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高文研 top 歴史修正主義の克服【立ち読みコーナー】
著者
山田 朗(やまだ・あきら)
1956年大阪府生まれ。明治大学文学部教授。専攻は日本近現代軍事史。主な著書に『大元帥・昭和天皇』(新日本出版社)、『軍備拡張の近代史』(吉川弘文館)、『外交資料・近代日本の膨張と侵略』(新日本出版社、編著)、『ドキュメント真珠湾の日』(大月書店、共編著)、『幻ではなかった本土決戦』(高文研、共著)、『キーワード日本の戦争犯罪』(雄山閣、共著)などがある。





この本のねらいと構成(全文掲載)
  ★戦争非体験世代の戦争認識
〈昭和〉がおわり、二〇世紀も過ぎ去った。すでに「満洲事変」から七〇年、アジア太平洋戦争の開戦から六〇年が経過した。昭和天皇が〈大日本帝国〉の統治者であった戦争の時代は、多くの日本人にとって〈同時代の記憶〉から明らかに〈歴史〉になりつつある。〈歴史〉になるとは、その時代を支配した空気のような価値観から人々が自由になり、その時代を突き放して見ることができるようになることである。つまり、同時代人=体験者には見えなかったことが、次第に見えてくるということである。
 もちろん、戦争から五〇年以上の隔たりがあるにしても、私たちが、その時代の価値観から完全に自由になったわけではない。今日の歴史修正主義の台頭が、「大東亜戦争肯定論」の再生という形で起こってきたことを考えれば、日本社会においてそのような戦争や歴史のとらえ方が、依然として相当に根強いものであることがわかる。
 一九九五年の〈戦後五〇年〉や二〇〇〇年・二〇〇一年といった節目にあたって、戦争の時代を回顧する多くの出版物が刊行され、テレビや映画でもさまざまな作品が制作された。こうしたメディアにも触発されながら、戦争はさまざまな形で戦争非体験世代へと伝承されている。このような戦争の伝承のあり方は、これまでも開戦何年・戦後何年という節目にたびたびくり返されてきた。
 だが、近年、明らかに戦争の伝承には質的な変化が見られる。つまり、従来は、戦争体験者や体験世代の研究者が非体験世代に戦争を伝えてきたのにたいし、最近では、私を含めて、戦争を〈伝える側〉に、戦中から一九五〇年代・六〇年代生まれの戦争非体験世代が多数を占めるようになってきている。戦争を体験していない者が、同じく戦争を体験していないさらに若い世代に戦争の実態を伝える、〈記憶〉としてではなく〈歴史〉として戦争を伝承する作業が、否応なく本格化してきたといえる。
 今日では、戦争を伝えられる側の十代・二十代の若者たちは、その親も戦争を体験していない、いわば完全非体験世代である。この世代には戦争体験世代が当たり前のこととして語る戦中・軍隊用語は、もはやその多くが実感できないし、学校で習い、〈用語〉としては知っていても具体的なイメージがわかない、という言葉も多い。現在の大学生においても、「仏印」(フランス領インドシナ、現在のベトナム・ラオス・カンボジア)や「蘭印」(オランダ領東インド、現在のインドネシア)などの〈用語〉は知っていても、それらが現在のどこの国々なのか知らない、といったことはめずらしいことではないし、「〈関東軍〉があるのなら、〈関西軍〉というのもあるのですか」といった大まじめな質問を受けたこともある。
 戦争を〈伝える側〉の非体験世代(おそらくは一九五〇年代生まれまでの世代)は、みずからが戦争の痕跡に触れていたり、親の体験談などに接してきた世代であり、まだ、体験世代の感覚が理解できる部分をもっている。それでは、そういった位置にある〈伝える側〉の戦争非体験世代が、さらに戦争についてイメージが乏しい完全非体験世代に、非体験世代の共通性を生かしてうまく戦争を伝えられているのであろうか。私は率直に言ってそれはあまりうまくおこなわれていないのではないかと、反省・自戒している。これは、体験がないからうまく伝えられないということではなく、むしろ非体験世代の〈伝える側〉である研究者やジャーナリストが、しばしば知らず知らずのうちに体験世代の感覚で、あるいはそれに近い感覚で戦争を論じているからである。これは結局、非体験世代としての〈伝える側〉が、戦争を〈歴史〉としてとらえきれていないこと、完全非体験世代に理解できる論理と用語で戦争を説明できていないということなのだ。
