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●目次
序章 なぜ本書を書かねばならないか──杜撰な認定研究を持ち上げるマスコミへの批判
はじめに──二度目のまわり道
1 井田進也・平山洋による『福沢諭吉全集』無署名論説の杜撰な筆者認定作業
ク「井田メソッド」とは
ケ「脱亜論」起草者の粗雑な誤認定
コ「日本臣民の覚悟」認定の致命的誤り
サ「脱亜論」を「対中国不干渉論」とする曲芸的解釈
シ 平山洋『福沢諭吉の真実』の壮大な虚構≠フ13仮説
2 井田・平山の著作を評価・賞賛するマスコミ
ク 井田・平山の著作はどう迎えられたか
ケ ワナにはまった「毎日」「朝日」の紹介記事
コ マスコミの福沢諭吉理解の水準
サ 平山洋『福沢諭吉の真実』賞賛の大合唱
シ 基本的文献を見落とした井田・平山の認定作業
ス 学界での反応
T 平山 洋『福沢諭吉の真実』の作為と虚偽
はじめに──置き去りにされた「福沢の思想」の検証
1 福沢の指示と思想に忠実そのものだった石河幹明
コラム 書簡による石河宛の指図(一八九二年三月以降)
2 石河起草以前の福沢の「脱亜論」への道
コラム 福沢諭吉のアジア・天皇制認識と無署名論説筆者認定の一覧表
3 『尊王論』の著者までが石河幹明であるとは
コラム 福沢の天皇制思想の歩み
U 井田進也『歴史とテクスト』の杜撰と欠陥
はじめに──起草者認定の粗雑な失敗
1 論説「日本臣民の覚悟」筆者認定の致命的誤り
コラム 無力で杜撰な「語彙や表現」による筆者認定
コラム 「日本臣民の覚悟」の全文 145
コラム 福沢の「忠勇義烈」「滅私奉公」論 152
コラム 福沢の権謀術数的発言 159
2 井田の認定研究の目的──福沢諭吉の「名誉回復」という作為
3 かくも明らかな福沢「脱亜論」に至る道のり──第四論文批判
4 「丸山諭吉」をして福沢を語らしめる研究──第五論文批判
V 日清戦争期の福沢諭吉──平山洋による「井田メソッド」の欠陥の拡大再生産
1 「福沢と石河のアジア認識は全く異なって」いたか
2 日清戦争遂行を鼓舞・激励・支援する福沢諭吉
ク 石河幹明『福沢諭吉伝』記述を「明白な虚偽」と決めつけた平山説
コラム 「時事新報」における二社説の同日併載とその意味
ケ「日清戦争は文野の戦争なり」の筆者は福沢諭吉
コラム 「豊島沖海戦」戦捷の日の福沢諭吉
コ「台湾の騒動」の筆者も福沢諭吉
コラム 福沢諭吉の壮大な東洋政略論
コラム 福沢諭吉は融通無碍の「思想家」(1)
サ 福沢諭吉は日清戦争にどう向き合ったか
3 『福沢諭吉全集』M「後記」は正しい
コラム 平山の断定「明白な虚偽」は明白な誤り
4 旅順虐殺事件報道──「贔屓の引き倒し」
5 脳卒中発作以後の福沢諭吉と石河幹明──石河は変わりなく福沢の思想・文章を忠実に踏襲
コラム 福沢諭吉の帝室尊厳論
6 福沢の愚民観とアジア蔑視観──福沢は中国人を「豚」「乞食」呼ばわりの「漫言」を書いた
コラム 福沢の新自由主義的°ウ育論
7 福沢は「典型的市民的自由主義」者ではない──「丸山諭吉」像への追従
コラム 福沢は融通無碍の「思想家」(2)
コラム 福沢諭吉と教育勅語
終章 福沢諭吉と田中正造──近代日本の光と影
1 人間観から足尾銅山鉱毒事件まで
ク 人間観──平等か差別的人間観か
ケ 自由民権運動──二人の分岐点
コ 教育勅語──天皇制道徳か社会連帯の道徳か
サ「軍艦勅諭」による軍備拡大──天皇大権主義的な天皇制の運用か否か
シ 足尾銅山鉱毒事件──企業擁護か「一人の人道」擁護か
2 日本の進路をめぐって
