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●目次
この本のねらいと構成
第一部 歴史修正主義の特徴と日本人の戦争認識
I 「自由主義史観」批判
1「自由主義史観」の特徴と問題点
- 「自由主義史観」の登場
- 初期「自由主義史観」の歴史認識
2「自由主義史観」における「戦略論」導入の問題点
- 「戦略論的リアリズム」の導入が生む落とし穴
- 近代日本の膨張主義戦略を直視する必要性
3「数量データ」の利用方法
- 植民地経営と経済統計の見方
- 「軍事小国」=GNP二%論の虚構
II 「司馬史観」批判
1「司馬史観」のフィクション手法
2同時代史的な歴史把握の問題点
3明治と昭和の連続性を無視する歴史認識
III 歴史修正主義を支える戦争観
1歴史修正主義の「養分」となっている戦争観
2「克服されていない戦争観」の克服
- 侵略したり、植民地支配をしたのは「日本だけではない」という論
- 戦争や植民地支配は「良いこともした面もある」という論
- 「大東亜戦争」は「アジアの独立に役だった」という論
- 日本は英米にたいして「やむにやまれず立ち上がった」という論
- 戦争はおこなったけれども「領土的野心はなかった」という論
- 「侵略戦争」などと言ったら、「戦没した人は犬死になのか」という論
- 昭和の戦争は悪かったかもしれないが、明治時代の戦争は良かったという論
- 「現在の価値観で過去を見るな」という論
- 戦前・戦中の出来事は「戦後生まれには関係ない」という論
IV 小林よしのり『戦争論』批判
1大東亜戦争肯定論・解放戦争論の虚構
- 日本国家指導層にはアジア解放の理念も意図もなし
- 「八紘一宇」理念の虚妄性
- 「結果論」の自己矛盾
2『戦争論』に真の戦争論なし
3戦争の個別事例に対する『戦争論』の誤り
- 開戦当初の日本軍の「強さ」
- 終戦後、独立戦争を日本兵が援助
- 「ぎりぎりの選択」として、「自存自衛のため」戦争に
- 「満洲は今の中国人の土地ではない」
- 「日韓併合」はコリアの最大政党一進会が希望
- 東條英機ら軍参謀には責任がある
- 戦犯処刑によって「もう償いは済んでいる」
- 八紘一宇は「天皇の下ですべての民族は平等」
- アメリカの「洗脳計画」
- 「負けに行こう」「特攻だ」「カミカゼだ!」
- 特攻の「命中率も結構高く……」
- 中国の卑怯なゲリラ戦
- 「日本のサヨクもアメリカの犯罪は絶対に追及しない」
- 「三光作戦」は中国軍がやったことを日本軍に押しつけたもの
- 日韓併合で日本は韓国のインフラを整備した
- 毒ガス誤報写真
- 「慰安婦」の証言は信用できない
- 日本だけが独立国だった
- 奇妙な絵と戦争知らずのセリフ
- 「事実をありのままに見る」としながらも
V 「新しい歴史教科書をつくる会」教科書批判
1「つくる会」の思想的変遷
- 「大東亜戦争肯定史観」に包摂された「自由主義史観」
- 『国民の歴史』の歴史観
2「つくる会」歴史教科書の歴史認識の問題点
- 「歴史相対主義」の便宜的利用
- 極端な自国本位の歴史認識
- 〈パワーポリティクス〉=国際的な権力政治の全面肯定
3「つくる会」歴史教科書の歴史叙述の特徴と問題点
- 天皇に関する記述の問題点
- 近代の軍事と外交に関する記述の問題点
第二部 歴史修正主義克服のための課題
I 歴史修正主義の台頭の要因
1新しい戦争・平和教育を求める潜在的要求
2日本社会に伏在するフラストレーション
II 現代における〈戦争責任〉とは何か
1〈戦争責任〉研究の広がりと深まり
2今日における〈戦争責任〉の追及とは
- 〈国家責任〉と〈個人責任〉という二重の性格
- 戦後処理としての〈戦争責任〉追及
3天皇をめぐる〈戦争責任〉論
- 憲法上の機能からの〈戦争責任〉否定論
- 天皇の「実態」を根拠とする〈戦争責任〉否定論
- 国家意思形成への天皇のかかわり方
III 戦争非体験世代の〈戦争責任〉
1『戦争論』はなぜ売れたか
2『戦争論』批判の二つの留意点
- 単純な全面否定論の落とし穴
- 本質的・実証的な批判の重要性
