サイバーコウブンケン
カバー写真
観光コースでない
マレーシア・シンガポール

陸 培春著 1,700円
B6判・281ページ 1997年9月発行
ISBN4-87498-192-5

日本との真の友好を望むからこそ、この歴史の事実を知ってほしい!マレーシアに生まれ、祖父を日本軍に連れ去られた在日のジャーナリストが、各地に残る「戦争の傷跡」をたずねつつ、「華僑虐殺」の実相と、華僑たちの不屈の抵抗の歴史を説き明かす!
マレーシア・シンガポールを旅するならこの1冊
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ルペイチュン氏 著者:陸 培春(ル・ペイチュン)
1947年、クアラルンプールに生まれる。1973年、留学生として来日。東京外国語大学卒業。1978年、シンガポール『星洲日報』(現『聯合早報』)初代東京特派員となり、現在『聯合早報』の在日コラムニスト、駒沢大学マスコミ研究所講師として活躍中。連載コラム『日本漫歩』で第一回ラジオたんぱアジア賞特別賞受賞。83年、90年、マレーシア福聯会ルポルタージュ部門優秀賞受賞。
著書─『飽食日本』『驕る日本人』(以上サイマル出版会界)、『日本に何を学ぶのか』(勁草書房)、『豊かで貧困な日本人へ』『PKOアジア人と日本の高校生はどう考えているのか』(以上梨の木舎)、『アジアから見た日本の国際貢献』(労働旬報社)、『アジアから見たニッポン』『東京発アジア電』(以上徳間文庫)、『中国4000年の発想源』『アジア特派員が見た日本とアジア』(以上ダイヤモンド社)『もっと知ろうアジア』(岩波ジュニア新書)、『華人網絡』(DHC)、『戦争と平和』(香港明窓出版社)、『日本漫歩』(長青書屋)、『アジア人が見た8月15日』(かもがわ出版)、『脱米入亜ののすすめ』(芙蓉書房)など多数。

もくじ

マレー半島地図
シンガポール地図
日本軍に連れ去られた祖父 ── まえがきにかえて ──
1コタバル海岸
2コタバル戦争記念館
3マレー半島陥落前後の好日部隊
4シンガポールでの華僑虐殺
5「血債の塔」
6シンガポール戦争記念館
7シロソ砦──“最後の要塞”
8晩晴園──孫文記念館
9侵略戦争の生き証人「口述歴史館」
10チャンギの刑務所・教会・博物館
11クランジ戦没者共同墓地
12日本人墓地
13虐殺の村
14ペナン鐘霊中学教師・生徒虐殺事件
15拷問の手口
16抗日英雄・林謀盛物語
17謎だらけの黒風洞山麓流血事件
18マレー半島全域に点在する慰安所
19タンポイ・ペルマイ精神病院──マレーの日本軍細菌研究基地
20クアラルンプール国立博物館の壁画
21マレーシア・シンガポールのマスコミ
22心に刻む旅
年表
あとがき
参考文献

日本軍に連れ去られた祖父
 ・まえがきにかえて(全文抜粋)

 幼いころ、母の実家へよく遊びに行った。写真館で撮った楕円形の大きな祖父の写真が飾ってあった。祖父は野菜行商人だったが、ひまな時は自転車でクズ鉄を回収して生計を立てていた。

 十数年前、教科書の歴史改さん問題が起きてから、帰省する機会があった。その時、祖父の「顔」をもう一度しっかりと見てみようと思った。そしてその写真を自分のカメラにもおさめて、身辺に置くことにした。唯一の貴重な記念品だからだ。

 祖父がその写真を撮ったのは四十代半ばだったという。私もすでに四十を過ぎ、五十歳となった。気持ちがとても複雑になった。

 祖父は日本軍に連れて行かれた。そしてそのまま二度と帰ってこなかった。殺されたのに違いない。

 当時、華僑のリーダーやインテリだけでなく、庶民やヤクザまで日本軍に「敵性分子」だと見なされ、虐殺された。

 一家の大黒柱の祖父が連れて行かれたあと、長女である私の母は、病弱の祖母、四人の幼い弟たちとともに残された。生活がとても苦しいので、三番目の弟を人にあずけてしまった。

「天皇の軍隊」が来なかったら、そんなひどい目にはあわなかっただろう。

 だが、正直なことを言えば、日本軍の非人道の殺戮に遭遇した私たちは、出来ればそのいやな思い出を自分の脳裏から追放し、未来に向けて楽しく幸せに生きたいと思っていた。肉親や近親の死をいつまでも思っていると、人生が暗くなってしまうどころか、生きていく勇気と気力も萎えてくるからだ。

 だから私自身は、自分の祖父を殺した日本人の国に留学した当初から、それについていっさい語らないことにしていた。自分がいやになるだけでえなく、日本の友人たちを「不愉快」にしてしまうかもしれないからだ。

 しかし、来日十三年目にしてやっと口を開いて語るようになった。

 中国、韓国をはじめ、世界の反発を招いた歴史教科書改さん問題(一九八二年)が起きてまだ記憶に新しい。そしてたび重なる日本の政治家の“侵略戦争ではなかった”という失言……。

 日本国民を代表する政治家たちが全然反省しないので、私も忘れようとしてずっと心の奥にしまっていた祖父のことを、遠慮なく侵略的事実の「教材」として、日本人にしつこく語るべきだ、と考えるようになった。語る時には、祖父の写真も見せることにしている。泉下の祖父が、私を日本の留学生と駐日記者にさせ、この重い「宿題」を与えたような気がする。

