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金城重明著 1,800円 四六判・253ページ 1995年6月発行 ISBN4-87498-161-5 C0036 沖縄戦の“極限の悲劇”「集団自決」から、はからずも生き残り、両親、弟妹を失って孤児となった16歳の少年は、その「戦後」をどう生きてきたか――。 |
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| 著者:金城重明(きんじょう・しげあき) 1929年、沖縄県渡嘉敷島に生まれる。55年、青山学院大学文学部キリスト教学科卒業。60年、ユニオン神学大学(ニューヨーク)修士課程卒業(M.DIV.)。日本キリスト教団糸満教会(1955〜58)並びに同首里教会牧師(1960〜75)。沖縄キリスト教短期大学創設(1957)以来、94年3月定年まで、講師・教授として教鞭をとる。キリスト教学を担当。その間に理事・副理事長・宗教部長・学長1期(1975〜79)を務める。 《論文》「パウル・ティリッヒの存在論的神学の方法論に関する研究」1984『沖縄キリスト教短期大学紀要』第13号、「沖縄キリスト教短期大学の草創期の歴史と建学の精神」1988『沖縄キリスト教短期大学紀要』第17号、「沖縄戦の本質と課題としての平和」1991北星学園大学宗教部編『現代に生きる信仰』山本書店 |
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■もくじ T「皇民化教育」と沖縄 ・天皇制国家の三本柱 ・「御真影」焼失事件 ・方言廃止と標準語励行 ・「宮城遥拝」「教育勅語奉読」 ・軍歌による“洗脳” ・「鬼畜米英」のわら人形 ・「軍神・大舛大尉につづけ!」 ・河上肇の“予言” U極限の悲劇「集団自決」 ・武器のない島・沖縄 ・島津の侵略と「琉球処分」 ・離島にも迫ってきた戦争 ・慶良間に配備された海上挺身隊と特攻艇 ・特攻機を吸い込んだ慶良間海峽 ・住民を道連れにした“捨て石作戦” ・軍隊のいた島でだけ起こった「集団自決」 ・迫りくる“自決命令” ・阿鼻地獄の光景 ・生と死の明暗を分けたもの V絶望の底から ・飢えとたたかった避難生活の日々 ・米軍に捕らえられて ・「敗戦」で揺れた“軍国少年”の心 ・一キリスト者との出会いから ・人は失望によって死に、希望によって生きる W勉学と労働と信仰と ・聖書を読む会 ・洗礼を受けにサバ二で渡った冬の海 ・島を出て糸満へ ・軍政府で働く ・“伝道者”志願 ・二一歳の高校生 ・“新沖縄建設”と『ゴスペル』誌 ・礼拝堂の建設 ・東京・青山学院大学への留学 X牧師への道・アメリカ留学 ・「大学」に求められるもの ・学生時代のエピソード ・講和条約で切り捨てられた沖縄 ・最後の説教で「集団自決」を語った三軒茶屋教会 ・糸満教会の牧師として ・ヨーロッパのキリスト者たちとの交流 ・ユニオン神学大学 ・パウル・ティリッヒの神学 ・ジェット機墜落事故と復帰デモ Y沖縄キリスト教短大の創立と発展 ・沖縄の大学とキリスト教短大 ・沖縄戦の廃壊から誕生した沖縄キリスト教学院 ・「国際的平和主義」を建学の理念として ・教会堂を教室にした学びの日々 ・新校舎の完成 ・英語科、児童福祉科の設置 ・日本キリスト教団と沖縄キリスト教団の合同 ・学生たちの意識 ・「琉球政府認可」から「文部省認可」への移行をめぐる苦悩 ・「短大」か「各種学校」かの選択についての論議と決断 ・新キャンパスへの移転――八〇年代の試練 ・六角塔チャペルのある大学 ・新しい革袋に満たすもの ・社会に開かれ、社会に仕える大学 Zなぜ「集団自決」を語り始めたか ・キリ短と首里教会 ・ヴェトナム戦争と反戦運動 ・赤松・元海上挺身隊隊長の来沖 ・住民に配られた二個の手榴弾 ・一九七〇年当時の私の“認識” ・曽野綾子氏『ある神話の背景』で描かれなかったもの ・いま“歴史”を見、書く立場 [教科書裁判の法廷に立つ ・家氷三郎氏の教科書裁判 ・四回も修正させられた沖縄戦記述 ・悩みぬいたすえの“証人”承諾 ・“自発的死”にすりかえられた「集団自決」 ・沖縄県議会の「検定に関する意見書」 ・教科書編集に見るドイツと日本の落差 ・平和憲法が課している国民的課題 \間われなかった戦争責任 ・本島・長崎市長の発言 ・倒錯した「一億総懺悔論」 ・免責された昭和天皇の戦争責任 ・「象徴天皇制」と「戦争の放棄」 ・ドイツにおける戦争犯罪の追及 ・祖父の“戦争犯罪”を直視するドイツの孫たち ・「過去を引き受ける」ことの意味 ]課題としてのキリスト教平和学 ・第二次世界大戦の反省から ・平和学研究の広がりと深まり ・聖書における平和 ・平和運動とキリスト教平和学の課題 ・戦争から人権、エコロジーまで視野に入れて |
