サイバーコウブンケン

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沖縄戦・ある母の記録
 
安里要江・大城将保著 1,500円
四六判・上製・228ページ 1995年2月発行
ISBN4-87498-155-0 C0021

県民の四人に一人が死んだ沖縄戦。その最大の犠牲者は住民だった。“鉄の爆風”の下、地獄の戦場で、人々はいかなる日々を生き、死んでいったか。戦場で親を、洞窟の闇の中で赤ん坊を、さらに収容所の中で夫と長男を失った若い母親の克明な体験記録。

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著者
安里要江(あさととしえ)
1920年、沖縄県中城村に生まれる。38年、県立女子工芸学校卒業。同年12月、屋宜宣佑と結婚、宣秀、和子の二児をもうけるが、沖縄戦で全員と死別。47年12月、安里常太郎と再婚。
1951年より75年まで喜舎場幼稚園で24年間働く。68〜70年、北中城村婦人会会長、70〜86年、沖縄県婦人連合会理事をつとめるほか、76〜86年の10年間、中頭郡中部地区婦人連合会会長として活動。
1986年より98年まで北中城村議会議員を3期12年。現在、北中城村平和を守る村民の会・理事をつとめながら、平和の語り部として活動をつづける。

大城将保(おおしろまさやす)
1939年、沖縄県玉城村に生まれる。沖縄県立博物館館長。『沖縄県史』『大宜味村史』等の戦時記録、県立平和祈念資料館の展示企画等にたずさわる。「沖縄平和ネットワーク」代表世話人。
筆名、嶋津与志。
著書『沖縄戦』(高文研)『沖縄戦を考える』(ひるぎ社)『観光コースでない沖縄』(共著、高文研)『琉球王国衰亡史』(岩波書店)『かんからさんしん物語』(理論社)など。
他に戯曲『洞窟(がま)』、『めんそーれ沖縄』、シナリオ『GAMA−月桃の花』『戦場ぬ童』『沖縄戦・未来への証言』等がある。


編集者まえがき
 沖縄戦は、太平洋戦争の末期、沖縄島を主戦場に戦われた、日米最後の「決戦」でした。戦闘は一九四五年三月下旬から七月初めにかけ三カ月余にわたって続けられました。 この沖縄戦のきわだった特徴は、数十万の住民が戦闘に巻き込まれ、その最大の犠牲となったことです。
 本書は、その最大の犠牲者である住民の、いわば典型ともいえる、一人の若い母親の記録です。沖縄戦に巻き込まれた一住民の、戦闘の全期間を通しての克明な体験記録としては、本書が初めての公刊記録となります。
 本書は、体験者であり、語りべである安里要江(あさととしえ)さんと、沖縄戦研究者で、かつ作家でもある大城将保(おおしろまさやす)氏の協力によって成立しました。はじめのI章では、U章の安里さんの体験の意味をより深く、より正確に理解していただくために、沖縄戦の全体的な経過が簡潔に述べられています。したがって、沖縄戦についてすでに知識をもつ読者は、まっすぐU章に入っていただいてもかまいません。そのあとで、I章に戻り、またV章へと読みすすめていただけば、沖縄戦がどういう戦争であったのか、いっそう深くつかみとっていただけるでしょう。



 目次

T戦場になった沖縄──大城将保
 1太平洋戦争・最後の決戦場
 2軍の道連れとなった県民
 3“鉄の暴風”にさらされた島
 4戦場をさまよった人びと
 5“地獄”と化した喜屋武半島
 6戦場から収容所へ

U母と子の戦場
  ──安里要江・大城将保
 1沖縄忌
 2沖縄アンマー
 3戦争の足音
 4戦時下の新婚生活
 5対馬丸撃沈と十・十空襲
 6艦砲の轟き
 7米軍上陸
 8戦火を逃れ、南へ
 9死の彷徨

 10洞窟の中
 11収容所での再会と死別
 12ゼロからの再出発
 13平和の語りベ

V沖縄戦を見る視点──大城将保
 1“非武装の島”から“基地の島”へ
 2なぜ県外疎開が遅れたのか
 3ながいながい戦争
 4根こそぎ動員
 5軍人を上まわる住民犠牲
 6沖縄戦と特攻作戦
 7スパイ狩り
 8避難民がガマを出るとき
 9切り捨てられた弱者
 10命どぅ宝