 戦争賛美者は別として、多かれ少なかれ戦争への批判・悔恨の念を有する体験世代は、ややもすると、非体験世代に「ひどい戦争だった」ことを強調し、国家や軍隊の指導者が「無謀だった」と伝えようとする。これは、体験者の実感に裏づけられた偽らざる感想であり、体験者がそういった形で戦争を伝えようとすることに異論はない。
 しかし、非体験者がそのような体験者の言葉を、工夫もなしに、さらに次の世代の完全非体験世代に伝えたときに、体験世代が最も伝えたかった「二度とあのような戦争をくり返してはならない」という思いは、必ずしも伝わらないものになってしまう。なぜなら、非体験世代にとっては、そういった「ひどい戦争」はひどければひどいほど、現在ではありえないことのように感じられてしまうし、そのような「無謀な」決断をした指導者たちは無教養で無能な奴らであり、これまた現在においてはそのようなメチャクチャな連中が権力を握ることはありえない、と思ってしまうからである。戦争の話は、現在とは結びつかない「昔の話」になってしまい、完全非体験世代の若い人たちは、戦争の話から何も教訓を導き出そうとはしなくなってしまうのである。
 現在から歴史を振り返る者にとって、戦前の国家や軍の指導者たちのことを批判することはそれほど困難なことではないが、その結果、若い世代の人たちに、当時の日本がバカなリーダーに指導されていた異常な国家であるという印象を与えてしまっては、実は、歴史から何ものも学んだことにはならないのである。むしろ、当時の最高レベルの教育を受けたエリートたちが、寄って集まって検討したすえに、何故にそのような最悪とも思える選択をしてしまったのか、それを問題にする方が、歴史から多くのことが学びとれるのである。
 私のような非体験世代の戦争の伝承者は、戦争体験者の熱を帯びた体験談をそのまま伝えていればよいというわけではないし、戦時中の文献資料や統計を使ったからといって、それだけで戦争を〈歴史〉として説明できたわけではない。非体験世代が戦争を論じ、説明する以上、体験談の繰り返しや同時代人の評論や現状分析の焼き直しであってはならないはずである。戦争非体験者が戦争を〈歴史〉として説明するとなると、体験者でなければ伝えられないある種の「熱気」のようなもの──怨念の場合もあるだろうし、郷愁のような場合もあるだろう──が欠けてくることはどうしても免れない。
 だが、非体験者としての戦争伝承者は、体験者が体験者であるがゆえに見えなかった〈時代の構造〉とも言えるものを明らかにする努力をしなければならないし、少なくともそういった課題意識をもっていることが求められると思う。また同時に、〈歴史〉を概念だけに頼って解説するのではなく、戦争の実態を完全非体験世代に抵抗のない論理と用語で具体的に、イメージ豊かに伝える役割もになっている。

★歴史修正主義の台頭
 ところが、ここ数年、戦争の伝承をめぐっては、ただ単に史実を若い世代にわかりやすく伝えればよい、というレベルではなく、どのように戦争を認識するのかという歴史認識、あるいは、歴史を見るスタンスをめぐって激しい摩擦が生じている。摩擦の最大の原因は、「自由主義史観」に代表される歴史修正主義の台頭にある。ここでいう歴史修正主義とは、「南京大虐殺まぼろし論」や「アウシュビッツのウソ」(ガス室による組織的虐殺などなかったとする論)のように歴史的に存在したことをあえて無かったと強弁したり、侵略戦争や植民地支配、軍隊などによる組織的残虐行為など、今日批判的な評価が定着している事象について評価を逆転させて支持・擁護する主張をさす。
 実は、歴史修正主義の台頭も、戦争非体験世代が、完全非体験世代に戦争を伝承していこうとして起こった一つの潮流であると見ることができる。「新しい歴史教科書をつくる会」の主要メンバーは、戦中・戦後生まれであり、彼らは彼らなりの危機感から、完全非体験世代に戦争を伝えなければならないと思っているのであろう。