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| ■はじめに 沖縄戦の悲劇の象徴というべき「集団自決」は、明治以来の国家がほどこした皇民化教育を抜きにしては、その真相を把握することができません。 私は、渡嘉敷島の「集団自決」の生き残りとして、その体験の重みを身に負いながら、生き続けてきました。戦争の語り部・平和の証人として、戦後五〇年の後半を、県内外の講演や証言に出かけました。各地で多くの方々との出会いを通して、心情的には忘れたい「集団自決」を語る勇気が与えられ、その本質と平和の尊さについても思いを深くするようになりました。あの悲劇を忘却の淵に追い込まないためにも、私の「戦後」は、自分が生きながらえる限り続くのであります。 書名が示すように、“「集団自決」を心に刻む”ことが、本書の課題であります。しかし、どの辺まで視野に入れていいものか、迷いました。結局、私の戦後の歩みと生きざまをほとんど網羅し、自分のライフ・ヒストリー(=ライフ・ストーリー)を書く結果になってしまいました。 私の戦後の歩みの歴史的原点は「集団自決」であり、実存的原点は聖書であります。これら二つの点が焦点になって描かれた楕円の中に、私の戦後精神史が収められております。あるいは「集団自決」体験が、キリスト者としての生き方の伏線になっているとも言えます。 内容的には、「集団自決」の教育的元凶であった皇民化教育を論じ、「集団自決」の悲劇を体験的に語り、戦後、キリスト者としてその苦悩をどのように克服しつつ牧師になったかを述べ、さらに、家水教科書訴訟の法廷での証言・沖縄キリスト教短期大学の創設と発展についても体験的に語り、戦争責任や平和教育についても触れた次第であります。 |
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| ■あとがき 私の「集団自決」体験と戦後の歩みについて、一冊の単行本が出版されるということは、予想もしない出来事でした。高文研の梅田正己氏の情熱と忍耐と激励がなければ、本書は上梓の運びに至らなかったのであります。梅田氏は、私にエンジンがかかるのを、“忍”の一字をもって六年以上も待ち続けられたのです。私が、短大を定年退職した後も、さらに一年間、寛容をもって見守って下さいました。 しかし、発行には敗戦後五〇周年という節目は避けられない、という共通認識がありました。今年の三月末までに脱稿するよう言われましたが、諸般の事情でワープロとの格闘が始まったのが二月に入ってからでした。実際、本文の最後の稿を終えたのは四月の末だったのです。梅田氏は、実に懇切丁寧に、本書の『内容構成』と一〇章までの見出しまでつけて下さって、私に書く気を起こさせる手法を取られました。感謝の一言に尽きるのであります。 家永教科書裁判を通して、家永三郎・東京教育大学名誉教授、弁護団の方々、証人の大田昌秀・元琉球大学教授、安仁屋政昭・沖縄国際大学教授、山川宗秀・元普天間高校教諭、その他多くの支援団体の方々との出会いは、貴重な経験となり、私自身も啓発されました。そして、教科書裁判が、単に歴史教科書の記述問題ではなく、過去の戦争・加害の事実を日本がどのように受け止めるか、という政治・教育・司法への重要な問いであることを、認識させられました。 私の戦後の内面史をライトモティーフに書く中で、遭遇する様々な歴史的・社会的状況にも触れざるを得なかったのですが、時間的制約から、論じ尽くせなかった部分も多々あります。 「集団自決」という、世界戦争史上他に類を見ない悲劇を体験した私の小著が、読者の皆さんの戦争追体験と平和創造の一助になれば幸甚の至りであります。 一九九五年五月一五日 金城重明 |
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| ●関連書籍 ひめゆりの少女 沖縄戦・ある母の記録 改訂版・沖縄戦 |
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