以降、「内に如何なる不平不条理あるも之を論ずるに遑あらず」という国権皇張至上主義が福沢の政治的な持論になっていることを知らずに、二人は、「臣民」表記や「内に如何なる不平不条理…」という国権皇張至上の文章から、「日本臣民の覚悟」が「福沢文とは月とスッポン」「昭和十年代を先取りした滅私奉公論」の石河論説であると決めつける粗雑な認定作業を行っているのである。

 井田と平山は、丸山眞男以上に、福沢諭吉が初期・後期一貫して「典型的市民的自由主義者」であり「国家平等」論者であると主張することで、懸命に福沢の名誉回復と美化をはかっている。この二人の認定作業の誤りを具体的に論証するために、以上のような事情から、本書はあらためて、天皇の神聖尊厳論にいたる福沢の天皇制論(その裏返しとしての愚民観)と、アジア侵略・蔑視に向かう武力至上を基軸とする「強兵富国」の福沢の戦争論の推移の解明にウエイトをおくことを余儀なくされた。

 したがって、『福沢諭吉のアジア認識』『福沢諭吉と丸山眞男』(高文研)に続く本書は、かたちは平山洋・井田進也にたいする批判・論争のスタイルをとっているが、主に論じている具体的な内容そのものは、福沢の戦争論と天皇制論である。

 以上により、本書の書名を『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』とした。

 なお、前二著と同様に、あきらかな差別語をふくめて、福沢の不適切な語句や表現は歴史用語としてそのままとした。



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