 祖父の死だけではない。実は祖父と一緒に連行された肉親には、祖父の弟、そして祖父の長男と次男(つまり私の叔父たち)も含まれていた(祖父は一女五男をもうけた)。三人は一応釈放され、生きて帰ってきたが、下の叔父のほうは凄い拷問を受け、胸をひどく痛めつけられていた。そこで、民間療法の教えどおり、マッチ棒の先の燐薬をほぐしてお湯に溶かして飲んだけれども、結局死んでしまった。「アジア解放」を大義名分に掲げていた天皇の軍隊がやってきたため、母は父だけでなく、最愛の弟もなくしてしまった。

 私はもう天命を知る五十歳になったが、その叔父が犠牲となったことを知ったのはつい最近のことだ。「母ちゃん、なぜ教えてくれなかったの」と母を責めるつもりは全然ない。母は学校へ行けず、自分の名前「黎玉金」の三文字さえ書けず、加えて口下手で、弟のことについてうまく説明できなかったのだろう。ましてそれが悲しいことであれば、口にするのも気が進ます、いっそ忘れられるものなら早く忘れてしまいたかったはすだ。

 私は一九九三年から毎年数回、日本の方々と一緒にマレーシア、シンガポールへ平和の旅をし、先輩の被害者の証言を聞くことにしている。たまに被害者の彼ら彼女らは「もう過去のこととなってしまったから、しゃべってもしょうがないでしょ」とポロリと本音を吐く。またある人は「思い出すと胸が苦しくなるよ」と言って、ため息をついた。この人たちには、周囲の村人たちの冷ややかな言葉も胸に.こたえるはずだ。「ほらみてごらん、いくら文句をいっても日本政府は知らんぷりをしているだろう。証言しても無駄だよ」。それを聞いて、被害者の胸はさらにしめつけられるに違いない。

 性奴隷である「従軍慰安婦」にされた方はもっと大変だ。華人の社会は恥の社会で、儒教思想を信じる。だから自分の恥をさらすのは自分の子孫のメンツをつぶしてしまうことにもなるので、とてもおおやけの場では悲惨な体験を語る勇気はない。

 しかし、苦しいから話したくない、つらいから忘れたい、と思っていたのでは、問題の解決は一歩もすすまない。被害の実状についての調査や整理ができなくては、被害実状はよくわからない、記憶が薄れることも手伝って、死亡人数など間違って伝えたりすることもある。心ある日本人はそれを知っても事情を理解してくれたが、よこしまな考えをもつ人はそれを悪用して、彼らの証言を「嘘だ」と決めつけたりした。

 被害国の私たちとしては、歴史の評価について性急に結論を下してほしくない。「従軍慰安婦」問題に見られるように、日本政府に隠されている証拠資料はまだ公開されていないから(旧内務省の未整理資料は二万メートル。また、日本政府の閣議決定文書である公文書の公開は35%)、いま急いでその評価をすると、むしろ加害国にとって都合のよいこととなろう。

 いま急いでする必要があるのは、私たちの子孫が歴史の評価をする際に欠かせない史料や証言・証拠を採集することだ。とくに戦後半世紀をへたいま、被害者はすでに高齢に達しているから、あと五年ないし十年が真剣勝負の段階になる。その後、おそらくほとんどの被害者はこの世を去り、アジア太平洋戦争は日清・日露戦争のように「遠くて遠い」痛みもかゆみもない過去の物語になってしまう。

 だから、加害側の日本人にとっても、被害側の私たちにとっても、できる限り急いで史料や証言・証拠を収集。記録し、整理して、公表しなければならない。

 幸いに、約二十年前から、琉球大学の高嶋伸欣教授が、「戦争の傷跡から学ぼう」という精神で日本の心ある人たちとともに何十回も私たちの国を訪れ、埋もれていた数かずの傷跡を掘り起こし、被害者を見つけ出し、その証言をとるという仕事をしてこられた。私もそれについてシンガポール華字紙「聯合早報」の連載コラムに大きく紹介したことがある。

 高嶋さんの平和の旅は私たちの国の代表紙でも取り上げられ、高く評価されている。当初は「また日本のスパイがやってきた」と疑われたというが、誠心誠意で被害者とつきあっていくうちに、その人々も高嶋さんを信頼し、安心して証言をするようになった。

 高嶋さんは頑丈な体をしているが結構こまわりがきき、年に何回も東南アジアを旅している。あまりに忙しすぎるせいか、たまに私に、日本の方々を案内してもらえないかと頼まれたこともある。高嶋さんとはクアラルンプールで被害者らと一緒に合同追悼会に参加したこともある。また戦後五十年の一九九五年八月十五日深夜、私が「血債の塔」の前で「筑紫哲也ニュース23─五十年目の日本に言いたいこと、三元生中継ソウル・南京・シンガポール」という番組に出演した際、高嶋さんも旅への参加者のみなさんと一緒に応援に駆けつけてくれた。

 高嶋さんとはまた東京、横浜、大阪、沖縄などの閉鎖集会で一緒に講演、「対論」をして、侵略戦争の罪を告発している。侵略告発や証言・証拠の収集などの面においても、私は高嶋さんと「対論」をつづけてきたように思う。今回のこの本も、その「対論」の延長線上にある。

 高嶋さんとの「対論」では、高嶋さんは加害国の民衆の立場に、私は被害者の立場に必然的に立つことになる。この本も、私は被害者の立場に立って書いた。日本人の皆さんには厳しい記述をした部分もあるかもしれないが、本書を通じて、侵略戦争による被害の情況を立体的につかみとってほしい。今から五十年以上前に、日本がアジアで何をしてきたかを知らない日本人に、日本軍国主義の加害事実を知ってもらいたい。過去の史実をしっかりと見ることで、日本とマレーシア、シンガポールの友好を築いていけると思う、そのために私は母国マレーシア、シンガポールの“歴史の事実”を案内したい。二度と祖父のような悲劇をつくらないためにも。

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