 しかし、彼らは、非体験世代が、体験世代の思いと論理(ただし、この場合は戦争肯定論)を、それほどの工夫もなく、さらに若い非体験世代に伝えるという、行き詰まったやり方をさらに増幅した形でやってしまったのである。その意味で、「新しい歴史教科書をつくる会」などの「大東亜戦争肯定論」は、単に古い論者(体験世代)が、古い議論をむしかえしているのではなく、新しい論者(非体験世代)が古い議論を再生している点に特徴がある。ただ、その歴史認識・歴史叙述に新味が乏しいために、きわめて「骨密度」の低い再生に終わっているといえる。
 私は、これまで、国家戦略や戦争についてささやかながら歴史学の立場から研究をしてきた。戦略とか軍事といっても、決して、これからの日本が、どのように巧みなパワーポリティクスを行使したらよいのか、あるいは、どのようにすれば次の戦争には勝てるのか、といった問題意識で研究してきたわけではない。パワーポリティクスや戦争をどのようにすれば、私たちは克服できるのか、そのヒントを歴史の中から見つけ出すことができないか、それが、私の研究を根底で支える課題意識である。
 歴史修正主義者たちは、明らかに戦争を普通の選択肢としてもつことができる国家に日本をすること、戦争に拒否感をもたない日本人を作ることを目標にしている。同じ国家戦略や戦争に注目していても、それを克服するために検討しているのと、それを行使するために重視しているのでは、認識の方向性が全く異なる。それゆえに、完全非体験世代をターゲットにした歴史認識をめぐる衝突において、私は、歴史修正主義者にどうしても賛同することができないのである。

★これからの歴史修正主義との攻防
 本書は、「自由主義史観」をはじめとするさまざまな歴史修正主義に対する批判的検討を中心に構成されている。「新しい歴史教科書をつくる会」が編集にかかわった中学校社会科教科書である『新しい歴史教科書』『新しい公民教科書』(扶桑社)は、二〇〇一年の採択(二〇〇二年度より使用)では「ゼロに近い」〇・〇三%という採択率におわった。「つくる会」がめざしていた一〇%以上のシェアを獲得するには遠く及ばなかったことは、歴史修正主義者の運動が今回は敗退したことを示している。本書の立場からすれば、一応この結果には安堵してもよいかもしれない。
 今回の「つくる会」の敗北には、二つの要因があった。第一は、「つくる会」教科書の内容と発想が、多くの市民の危機意識に火をつけたこと。第二は、「つくる会」があまりにも準備不足で、ずさんな教科書を「採択戦線」に投入したことである。
 まず、第一は、歴史修正主義の突出に、排外主義的な国家主義の拡大を感じ取った市民運動が、きわめて強力に反撃したことである。これは、「つくる会」の教科書とそれを作った人たちの言動に、多くの市民が強い危機感をもったということである。一般に、教科書の内容にかかわる市民運動というのは、短期間ではなかなか成果が出にくいものである。運動の中核となる人たちが地道な学習活動を積み重ね、その上で、集会をひらいても、どちらかというと「学習集会」になりがちで、すぐに多くの市民を動員できる「行動集会」にはなりにくい。
 しかし、今回は、多くの市民が「つくる会」教科書の内容を学習して、その「ひどさ」を確認するだけでは満足せず、教育委員会への要請などの行動を各地で起こした。これは決して、「つくる会」側が主張しているような「プロ活動家」の煽動などという論理で説明できるものではない。扶桑社が『市販本 新しい歴史教科書』を大々的に売り出したことも、その中身を多くの市民の目にさらすこととなり、運動の底辺を一挙に広げることとなった。歴史学研究者は私も含めて、「つくる会」教科書の記述の間違いを指摘するという活動に力を入れたが、市民運動はそれよりも、「つくる会」教科書の記述の背後に「戦争への道」をするどく感じ取ったのである。