ク 戦争論──武力至上か「無戦主義」か
ケ 国権拡張至上主義か内事優先か──「鉱毒問題は日露問題よりも先決」
コ 文明論による侵略の合理化か、文明のもたらす環境問題とのたたかいか
サ 帝国主義的進出と「亡国」の道──北清事変(義和団鎮圧)をめぐって
シ「小国主義」か「大国主義」か
ス 中国・朝鮮兵認識──「豚尾兵、乞食の行列」か「軍律をもつ文明の軍隊」か
3 近代日本の「光」と「影」
ク 二人の人生の総括
ケ 二人の葬儀──衆議院「哀悼の意」と「前代未聞の国民大衆葬」
[補論]『福沢諭吉と丸山眞男』をめぐる反応・反響──都留重人の丸山評価と慶應義塾卒業生の手紙
福沢諭吉のアジア・天皇制認識と無署名論説筆者認定の一覧表
人名索引
あとがき
●担当編集者より
福沢諭吉は一般に日本の先駆的民主主義者だったと見られています。その肖像が、最高額紙幣一万円札を飾っていることが何よりの証拠です。
しかし一方、福沢の有名な論説「脱亜論」に見られるように、後年の福沢は、アジアに対し侵略的立場に立っていたという見方も広がりつつあります。
そうした中、一昨年に出版された平山 洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)は、福沢晩年の、とくに帝国主義的な論説はすべて弟子の石河幹明によるものだったとして、福沢は生涯を通して民主主義者だったと主張しました。
福沢は膨大な著作を残しておりますが、その多くは自ら創立し、論説主幹をつとめた時事新報の社説です。したがって当然、無署名です。その無署名論説に対し平山氏は、先行研究の井田進也氏による「語彙や文体の特徴」から判断する筆者認定法を適用し、とくに日清戦争以降の社説は、「民族差別主義者・天皇制賛美者」の論説記者・石河らによるもので、福沢の執筆ではなかったと主張、福沢は死ぬまで「市民的自由主義者」だったというのです。
しかし、明治一五年、伊藤博文らの要請を受け、自由民権運動への対抗言論機関として時事新報社を設立、ここを舞台に論陣を張った福沢が、日清戦争時には全国第二位の一万円の献金を拠出するほどに意気軒昂だったのに、新聞社にとって最重要の社説を記者まかせにすることなど到底考えられません。
事実、本書の著者、安川寿之輔氏が平山氏の挙げている事例を『福沢諭吉全集』の原文に当たって検証してみると、そのほとんどが平山氏の作為と虚偽、あるいは研究不足によるものだということが判明したのです。
たとえば、日清戦争の開戦後まもなく福沢は、義捐金を呼びかけるとともに二回連載の社説「日本臣民の覚悟」を掲載しますが、その筆者は福沢ではなかったと平山氏も井田氏も主張します。理由は、民主主義者・福沢が「臣民」などという用語を使うはずがないからだというのです。
しかし安川氏は、福沢がこの一〇年も前から「臣民」という新しい語を発明し、使用していたことを実証します。
このように本書は、平山、井田氏の主張を検証したものですが、平山氏の取り上げた論説が日清戦争期に集中していたため、期せずして福沢の戦争論と天皇制論を浮き彫りにするものとなりました。書名の由来です。
なお、本書の序章では、著者から見れば「作為と虚偽の書」である平山氏の本がマスコミできわめて好意的に取り上げられたことについて述べられています。
図書紹介と軽く考え勝ちですが、一冊の本を取り上げることについて、それをどう書評するかについて、一研究者からの問題提起として、深く考えさせられます。
(梅田正己)
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