●編集者あとがき


もくじへ  沖縄忌
 昭和二十年(一九四五)六月二十三日、牛島軍司令官が摩文仁岬(まぶにみさき)の洞窟壕で自決して沖縄守備軍が壊滅した日を、沖縄では「沖縄県慰霊の日」とさだめ、毎年この日に摩文仁の平和祈念公園で合同追悼式を行います。俳句などでは「沖縄忌」という季語も用いられます。今年(一九九四年)は、沖縄戦の戦没者の五十回忌にあたります。
 戦後半世紀ともなると、世間では「戦争体験の風化」とか「神話のような昔話」といった受け止め方もあるようです。しかしこの沖縄では、少なくとも私自身の内面では風化などという実感はまるでありません。私は戦場で夫と二人の子どもを失い、ほかに九名の親族縁者をなくしました。三ヵ月ものあいだ地獄のような戦場を逃げまどい、目の前で次つぎ肉親が死んでいくのを目撃しました。あの砲煙弾雨の中で刻まれたおそろしい記憶は、いくら歳月をへてもけっしてぬぐい去れるものではありません。風化どころか、なまなましすぎて語るに語れないというのが実情だったのです。ふと思い出すだけで頭の中には次つぎといまわしい記憶が吹き出してきて、夜もねむれないというつらい経験を何十年も重ねてきたのです。
 年月がたつと、今だから冷静になって話せるという事情もあります。また、このごろの世の中の動きを見るにつけ、今だからこそ戦争の実相を若い人たちに語り伝え、平和の尊さを声を大にして訴えなければならないという気持ちにもなってくるものです。
 私の戦場体験といっても、とっておきの戦場秘話とか人目をひくような異常な経験とか、あるいは殉国美談の種になるようなエピソードといったものではありません。
 平凡な一母親が、幼い子どもを両手にかかえて、家族親族とともに激戦地の真っ直中をさまよい歩いた数十日、あげくのはてに十一人もの家族縁者をうしなったという、沖縄では世間なみの話題でしかないのですが、その体験をありのままに語ることしかしません。 しかし考えてみますと、沖縄戦が悲劇といわれるゆえんは、鉄の暴風が吹きすさぶ最前線に数十万の老幼婦女子がまきこまれたところにあったわけで、私のような平凡な母親の体験だからこそ、「これが沖縄県民の戦争体験だ」といえる、典型的な沖縄戦体験の実例として記録に残しておく意義もあるのかもしれません。(後略)

もくじへ  “非武装の島”から“基地の島”へ

 誰よりも戦争の悲惨さを知りつくし、誰よりも戦争を嫌い誰よりも強く平和を求め続けている沖縄の人びとに、戦後の歴史は皮肉にも極東最大の核基地をおしつけてきた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして最近の湾岸戦争の場合でも、沖縄基地は米軍の作戦行動の足場としてフルに利用された。国士面積の一パーセントにもみたないこの県に、米軍専用基地の七五パーセントが集中しているのが現実だ。米軍にとって、沖縄は「太平洋の要石(かなめいし・キーストーン)」として、現在でも軍事的な使用価値が大きいのである。
 なんと戦争と因縁の深い島だろうと嘆きたくもなるが、しかし、歴史をふりかえってみると、沖縄が「戦争」という「おんぶお化け」にとりつかれるのは、わずか五〇数年まえのできごとで、それまでは世界でも珍しいくらいの「平和な島」であったのである。(後略)


もくじへ  軍人を上まわる住民犠牲

(前略)

 日本軍の中には、防衛隊や学徒隊、従軍看護婦など、現地で徴集した“にわか軍属”がたくさん含まれている。これをも軍人とみなすかどうか問題だが、とにかく沖縄出身の軍人軍属は二万八二二八人。これをのぞくと、正規軍人の戦没者は六万五九〇八人にすぎない。また、「戦闘参加者」というのは、一般住民のうち援護法の適用を認められ遺族年金などが支給されている戦没者のことで、中身は「一般住民」となんら変わるものではないのだ。これらを総計して、沖縄県出身者の戦没者は一二万二二二八人になるが、これもいいかげんな推計で出したもので、たとえば、山中や孤島でマラリア病や栄養失調で亡くなった者や、乳幼児などがかなり抜けている。これらを合わせると、およそ一五万人前後にはなるだろう、というのがわれわれの見解である。沖縄全住民の四人に一人、地上戦闘がくりひろげられた沖縄本島地区にかぎれば、実に三人に一人が死んだことになる。
 なによりも、正規軍人に比べて一般住民の犠牲者がはるかに上まわっているのだ。
 戦場では、軍人よりも一般人の方が多く犠牲になる。沖縄だけではない。中国大陸や東南アジアにおいても、十五年戦争の犠牲にさらされたあらゆる地域で同様の犠牲が出たにもかかわらず、公式戦史にはあまり一般住民の犠牲の実態が書かれないという傾向が見られる。軍隊中心主義の考え方では現代の戦争の全体像をとらえることに限界があろう。
 戦闘による最大の犠牲者は現地の非戦闘員である、という沖縄戦の苦い教訓は今日にも通用する法則であるはずである。


もくじへ 10 命どう宝
 
 地獄の戦場から生還した人びとに、共通する一つの心情がある。「なぜ自分だけ生き残ってしまったのか」という後ろめたさである。とくに、防衛隊や学徒隊、義勇隊となって行動を共にした仲間たちにたいして、申しわけない、という気持ちがぬぐいきれない。
 理屈では割り切れない複雑な感情である。「あの時、死ねばよかった」というわけではない。「生きていてよかった」と本心から思っている。しかし、生きてよかったと思えぱこそ、仲間たちの死にたいして自責の念がわいてくるのであろう。
 なかには、潜在意識の中で、旧軍隊の亡霊におびえている人もいる。「生きて虜囚の辱しめを受けず」という『戦陣訓』に呪縛され、「敵の捕虜になった者はスパイとみなして処刑する」という軍の警告に、いまなおおびえる意識がどこかに残っていて、だから、戦場の実相を語ろうとしない。すくなくとも、実相のすべてを語ることを好まない。ところが、生き証人たちが深い沈黙に沈んでいる間に、沖縄の戦跡に異変が起こった。(後略)

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