 「つくる会」敗北の第二の要因は、明らかに彼らの教科書が準備不足であったということである。内容の不十分さを政治力(教育委員会や委員個人への働きかけ)で挽回しようとした彼らの戦略的失敗であるともいえる。すでに「白表紙本」(検定通過前)の段階で、内容の問題点が指摘されていた「つくる会」教科書は、『市販本 新しい歴史教科書』が出回ると、実に多方面からその歴史認識の問題点、事実認識の誤り、記述の不正確さを指摘され集中砲火を浴びた。文部科学省は、中国や韓国からの修正要求のほとんどをはねつけたが、国内の研究団体から指摘された誤りのなかには、よくこれで検定を通過したなと思われるものもあった。
 本書でも指摘している「盾になった駆逐艦」(一五四〜一五五ページ)のウソもその典型的なものである。「つくる会」教科書は、全くありもしないことを、堂々と載せるという教科書としてはあまりにもずさんなものであった。これは、「つくる会」と扶桑社が、「採択戦線」でシェアを確保することを急ぐあまり、あまりにも短期間で、記述内容の十分な検討を経ないままに、教科書を作り上げてしまったということである。
 だが、今回の教科書採択で「つくる会」教科書のシェアがゼロに近いものになったことで、一九九五年以来の歴史修正主義の攻勢が終息したとは思えない。もし、「つくる会」が戦略論と、「失敗」から学ぶ理性をもつ組織であるのならば、むしろ、今回の失敗は「つくる会」側の危機感を高めるであろう。「自虐史観」排斥キャンペーンを継続し、地方議会や教育委員への働きかけをさらに強化するとともに、教科書内容も事実関係で簡単に揚げ足を取られない洗練されたものにしてくることは必至である。
 「自虐史観」という呼称が一般にも流布していることからもわかるように、歴史修正主義者の運動は、マスコミだけではなく、地方議会への請願をおこなっている草の根保守主義とも結びついて、確実に力を拡大している。今回の教科書採択でも、「つくる会」教科書のシェアがゼロに近いものになった一方で、他の教科書でも「慰安婦」記述の削除などの相当の「自主規制」がおこなわれたにもかかわらず、「つくる会」が「自虐史観ワーストスリー」などと攻撃に力をいれた教科書は、明らかにシェアを低下させた。
 つまり、多くの教育委員会では、批判を回避するために「つくる会」教科書を選択しなかったと同時に、「自虐史観」を擁護したとの批判もかわすために、「つくる会」教科書と対極にある教科書も選択しないという判断をしたといえる。これは、批判をうけない無難な選択をしたようにも見えるが、「つくる会」教科書と「つくる会」の運動は、結果的に中学校教科書全体のレベルを確かに右側にシフトさせたのである。この結果を見る限り、歴史修正主義の攻勢の前に、歴史教育は防戦を強いられているといってよい。「つくる会」教科書のシェアがゼロに近いという表層の美観に目を奪われて、地下で進行している地殻変動の徴候を見落としてはならないのである。

★本書の構成と特徴
 本書は、歴史認識と歴史教育について私がおりにふれて発表してきた論考を、歴史修正主義批判、戦争非体験世代の戦争責任、これからの歴史教育の課題という三つの問題を軸にして再構成したものである(初出一覧は巻末に掲げた)。だが、既発表の論考をそのままの形で、再録するのではなく、各論考には、重複を調整するだけでなく、かなり大幅に加除修正を加えている。
 本書は二部構成となっている。第一部では、「歴史修正主義の特徴と日本人の戦争認識」で、さまざまな歴史修正主義の特徴とそれを支えている「克服されていない戦争観」について検討する。第二部では、「歴史修正主義克服のための課題」を探る。
 まず、第一部の「T『自由主義史観』批判」では、「自由主義史観」登場の経緯とその特徴を見る。「自由主義史観」は、当初、みずから「自由主義史観」とはすなわち「司馬史観」であると名乗っていた。だが、「司馬史観」が昭和期の戦争に批判的であることから、「自由主義史観グループ」の中心メンバーたちは次第に「司馬史観」と一線を画するようになり、ついにはそれを強く批判するにいたる。したがって、「司馬史観」と決別するまでの「自由主義史観」をここでは、初期「自由主義史観」と呼び、『国民の歴史』以後の「自由主義史観」と区別する。ただし、「司馬史観」と親和性を有していた時期から、それと決別した以後の時期を通じて、「自由主義史観」は、一貫して「国家戦略」あるいは「戦略論」という視点を重視している。したがって、「戦略論」が「自由主義史観」の根幹をなすものであると考えて、その「戦略論」がパワーポリティクスを全面肯定したものであることを中心に「自由主義史観」の問題点を検討する。