3歴史修正主義を克服するための戦後世代の戦争責任論
IV歴史教育と歴史認識
1ほんとうに〈歴史認識〉は問われたのか
2大学生の〈歴史認識〉は大丈夫か
- 高校日本史の制度の変化
- 「侵略戦争」イメージの定着
- 近現代史の知識には自信がない
3イメージから実態把握の教育へ
注
初出一覧
さくいん
あとがき
●担当編集者より
この本のもともとの企画は、山田先生が「あとがき」でも書いてくださっていますが、「司馬遼太郎の歴史観」について批判的に検討する本を作りたいという思いから出発しています。
私が歴史に興味を持った大きなきっかけの一つに、中学・高校時代にものの見事に司馬遼太郎にハマったということが挙げられます。「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「燃えよ剣」「尻啖え孫市」「国盗り物語」「花神」「世に棲む日々」「新史・太閤記」等など、歴史上のヒーローたちの物語を繰り返し読みふけっていました。
またその一方で、本多勝一『中国の旅』、森村誠一『悪魔の飽食』などのアジア太平洋戦争中の日本軍の蛮行を記したノンフィクションを読んでいました。自分も一兵士としてそこにいたならば、同じようなことをやっていたかもしれない、そうならないようにするにはどうすればいいか、というようなことを考え、日本の近現代史を学ぼうと大学の「文学部史学科日本史学専攻」に進みました。
大学に入ってすぐに、日本史の先生から「司馬遼太郎は歴史学ではない」と言われた時はホントにショックでした。私と同じ様な同級生は結構いました。坂本龍馬に憧れ、新撰組が好きで京都の大学に進学した、という人間が少なからずおりました。その後、少しずつ近代史の知識が増えていったあたりから、司馬の作品を読まなくなりました。
その理由は、「なぜ日本が朝鮮の独立を奪い、大陸に〈満州国〉を建設したのか」という疑問には、司馬の作品は答えてくれないからです。「坂の上の雲」で描かれている政治家や軍人が素晴らしい人物たちであったのならば、なぜ日露戦後、一気に帝国主義の道を突っ走ったのか、その答えは司馬の作品には出てきません。そんな疑念を持つようになってから、「司馬遼太郎」を卒業したように思えます。
さて、「司馬史観」に対する個人的な思いはそんなところですが、司馬遼太郎が亡くなってもうすぐ6年になる今も、その人気は衰えるどころか、繰り返し読みつがれています。書店にはたくさんの司馬作品が並んでいます。
私が問題にしたいのは、サラリーマンや政財界のトップクラスの人たちの愛読書に必ずといっていいほど、司馬作品が挙げられることです。自分たちを歴史上のヒーローに擬するのはかわいいとしても、司馬作品を読むことで自らの日本近現代史観を作り上げるのは危険ではないか、ということです。ここは一つ冷静になって、司馬作品を検討する本を作りたいという思いを持っていました。
そんな思いがきっかけでできた本が、『歴史修正主義の克服』という大きなテーマの本になったことは自分でもびっくりしています。編集作業を進めながら共感を覚えたのは、「第1部─V 歴史修正主義を支える戦争観」で挙げられている9つの戦争観です。
- 侵略したり、植民地支配をしたのは「日本だけではない」という論
- 戦争や植民地支配は「良いこともした面もある」という論
- 「大東亜戦争」は「アジアの独立に役だった」という論
- 日本は英米にたいして「やむにやまれず立ち上がった」という論
- 戦争はおこなったけれども「領土的野心はなかった」という論
- 「侵略戦争」などと言ったら、「戦没した人は犬死になのか」という論
- 昭和の戦争は悪かったかもしれないが、明治時代の戦争は良かったという論
- 「現在の価値観で過去を見るな」という論
- 戦前・戦中の出来事に「戦後生まれには関係ない」という論
今年は日米開戦60周年です。ぜひ、この本を読んで、「あの戦争は何だったのか」を考えていただきたいと思っています。
真鍋かおる
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