 「U『司馬史観』批判」では、のちに「自由主義史観」側から決別を宣言されるとはいうものの、司馬遼太郎の歴史小説の魅力から、現在でも大きな影響力を有している「司馬史観」について見る。ここでは、「司馬史観」における歴史上の人物になりきる司馬のフィクション手法や、その時代のことはその時代の価値観に基づいて見る、という歴史相対主義(同時代的な歴史把握)の方法、そして、明治と昭和の歴史的連続性を無視する歴史認識が、結果的に大きく歴史像を歪めていることを検討する。
 「V 歴史修正主義を支える戦争観」では、さまざまな形で現れてくる歴史修正主義のいわば「養分」となっている戦争観、しかも日本社会でいまだ潜在的に一定の影響力をもっている「克服されていない戦争観」について具体的に見ていく。ここでは、侵略したり、植民地支配をしたのは「日本だけではない」という論をはじめとして、日本社会で排外的なナショナリズムと結びついて時折噴出してくる九つの戦争観について、それらを克服するための具体的な批判をおこなう。
 「W 小林よしのり『戦争論』批判」では、『戦争論』批判に必要な視点を提示した上で、『戦争論』の戦争観、あるいは個別具体的な問題点について、詳しく検討し、その誤りを指摘する。
 「X『新しい歴史教科書をつくる会』教科書批判」では、「つくる会」の思想的変遷をまとめた上で、『国民の歴史』と『新しい歴史教科書』にあらわれた「つくる会」の歴史認識の特徴とその問題点をまとめる。ここでは、「つくる会」における「歴史相対主義」の便宜的利用、極端な自国本位の歴史認識、〈パワーポリティクス〉の全面肯定という三つの側面に焦点を当てて、彼らの歴史認識の問題点を探る。さらに『新しい歴史教科書』の歴史叙述の具体的な誤りや歴史像を歪める部分を具体的に指摘する。
 第二部「歴史修正主義克服のための課題」では、さまざまな歴史修正主義を克服するために、私たちが考えておくべきことをまとめている。
 「T 歴史修正主義の台頭の要因」では、「自由主義史観」などの歴史修正主義が台頭する要因を、新しい戦争教育・平和教育を求める潜在的要求が存在していること、「いったいいつまで謝罪したらすむのか」といった日本社会に伏在する一種のフラストレーションに求めて、議論を展開している。
 「U 現代における〈戦争責任〉とは何か」においては、「謝罪」や「戦後補償」を考える上でその前提となる〈戦争責任〉について検討している。現代を生きる私たちにとって〈戦争責任〉とは、あるいは〈戦争責任〉の追及とはどういうことなのかを考えている。ここでは、〈戦争責任〉には広義・狭義のそれがあること、〈国家責任〉と〈個人責任〉という二重の性格があることを論じ、これらを整理しないで〈戦争責任〉を論じると、国家指導層の〈戦争責任〉を曖昧にしたり、いたずらに一般民衆や前線にいた将兵に〈戦争責任〉を押しつけてしまうという結果になりかねないことを指摘する。また、〈国家責任〉と〈個人責任〉を考える上で、きわめて重要である天皇の〈戦争責任〉について検討する。
 また、「V 戦争非体験世代の〈戦争責任〉」では、小林よしのり『戦争論』を素材として、歴史修正主義を克服するために、戦後世代は〈戦争責任〉をどのように捉えたらよいのかを論じる。
 「W 歴史教育と歴史認識」においては、〈戦争責任〉問題を深めるためにも重要である歴史教育のあり方と現代の若者の〈歴史認識〉について考察している。とりわけ、大学生レベルでの「侵略戦争」イメージの定着を検討しつつ、それが必ずしも確実な近現代史の知識に裏づけられたものではないことを論じ、これからの歴史教育の在り方について考える。
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